2014年11月22日土曜日

決断科学ノート;情報サービス会社(SPIN)経営(第Ⅱ部;取締役の一人として)-1


1.   経営陣一新
第Ⅱ部の開始年度は1988年、東燃役員改選期にあたりSPINの経営陣も一新される。私もその一人として新任され、1994年まで取締役を務めることになる。この間の6年を第Ⅱ部として綴っていくことにする。
その間のSPINの経営を語る前に、先ず東燃グループの役員人事に関わるあれこれについて解説しておきたい。
東燃本体の役員ポストは、会長・社長・副社長・常務・平取締役、これに常任監査役とあり、他社に多くある専務職は無く、会長は社長退任後のポスト。常勤役員は、会長・社長が全般、副社長は一部直轄組織を持っていたが(情報システム室は長く副社長主管であったがNKHさんが副社長になった時、技術担当取締役の下に入り情報システム部となり、SPIN設立後その後継組織、システム計画部も同じ扱いであった)、これも全社的な立場が強かった。常務・平取締役は、総務・人事、経理・財務、企画・広報担当、製造・製品開発、技術・購買を担当するものが各1名(担当の組み合わせは固定ではない)、それに事業所(3工場、1研究所・新規事業)のトップが規模や年功に応じて任命されていた。従って常勤役員は事業所も含め総数10名強、他社に比べて極めてスリムな構成である。また、任用基準(退任基準)は年功序列的な性格が強かった。平取締役・常務の在任期間は役員登用後23期(46年)が平均でその後は関係会社の社長や監査役として数期過ごす人が多かった。しかし、大株主(ExxonMobil)の意向で子会社の数は厳しく制限されており、必ずしも人心一新や若手登用に好ましい環境ではなかった。
1988年、この年はNKHさんが社長になって2期目を迎える年である。“強守と展開”に向け大胆な役員登用が行われるのではないか、そんな噂が1987年の後半からグループ内で飛び交っていた。昭和25年(1950年)太平洋岸石油精製工場の再開が認めら、この年以降新卒として採用され、現在役員を務めている昭和20年代入社の人たち(45名居た)が専ら話題として取り上げられ、これら古参(?)役員が、NKHさん(確か昭和33年入社扱い)より若い人に代わるのではないかと言うのである。その時の最年少役員は昭和36年入社(修士課程修了だから34年扱い)のTMBさん(のちに社長)、NKHさん社長就任時に取締役になっており、いよいよ昭和35年~38年入社が次期候補として下馬評に上がってきていた。
東燃本社の役員人事は当然子会社とも影響するが、設立背景(出資率を含む)や規模によって事情が異なっているので、その辺りを眺めてみたい。
先ず規模からいってもグループ内位置付けから言っても別格なのが東燃石油化学(TSK;のちに東燃化学と改名、略称もTCCとなる)。ここは、出資率は100%ながら昭和37年からプロパー社員を採用し独立色が強く、当時の役員は早くから東燃籍を離れ転出した人たちが中心であった。東燃本社の事務系部長(人事、経理など)が時々登用されることはあっても指定席があるわけではない。それに比べると、同じ石油業を営むキグナス石油(50%;KSK)、日網石油精製(70%;NSK;のちにキグナス石油精製となり最終的に東燃に吸収)は石油業法の関係で日本魚網(漁具関連商社)との合弁会社ながら、営業関係を除けば東燃と一体の経営が行われており、東燃役員経験者が社長・常務に就任することが恒常化していたし、本社部長が取締役になるケースも多かった。少し毛色の変わったところでは政府と東燃が50%出資する備蓄会社、むつ小川原石油備蓄がある。ここの社長は政府機関(資源エネルギー庁、石油公団など)出身者と東燃(TSKを含む)で交互に務めるようになっており、常務経験者が登用されていた。また現地の所長(取締役)も東燃出身者だったが、これは東燃管理職の身分を残したままの役員就任だった。同種の会社に日本地下備蓄があるが、ここは石油3社(東燃・出光・太陽)と政府の出資、社長・常務は通産省OB3事業所(串木野。久慈、菊間)はそれぞれの運営母体(東燃は串木野)部長クラス出身者が役員を務めていた。この他には東燃タンカー(TTK)と東燃テクノロジー(TTEC)があるが、TTKは運輸行政と通産行政の違いから別会社になっているものの、実質は東燃組織で社長や監査役は東燃役員OBがその任に当たっていたが、従業員は総て東燃所属である。またTTECは外部向けのビジネスを中心に経営されていたが、役員はTTKと同じ基準、従業員の経歴・身分は東燃同一と見て差支えない。両社はその道一筋の人が偶に役員(社長を除く)に就くことがあっても、極めて限られていた。
さてSPINである。社長のMKNさんは昭和25年以降の入社だが、大学卒業はそれ以前だから今期退任かあってももう一期、MTKさんは昭和28年入社、同期3人が東燃の取締役になっており(昭和59年;1984年)、既に一人はKSK社長に転出、あとの二人も今期退任が噂されている。しかし、“その道一筋”の専門子会社役員だから継続し常務昇格も考えられる。残りの一人KKTさんはMTKさんと同じ歳、TSKから経理の専門家として登用された人。事務系システムズエンジニアには経理出身者が多く居るが、この人は全くその経験がないので、私も含め誰もSPINに不可欠な役員と思っていないのが実情だった。

(第Ⅱ部“経営陣一新”つづく)


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