2015年9月3日木曜日

魅惑のスペイン-13


8.カルモナ
今回の旅を計画するにあたって、旅行社に示した必要条件の一つに“パラドール宿泊”がある。パラドールとは、古城、城塞、修道院など歴史的文化財を利用した国営宿泊施設で、全スペインで百カ所近くある。その一つがセビーリャから東へ40kmほどの所に位置するローマ時代に遡る小さな城砦都市カルモナに在る。今夜の泊まりはそこのパラドールである。
セビーリャのスペイン広場を発ったのは夕刻6時頃。日はまだ高く日本人の感覚では3時過ぎと言ったところ。バスは市中を一旦南に向かい、セビーリャ駅の近くで東に折れてコルドバからやってきた国道A4号線を戻って行く。30分も進むと南(右)はるか遠方にお椀を伏せたような丘が見えてくる。カルモナだ。A4号線に分かれ、田舎道を南へ向かうと前方に待望のひまわり畑が広がり、やっと大型バスを停めることのできるスペースもある。しばし停車して写真撮影となるのだが、夕方のそれは何となく元気がない。
バスはさらに南へ進み、つづら折りしながらカルモナ中心部に近づいて、下から城塞の一部が見えてくると、山道の途中の少し広い場所で停車する。添乗員のSSKさんが「このバスはここまでです。城内には入れないので前に停まっているマイクロバスに乗り換えてください」と案内。そう言えば一昨年のフランス旅行でもアヴィニョンでそんな経験をした。マイクロバスはスーツケースを載せるトレーラーを牽いており、そこへ荷物を載せ変えると直ぐに出発。城門をくぐり、狭い町中を丘の頂上まで我々を運び、二つ目の城門の前で停まった。門の中は広場になっており、自家用車で来た客にはそこが駐車場になっている。アルカサル・デル・レイ・ペドロこれがパラドールの正式名称。アルカサルは城塞、レイは王、“ペドロ王の城塞”である。このペドロ1世(嫡子)は王位争いの中で残虐行為を繰り返したので“残虐王”と渾名され、最後は腹違い(庶子)の兄に殺される。そんな暗い歴史と関わる城塞ホテルだが、もともとはイスラムの建築物だったので美しい中庭を持つ清潔な感じのする、期待通りの歴史の名残を上手く生かしたホテルだった。
我々の部屋はフロントのフロアーから下に2階おりた東側の絶壁の上に在り、そこから緑の大平原が広がってみえる。部屋内部の造作は白い漆喰と年季を感じさせるこげ茶色の柱、床も同色の板張りで往時を再現しているのだろう。城壁の一部を穿った小さな窓部は壁の厚みがそのまま残り、奥行きが深い。しかし、浴室は近代的で使い勝手は都会の現代のホテルとなんら変わらない。TV、電話も同様、Wi-Fiも使えるようだ。
出かける前にこのパラドールを調べたところ、プールがありこの時期利用可となっていたので、チェックインの際確認してみた。「場所は崖の下です。裏口から行ってください。プールに受付があります」「水着のままプールへ行っていいか?」「OKです」「裸足でかまわないか?」「エッ?裸足ですか?」「アッ 8時にはクローズですよ」すでに7時を過ぎていたので泳ぐのは諦め、夕食までの時間潰しに近くまで行ってみようとして驚いた。裏口から崖下へ至る道はむき出しの岩場。こんなところをかなりの距離裸足で歩くことはとてもできない。フロントが「?」となったのはマナーではなく、「なんていうことを訪ねるんだ」の意だった。
夕食を摂ったレストランも眺望とそれらしいインテリアを楽しめる素晴らしいものだった。食事内容はまずまず、シェリー酒をここでも堪能した。

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(次回;スペイン新幹線AVE

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