2015年11月24日火曜日

四国山越え海越えドライブ-1



1.動機とプラン
初めて四国をクルマで一巡したのは和歌山工場勤務時代の19695月の連休である。和歌山港からフェリーで徳島に渡り吉野川を遡行、池田から島を縦断、高知、愛媛と廻って松山港から山口県の柳井に上陸、そこから秋吉台、萩さらに島根県の出雲に出て今度は南下、尾道に至る。次いで山陽道を倉敷まで東進、下津井港から香川県の丸亀に再上陸して瀬戸内沿いを徳島へ向かい和歌山へ戻った。この時は67日の旅、川も山も海も素晴らしい景観であったが、当時の道路状況は凄まじいもので、悪路走行に強いブルバードSSSであったにもかかわらず、足摺岬から宿毛に向かう間でショックアブソーバをやられてしまい宿毛で交換しなければならぬほどであった。あれから46年、仕事で愛媛、徳島を訪れる機会は何度かあったが、運転はおろか観光さえする機会はなかった。
“終(つい)のクルマ”として求めた愛車(PorscheBoxter)も満8歳、長距離ドライブを続けるうちに、「免許返上までに沖縄を除く全都道府県走破してやろう」と思い始めたものの残る未走地は四国・九州それに鳥取・島根・山口と遠隔の地ばかり、年々の体力低下を考えると「今年は何としても四国をやっておかねば」と年初から考えていた。加えてあの酷道のその後と本四連絡3ルートを走って半世紀の地域と自動車利用状況の変わりようを確かめてもみたかった。
私にとって、運転そのものを楽しむことがクルマ旅の第一目標であるが、未知の地では観光スポットも適度に訪れたい。まして四国は初めての家内には観光こそが同道の唯一の目的である。強いて特別な場所や行事に関心はないものの、訪問候補としていくつかの名所旧跡を洗い出し、ルートと日程を勘案してこれらを決めていく。最大の縛りは家内の「国内旅行は最長4泊」との希望である(道東ドライブの際はフェリー宿泊を含めれば6泊したので、九州遠征はそれと同等になるだろう)。取り敢えず一県一泊を基本に据える。私の必要条件は四国と本州を結ぶ三つの連絡ルートを走ることである(1ルートは往復することになる)。自宅との往き帰りは一日で済ませたいので、四国での起点・終点は鳴門近傍にしたい。
4県それぞれの県庁所在地にはそれなりに見所があるのだが、これはと思えるのは高松の栗林公園と松山の子規や坊ちゃんゆかりの地くらい。「時間に余裕があれば」との格付けにする。半世紀前のドライブで印象に残っているのは、大歩危小歩危、足摺岬、宇和海沿いの道。歴史を偲ぶという意味では屋島(源平)と桂浜(維新)。四国唯一と言ってもいい温泉地道後には是非一泊したい。自然では、至るところ(内海、外海)で感動させられる海の景色があるがそれは走りながらでも楽しめる。しかし、鳴門のうず潮だけは船に乗る必要があるが何とか時間を捻出したい。そしてどこへ出かけるにも必須の山岳ドライブである。今回着目したのは日本3大カルストのひとつ高知・愛媛県境に在る“四国カルスト”である(他は、山口の秋吉台と福岡の平尾台)。標高は1000mを超すのでヒルクライムを存分に楽しめそうだ。これらに個人的な興味をそそる場所として松山南郊の砥部(焼き物で有名、東燃同期の友人が在住)と琴平(金比羅さんで有名、明治中期祖父が警察署長だったと聞かされている)にも寄ってみたい。またルート上のオプションとして大歩危に近い祖谷(いや)渓、しまなみ海道上の島々などを考慮することにした。
結局出来上がった案は、明石・鳴門大橋→鳴門(泊)→大歩危小歩危→桂浜→四万十(泊)→足摺岬→竜串・見残→四国カルスト→砥部→道後温泉(泊)→しまなみ海道→山陽道→瀬戸大橋→金刀比羅宮→屋島(泊)→鳴門となった。全行程約2200km、全長、一日の距離(屋島→自宅)としても新記録である。
次は時期である。一応11月中旬から下旬にかけてとしておいた。これは、平地はともかく山間部で紅葉を愛でることが出来ることを期待してのことである。しかしこちらもいくつか制約があり、それなりに苦労した。一つは我が家の外装工事(主に塗装だが、外壁木部の腐食補修などもある)の工程である。旅行を予定したのが先だから8月初めに依頼を出したが結局着手できたのは10月初旬、仕上がりの予定は117日となった。もし天候が悪ければ半ばに達してしまう恐れがある。次いで宿泊先を当たってみるのだが、希望するところ(比較的小規模)は結構塞がっており、特に21日からの三連休は厳しい。最後の課題は鳴門のうず観光、これは大潮の時が最適である。その日のタイトなスケジュールを考えると朝食後8時から9時くらいにそれが起こる日に観光したい。これらを勘案して1115日(日)を出発日に決めた。

写真はクリックすると拡大します


(次回;鳴門へ)

0 件のコメント: