2015年11月4日水曜日

決断科学ノート;情報サービス会社(SPIN)経営(第Ⅱ部)-31


9Intelligent Enterprise構想
東燃情報システムに関するトピックスをもう一つ。この活動が本格化するのは1992年半ばからだが予兆は前年からあったので、SPINの経営とは直接かかわらないが、私自身は随分と気を遣わされたことなので、ここで書き残しておきたい。
ExxonMobilのような石油メジャーの利益の源泉は原油生産(上流)。その原油価格は1980年代半ばから低迷、バーレル当たり15$前後を90年代終わりまで引きずっていた。加えて日本では石油業法規制緩和もあり下流でも利益は減じつつあった。一方で東燃はそれまでの内部留保が一時は2千億円にも達し、次世代に向けた新規事業開発に注力していた。しかし、70年代から80年代初めにかけて情報産業からサービス産業まで多角経営を試みたE/Mはそれらにことごとく失敗、本業回帰を鮮明にしていたこともあり、東燃の新規事業戦略に疑問を呈していた。株主として一気に新規事業をストップさせることはなかったものの、それまで常勤日本人経営者に任せていた経営への介入は日増しに強まってきていた。
この勢いを少しでも削ぐためには、本業経営の大胆な経営革新で利益を大幅に改善するしかない。社長のNKHさんはそう考え、1992年半ば製油所効率改善プロジェクト、インテリジェント・リファイナリー(IR)計画の後続にIT利用を核にしたインテリジェント・企業(IE)計画を構想する。ただこの考えは、IRとは異なり社内の議論の中から立ち上がってきたものではなく、あくまでもNKH私案だったので、変則的な形で検討が進められることになった。
本来ならシステム計画部担当役員のFJMさんから部長のTKWさんに下ろされ、実戦部隊の参加が必要ならばSPINに声がかかるのが組織としての手順である。しかしこの時は、FJMさんには一応知らされていたようだが、NKHさんから私に直接呼び出しがかかり、活動意図の説明を受けるとともにそれへの参加を命じられたのである。小さな用件ではこのような直接コンタクトが過去になかったわけではないが、「自分がこれを進める」とのNKHさんの決意を聞かされ、大変驚いた。
聞かされた本計画の狙いは、東燃グループ全体の経営形態を、最新ITを用いて抜本的に改革し、生産性(主に事務部門の)を飛躍的に高める。そのために日本IBMと富士通に協力を求め、両社にプロジェクトチームを作ってもらい、先端技術の紹介と適用案を提案してもらう、と言うものだった。リーダーはNKHさん自らが努め、私にその補佐をやれとのことだった。確認したことは「私の役割は技術的な範囲で良いでしょうか?」と言うことだった。この種の業務革新を情報技術者が主導して上手くいった話はほとんど聞かないからである。「それでいい」とのことで一安心した。
両社とのキックオフは個別に東燃本社で行われ、日本IBMは椎名社長・北城副社長、富士通は山本会長・秋草常務が出席され、その後のミーティングでは北城さん、秋草さんが主に対応された。また個別の詳細技術説明は先方のプロジェクトリーダーと私、それに社長室のITに精通した若いスタッフで進め、NKHさんにレポートした。
この活動は1992年半ばから約1年続くのだが、道具や技術についてはそれなりに得るところもあり、それを反映して一部の電算機システムの増強など図ったものの、当然ながらメーカー側提供の石油精製・石油化学への適用事例についてはほとんど見るべきものが無く、竜頭蛇尾の結果に終わることになる。

(次回;大阪支店開所)


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