2016年1月31日日曜日

今月の本棚-89(2016年1月分)


<今月読んだ本>
1) アメリカ外交の魂(中西輝政):文藝春秋社(学術ライブラリー)
2) 頭は「本の読み方」で磨かれる(茂木健一郎):三笠書房
3) 四季徒然 山と音楽(斎藤静雄):白山書房
4) ドクター・ハック(中田整一):平凡社
5) 「スイス諜報網」の日米終戦工作(有馬哲夫):新潮社

6) イスラム化するヨーロッパ(三井美奈):新潮社(新書)

<愚評昧説>
1)アメリカ外交の魂
19454月小学校(国民学校)入学、8月に終戦、満州はソ連軍、国民党(蒋介石)軍、八路(中共)軍、再び国民党軍と支配者が変わった。八路軍は一応規律正しかったが、いずれの軍隊も在満日本人には恐怖の対象だった。19469月日本に引き揚げてきた。上陸地である博多で初めて米軍と接し、家族ごとに簡単な手荷物検査があった。私のリュックの中に潜ませてあった、本来持ち帰りを禁じられていた現地の写真を見つけられたが、父が「家族の写真だ」と説明したところ直ぐに返してくれた。「アメリカは違う」これが私の幼心に植え付けられたアメリカ観である。爾来アメリカは憧れの国となり、英語力はともかく、就職も米系石油会社に入ることに不安は無かった。と言うよりも期待することが多かった。海外勤務経験は全くないが、通算滞在期間では1年を超すし、今でも交流のある友人は二桁。もし難民となって他国へ脱出せざるを得なくなったら、躊躇せずアメリカを目指すだろう。
それほどの親米派でありながら、国と国との関係では時折米国の対外政策に疑念や嫌米感情が去来する。古いところでは60年安保(大学3年;本質的に米国の問題ではなく、今ではあれで良かったと思っているが)、ヴェトナム戦争、日米経済摩擦、最近では湾岸戦争以降の中東・イスラム政策、直近では弱腰と批判されるオバマ政権の東アジア(対中国・北朝鮮)への対応などが挙げられる。さらに歴史を振り返れば、第一次世界大戦を終結に導いたウィルソン大統領の構想した国際連盟への参加拒否や、どう見ても“戦争をやりたかった”としか考えられないルーズヴェルト政権の日本追い詰め策、究極は“無条件降伏”という愚策(南北戦争はこれだった!)、「何故“自由と民主”を標榜する国がそこまでやるのか?」と、私が理解出来ぬばかりでなく世界が振り回されてきた例が随所に見られる。
単純稚拙、唯我独尊、過度な理想主義・正義感、身勝手な孤立主義、経済力と軍事力による新帝国主義、数々の批判にさらされてきたアメリカ外交の依ってきたるものは何か?これを植民・建国以来の歴史を踏まえてその根幹を追究し、過去の行動、現代の施策をそれに基づき分析、将来の対外関係(特に日米関係)への示唆を得ようとするのが本書の狙いである。
本書は2部構成になっている。第1部は“20世紀アメリカ外交の軌跡”、第2部は“アメリカ外交を洞察する視座”。第1部は孤立主義から脱し、大国として積極的に海外と関わり始める米西戦争から説き起こし、第1次世界大戦、第2次世界大戦、冷戦、ヴェトナム戦争、一連の中東における戦争・紛争介入などを題材に時々のアメリカ外交の実態とその背景を具体的に解析して、その特質(問題点、考え方、行動)を浮かび上がらせる。帝国主義の芽生えと米西戦争(とにかく戦争をしたかった)、米西戦争の幻滅感(正義の戦いではなかった)が尾を引く第1次世界大戦参戦への逡巡とウィルソンの理想主義、帝国没落による英国からの期待と均衡外交への疑念(欧州型の老獪でしたたかな外交への嫌悪感)、全体主義(ファッシズム、コミュニズム)に対する抵抗(再び“戦争をしたい”勢力の伸長)、力への自覚と自由・民主主義守護者としての自意識とその(過剰な)徹底。これらの根底には、建国以来の理想主義、伝統的な孤立主義、国益を重視する辺境拡大主義(ある種の帝国主義)などが複雑に絡み、介入→幻滅→理想主義→介入→幻滅のプロセスが繰り返されてきたと著者は見る。
2部は近現代を一旦離れ、建国時からの諸国策(憲法成立の背景・精神、共和国の成り立ちなど)とその依ってきたる思想(宗教を含む)の歴史を辿りながら、独特の対外施策が発出してきたことを関連づけて、アメリカ外交を観察する際の歴史的視座の重要性を訴える。思想的背景としては、何と言ってもプロテスタントの中でも異端であったピューリタン(一種のキリスト教原理主義)の影響が大きく、建国者たちが憲法を制定するにあたってもこの精神が汲み取られ、厳しく参戦を制約している。その後の為政者はこの制約を如何にかいくぐるかに腐心することになる。加えて、共和制ローマを除けば、大国として世界初の共和国であり、理想の民主国家を建設せんとする思いが強く、諸施策にこれが反映されることになる。また連邦国としての発足・発展の歴史は、建国当時の州に対する考え方が現在のEUに近いもの(独立性が高い)であったことから、外交政策を一本化することに高いハードルを設ける結果になった(孤立主義はその点でまとまりやすい)。一方で辺境開拓精神が脈々と受け継がれ、それが本土を超えて広がる拡大主義にも目を向ける(中東問題では米国が初めて欧州に東側から接近することで、新たな問題が派生する可能性を示唆)。
このように歴史を踏まえて見てくると、確かに他国と米国の国家としての政治環境の違いがよく分かり、外交に限らず独特の政治的言動の遠因を理解できる(だからと言ってそれに賛成するわけではないが)。
このアメリカ外交のいわば歴史的遺伝子解明を踏まえ、著者は日米同盟が我が国にとって重要であるとしつつも、「今、前にしているアメリカは、直ちに別の顔に変化する可能性がつねにあり、そのことを知ることが国家としてのアメリカとつき合うときに大切な心構えである」と警告する。もって瞑すべし。
本書は“帝国”3部作(他は、大英国帝国衰亡史、帝国としての中国)の一つとして最後に書かれたものであるが、既に読んでいる大英帝国衰亡史が読み物としての体裁を整え比較的取つき易いものだったのに対して、学術的な理論構築を意図したのか、原典引用解説が多く、“気軽に読める”ものではない。また、単行本として2005年に出版されたものをその後(201410月発刊)の状況変化を考慮して大幅に加筆修正を施したこともあって、いささかまとまりを欠いているように感じた。さらに“外交”と題するものの文化や通商にはほとんど触れず、専ら“戦争”に着目している点も物足りなさを感じた。しかし、全体としては当代の代表的な歴史学者の作品、建国来の歴史が短い人口国家ゆえに整理しやすい面があったとは言え、対外政策の揺れ動く根源を明らかにすると言う点では、大変勉強になった(特に第2部ではアメリカ史そのものを学び、認識を新たにした)。

2)頭は「本の読み方」で磨かれる
1月生まれなので77歳、喜寿に達したばかりである。この歳になって読書によって知力が磨かれるとは思えないが、もし読書が出来なくかったら、どこか頭に障害が出るのではないかという恐れはいつも感じている。特に認知症が怖い。私の両親は二人とも91歳まで生きたが、母は80代後半から症状がはっきり出始め、子供だけは何とか識別して会話もできたが、父のことは長年連れ添った伴侶と認知できなくなってしまった。一方で父は死の直前まで一人暮らし出来るほどしっかりしていた。社交的で仲間の多かった母。本来の人見知り癖が歳とともに嵩じて孤独を好んだ父。普通に考えれば異変が出るのは父の様な気もするが、現実は逆だった。しかし読み書きと言うことに着目すると、母は60代頃までは週刊誌くらいは読んでいたが、本格的な読書に縁遠かったのに対し、父は専門であるフランス語の小説などにも取り組み、炬燵の上にNHKTV講座で学んでいたフランス語や中国語のメモをたくさん残して急逝したほど差がある。私の乱読癖は父の精読型とは異なり、“何か読んでいないと落ち着かない”活字中毒型であって、内容を吟味したりノートを取るような作業は全くなかった。ビジネスの世界を離れたころから「少し父を見習った方がいいのかもしれない」そんな思いから、いまここに読んだ本に関する雑文を書き連ねているが、「ボケない」と言う確証があるわけではない。著者は著名な脳科学者、「ひょっとすると、その辺りを理論的に分かり易く解説してくれる本ではなかろうか?」 そんな期待で手にしたのが本書である。
結論から言えば、「期待外れ」の一言とである。読書の効用を説き、若き日々影響を受けた書物の数々を振り返り解説する。よく見かける有名人の読書論の域を出ない。高校生あたりであまり読書に馴染んでこなかった人にはそれなりに読書案内として役立つところも無きにしも非ずと言ったところだが、高齢者には「いまさら何を!?」の内容であった(読書に限らずこの種のことは多い。老化現象の典型かもしれない)。それでも狙いが“読書を薦める本”であるから、その点では共感を覚えるところは多々あったし、読書に関して自分が辿ってきた道を肯定・評価される部分が出てくると「我が意を得たり!」と一人ほくそ笑む場面にも何度か出会うことが出来た。
さて、肝心の脳科学である。先ず本を読むと関連データが“側頭連合野(記憶・聴覚・視覚を司る)”に蓄積され、ある種の“経験”が記憶に残るのと同じ効果を生み出す。これが“自分の頭で考える力”をつける第一歩であるらしい。ここでは読書をする人としない人の差が語られる。しかし「紙の上で得た知識と実体験の差は大きいはず」と疑念が残る。
次はどんな本を読むかである。“優等生ではなくオタクを目指せ”と勧める。言換えれば“変人”ではなく、何か夢中になる分野を持つ、と言うことである。“情熱”と言うのは脳を最強のエンジンに仕立てる源なのだと。ここは自分の体験でも同感である。子供のころからの乗り物好き、中学生時代は航空エンジニアを目指したがやがてそれはソフトも含む軍事システムへの関心に広まっていく。ビジネスマンになってからも趣味の一つとしてその種の本をあれこれ読んでいるうちに“経営とIT”の関係にそれらの知識が活用できる場面が出てきたのである。論語の一つ「これを知る者はこれを好むものに如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」である。ただ著者はここで狭い分野に絞り込むことには警鐘を鳴らす。“脳には「雑食」がいい”と“教養”重視の論を展開。これはこれで同意だが“オタクと教養”のバランスが今ひとつ腑に落ちない。
ところで本書では読書の周辺活動における脳の働きがしばしば登場する。「重要な決断は歩いている時に行う方がいい」「コピペは脳を劣化させる」「文章を書くことの重要性」それぞれ興味深い話題であるが、理論的な説明は極めて簡単、“科学”の領域に踏み込んでいるとは言えず、この点でもフラストレーションが生じた。
本の読み方(速読や複数同時並行読みなど)の中に「飽きちゃう本は飛ばし読みしよう」とある。本書も一応キチンと読んだが、“脳”と言う字がある前後を拾い読みするだけでいいような内容であった。

3)四季徒然 山と音楽
記念すべき本欄第一回目に同じ著者の「ブラームスは奥秩父の匂い」の所感を書いて以来2度目の登場となる。題材は同じく山と音楽。早いものであれから8年が過ぎた。著者と私は小学校・中学校・高校と同窓・同学年である。クラスが一緒だったのは小学校だけだったから、気分としては“小学校の同級生”が最もピッタリくる。1999年のクラス会で、高校卒業以来の再会を果たし、その変わり様の激しさに驚かされた。まるでうらなり瓢箪のような青白く痩せた男が、がっしりした体躯に変じ、動作や話し方も自信ありげで堂々としていた。「これがあの齋藤君か?!」と胸の内でつぶやいていた。
高校までの実家は御徒町駅近くの開業医、彼もその後を継ぐべく医師を目指して医大に進んだことは知っていた。前著はその大学時代からそれに続くアメリカ留学・研修時代に親しんできた音楽と山をテーマとする随筆集、これを読んで身体と心の変容の起源と過程が分かった。因みに、題名の意味するところは、ブラームスはベートーヴェンやモーツァルトのように有名でも初心者に分かり易いものではが、じっくり聴きこむと味が分かってくる、奥秩父も北アルプスのように目立つ存在ではないが、山登り愛好家にとっては奥の深いものだ、と言うところから来ている。
前著が出版(2003年刊)されてから既に13年、今年1月本書が刊行された。37歳の時(1975年)茨城県取手市に開院した産婦人科医院を一昨年閉院、念願の山とともに暮らすため山梨県北杜市に移り住んだことを契機に、改めて山と音楽を題材に、続編としての自分史を随筆と詩で表したものである。
そこには産科医の過酷とも言える、時間を選ばぬ仕事に時折触れながら、山と音楽がどれほど支えになってきたかを、少年時代の淡い恋やピアノ演奏に関わる向上心(競争心)、山で仰ぎ見た夜空の星々への思いから辿る自己分析、はたまた若い頃は難なく縦断した山行きでの遭難もどきの出来事などを交えて綴っていく。
本書の素になっているのは、産院に付帯(?)して彼が建設した音楽サロン(相当な借金をしたことも本書から窺がえる)での定期演奏会用パンフレットに掲載してきた書き物が中心になっている。37歳から71歳まで(体力の限界でそれ以降は婦人科のみ)15840例の新生児を取り上げる(年平均約400;一日一人以上)中での、山行きとこの演奏会準備は、文字通り休む暇ない毎日だったに違いないのだが、それが読み手を煩わすようなこともなく、心休まる“山と音楽”の世界に惹きこまれる見事な筆致に、もう一つの彼の変容を見る思いであった。
特殊な本であるが、山と音楽双方に関心が高い人には、写真(自写)やスケッチ(専門家)も多く、楽しめる著作だと思う。

4)ドクター・ハック
私の軍事関係への関心は源を辿れば飛行機から始まる。人工物の中で最も美しい物に憧れた。最初はハードウェアから、やがて運用体系のようなソフトにおよんでいく。これが戦車や潜水艦など戦略兵器システム全体に広がっていくのは30代を過ぎてからである。企業におけるIT利用推進にこれらから得た知識が如何に役立ったことか。次のジャンルは仕事を通じて身近になったOR(オペレーションズ・リサーチ)の世界である。軍事作戦を数理で最適化することから始まったこの学問は、今や政策決定や企業経営に欠かせぬ道具になっている。その起源を調べるために退職後英国まで出かけ、その道の権威者の下で学んだ。第三の分野はこれも仕事と関係する情報に関することごとである。正確で信頼できる情報の重要性はプラント運転から経営トップの判断まで、日常広範に問われ続けた課題である。サスペンス小説好きがそれに輪をかけ、スパイ組織の諜報活動や通信傍受・暗号解読に惹かれていった。如何に情報を入手するか?その検証は?どう加工・解釈し、何時、誰に、どのように渡すか?私の扱う情報は専ら公開された数字であったが、密かに“工作員”を楽しんだ。
本書はその第三の分野、太平洋戦争(大東亜戦争)の発端と終焉に深く関わったドイツ人スパイ(?)の話である。“?”を付けたのは読んでみて「これはスパイなのだろうか?」との疑念が残ったからである。スパイと言うのは機密情報を得ることやこちら側の意思を裏から通すにために“敵方”と丁々発止やるものだが、後述するように、そんなきわどい立場にはなく、情報の仲介者、もう少し踏み込んでも工作支援者と言うところである。とは言っても、日本の命運に影響を与えたなかなか興味深い人物である。
本書の題目である“ドクター・ハック”とは1887年にドイツ南西部の都市フライブルクに生まれ、のちに同地のフライブルグ大学から経済学博士を取得した、フリードリッヒ・ハック。太平洋戦争終末期スイスにおいて行われた(海軍による非公式な)終戦工作に関与した人物として、終戦秘史に名を残している。本書はそのハックの誕生から死までを、三つの話題に焦点を当てて描いた伝記ノンフィクションである。その三つとは、三国同盟に至る日独防共協定、これと同時期に製作された原節子主演の日独合作映画「武士(サムライ)の娘」(日本版タイトル;新しき土)、それに終戦工作である。我が国で彼の名前が知られているのは、この第三の終戦工作において、スイスに居を定めて米国諜報機関OSS(のちのCIA)にコネを持つ“武器商人”としてである。しかしそれに先立つ二つの出来事と組み合わせることによって、巷間言われていたように、彼の和平工作がいかがわしいビジネスの延長線ではなく、親日家としての本意から発起したことを訴える展開・結末になっている。
彼の日本との関わりは、大学の博士課程で指導に当たった恩師の紹介で1912年(第1次世界大戦勃発前)満鉄東京事務所内に置かれた東亜経済調査局(のちの満鉄調査部)に職を得たことから始まる。戦後一旦母国に戻るが、対日経験を生かし友人と武器商社を立ち上げたことから日本海軍との関係が深まり、多くの要人とコネクションが出来る。それをナチスと駐独陸軍武官(のちの大使)の大島浩が利用し、防共協定に関する日本側(特に、協定に反対する海軍や外交官)の動きを探らせる。著者が彼を“スパイ”と呼ぶのはこの当時の活動を指しているようだが、ゾルゲのように敵国(ソ連)に通じたわけではないので、些か無理筋の感がある。
防共協定の成立は193611月、年初の2月には226事件が起こり、その直後にハックを顧問とする「武士の娘」製作チームが神戸に到着する。協定内容の調整が山場を迎える少し前になる(だからこそ日本側の情報が欲しかった)。このパートでは、東和映画の川喜多かしこなど映画関係者の証言を素に、製作の裏にはナチス政権宣伝相ゲッペルスがおり、この映画を日独交渉の隠れ蓑として利用したと著者は推論する。因みに1937年映画公開に際し原節子は渡独、大歓迎され、一気にスターダムにのし上がる。
ハックはナチス党員ではなかったが当時の多くのドイツ人同様、新生ドイツ(第三帝国)に共感し惹かれるところがあった。しかし、やがて本性が剥き出しになってくると、それへの批判を公言するようになり、ナチス秘密警察ゲシュタポに睨まれ拘束される。それを救ったのが駐独海軍武官府。ナチス上層部を説得してスイスに亡命させる。ここでOSSとの接点が出来るのだが、そのきっかけは彼を満鉄に送り込んだ恩師にある。実はユダヤ系、米国に亡命し息子はOSSのメンバーでスイスに駐在する。ここに大統領府(OSSは直轄組織)-駐スイスOSS(アレン・ダレスがトップ;のちのCIA長官)-ハック-スイスに異動した駐独海軍武官補(藤村中佐)-日本海軍のチャネルが一応出来上がる。しかし、“無条件降伏”を巡る日本側の度重なる問いかけ、陸海軍離反謀略の疑い、ルーズヴェルトの死、双方の不信感で、何ら成果の出ないまま、この工作は幕を閉じる。19484月ハック没。
著者は元NHKプロデューサーのノンフィクション作家。映像のみならず著作でも数々の賞を得ている。ドイツ、日本、米国での聞き取り調査や文献調査も時間をかけ綿密を極め、終戦工作のみならず防共協定・三国同盟の知られざる数々の場面とその背景は大いなる収穫であった。例えば、防共協定に関してドイツ国内に日本と結びつきを強めることに反対する意見が多かったことがある。理由に同国の伝統的な親中国観と第一次世界大戦後独領南洋諸島を火事場泥棒的に日本が奪ったことに対する反感が挙げられている。「(そんな世論を和らげるためにも)失った南洋諸島を返してくれ」(海軍にはとんでもない話)こんな意見も交渉の過程ではあったようだ。
“ノンフィクションとして良くできた作品”と言いながら、読後に引っかかるところもあった。司馬遼太郎や塩野七生の小説を読んだ後と同じ感覚である。「作者が主人公やその他の登場人物に惚れてしまったのではないか?」との疑問である(小説ならばそれも価値になるが)。つまり歴史としての客観性欠如の恐れである。このことは、本書と同じテーマを扱った、次項で紹介する“「スイス諜報網」の日米終戦工作”を読んでさらに強まった。
また、著者の執筆意図とは異なるだろうが、スパイ物としてのスリルやサスペンスを全く感じられなかったのは期待外れだった。

5)「スイス諜報網」の日米終戦工作
前述した“ハック”より先に購入した本だが、未読のまま置いてあった。同じテーマ(スイスにおける終戦工作)であることから、内容比較もあって急遽読むことにした。従ってここでの読後感は“ハック”(以下前著と略す)との違いに重点を置いて記すことにする。
先ず、著者の執筆意図。前著では“ハックとそれを取り巻く人間像”を描くことが中心テーマであり、終戦工作は晩年における活動の一部に過ぎない。対して本書の狙いは“スイス終戦工作そのものの不明点・疑問点を歴史的視点から質す”ことを目的としている。結果として、前著はノンフィクションではあるが、小説のような起伏をもって“親日家ハック”を描いていく。対して本書は学術論文を砕いて一般向けに書き改めた趣で、終戦工作と言う事実の検証に力点が置かれる。ハックは登場するものの“一介の口利き屋”と言ったところである(「ハックから始まった」とするところは同じだが)。この違いの根本は、前著の著者がジャーナリスト、本書が歴史学者に依ることから来ている。ジャーナリストと言うのは断片的な“事実”をつなぎ合わせて、自分の考え方を伝えたり、読者を惹きつけるストーリーに仕立て上げることに長けている。対して学者はあくまでも真理・真実を追求するのが本務である。前著は面白く読め、本書は信頼できる、これが読後感の要約の一つである。
読む順序がこれで良かった。もし逆であったら、前著は途中(終戦工作以降)で飛ばし読みすることになっただろう。だからと言って前著者がいい加減なことを書いているわけではない。両者とも他の案件や研究(いずれも昭和史に関わる)も含め、20年以上にわたる関連取材・調査を続けており、重複するものも多い(特に米外交文書)。ただ“スイス工作”については、前著者が当事者である藤村義朗海軍中佐と面談し、そこから得た、半ば公史化した情報(著書も含め)をそのまま利用しているのに対し、ひと回り若い本書の著者(1953年生れ;前著者は1941年生れ)にその機会は無く、かえって客観的な立場で“藤村神話”を検証できた違いがある。
本書の構成は2部から成る。その第一部のタイトルは“藤村神話の崩壊”、全巻300頁の内70頁強がこれに割かれ、それを全面否定した上で第2部“スイス終戦工作、70年目の真実を検証する”で藤村ストーリーとは異なる終戦工作の実態が明らかにされる。
藤村ストーリーは戦後間もなく求められてGHQ歴史課に提出した手記が、文藝春秋に「痛恨!ダレス第一便」として掲載され(1951年)、その後ジャーナリストの手で出版物になったり、更にはテレビドラマとして放映され内に(1971年;仲代達也が藤村役を演じた)一人歩き、あたかも藤村がこの工作の主役を務めたような歴史が作られる結果になる。これが如何に作り物であったかを検証するために使われるのが、外務省と海軍(陸軍も在外武官はこれを利用)が使っていた暗号(91式;レッド、97式;パープル)を米側が解読した「マジック文書」である。藤村ストーリーのポイントは「呼びかけは米側(ダレス)からあった」「日本側は陸軍、海軍、外務省が縦割りで、意思統一が出来なかった」「従って終戦に向けての努力は失敗した」であるが、これを戦後の海軍軍人の残した関連文書とマジック文書から、一つ一つ潰していく。
では真実はどうだったのか?これを徹底的に追求するのが第2部である。「呼びかけは日本側からだった」「現地(スイス、一部ドイツ)の日本人関係者は情報を共有し、協力していた」「原爆投下やソ連参戦は防げなかったものの、天皇制維持については強い意向(日本の懸念)が、このチャネルを通して米側に伝わっていた」。ここではダレスに結びつくもう一つのルート;ダレス―国際決済銀行理事ヤコブソン(スウェーデン人)-同銀行日本人駐在員-駐スイス陸軍武官岡本少将(ハックの取っつき先もこの銀行ルート)の動きが詳述され、大統領府を巡る微妙な諜報活動(OSSは大統領直轄だが、国務省、陸海軍は独自の情報組織がある)と終戦工作(ルーズヴェルトからOSSの存在を知らされていなかったトルーマンはこれを遠ざける)がクローズアップされる。 特に印象深いのは天皇制維持がカギであることを新大統領トルーマンに伝え、民意を反映した、“極刑”の決意を翻意させたのは、ダレス→グルー(国務次官補;前駐日大使;ダレスと大統領をつなぐ要石)間に交わされた情報にあったとするところである。
では何故藤村はあのようなストーリーをでっち上げたのだろうか?個人的な功名心もあったろうが「実はGHQのプロパガンダである」これが著者の答えである。つまりGHQは「米側は努力したが、日本側が逡巡しているうちに時間がたち原爆投下もやむなくなった」としたかったのだと。因みに藤村はのちに個人事務所を持つのだが、そのオフィスはCIAの出先機関と同じビルに在り、責任者は元GHQ歴史課員だった!
同じ題材でも結論は大きく違う。正しい歴史認識を持つことの難しさを学ばされた2冊であった。

6)イスラム化するヨーロッパ
仕事を通じてイスラム教徒と初めてつき合ったのは1985年インドネシアの石油ビジネスに関わった時からである。食事はいつも鶏か魚、アルコールは一切飲まなかった。しかし、こちらに宗教的な制約を課すことは皆無だった。また2005年には以前から知り合いだった、クリーブランド在住のパキスタン人家庭に宿泊する機会を持ち、イスラムスタイル(禁酒、ベジタリアンカレー、裸足など)で歓待された。これらささやかな体験から得たイスラム観は決して不快なものではなかった。いずれもそれぞれの社会で存在感のある人々、簡素・清潔で静かな日常生活に好感を持った。
一方で最近話題になるのはいつもトラブルメーカーとしてのイスラムだ。おそらく世界で最もイスラムと縁の薄い島国の日本人ですらこのように感じるのだから、大量の難民が押し寄せる欧州人がそれに戦慄し、複雑な反応を示し始めたのはよく理解できる。そんなヨーロッパの今を垣間見てみよう。これが本書購読の動機である。
著者は読売新聞エルサレム支局長、パリ支局長(2011~2015年)を務めた記者。つまり中東情勢に精通し、直近情報に現地で触れたジャーナリストである。
ここで取り上げられるのは昨年後半から大量流入している難民ではなく、“今そこに在る、内なるイスラム”である。新聞記者らしく、フランスを中心に種々のイスラム系住民を個別にヒアリングするところから、次第に欧州全体の問題に迫っていく。先ず分かることは、多様なイスラムが居ることである。国策も与った労働移民や旧植民地からの移民、それらの二世、政治難民、不法移民、地域的にも中東ばかりではなく、トルコやバルカン、西アジア、北アフリカなど広範にわたる。当然のことながら“イスラム”と一括りに出来ない。しかし、共通することはどこでも本来の国民・住民とは共存できず、二流市民に甘んぜざるを得ないことである。つまり居住、教育、仕事に関して差別が厳然として存在するのだ。イスラムの側にも、スカーフを教室内でも被り続ける女子生徒から狂信的な教導師まで、コーランにこだわる言動は至るところに現れ、受け入れ住民とトラブルを引き起こす。
このような状況に国や地方自治体はどの様に対応しているか?量的な問題は一先ず置いて、カギは“同化”にあるのだが問題累積だ。EUとして一本化(域内移動の自由)しても、受け入れ側には各国事情がある。フランスは「従来から在る慣習、価値観に合せ、それにフランス語を習得してくれれば」と比較的寛容だが、そうでない国も多い。また同化政策に積極的予算を振り向ける国もあれば、不熱心な国もある。一方で宗教上の理由で同化に反発するイスラムも多い。さらに、移民二世のように生まれた国の言語・習慣に馴染んでいても、教育や就職で苦労する現実がある。これが過激派に走る動機になり、内なるテロリスト変じていく。
この様な状況を、ISによる巧妙な若者洗脳や孤立・スラム化する隔離居住地、学校教育の現場などで具体的に説明されると、漠然と捉えてきた欧州におけるイスラム問題が、双方の立場で身近になってくる。本書の読みどころは、この個別事例が多いことで、深刻化する問題を、移住者側、受け入れ側双方の現状を直に伝えるところにある(反イスラム運動の中にも傾聴すべき意見が多々ある)。つまり客観的で新鮮な素材提供に価値があるのだ(結言・提言もあるが建前上はともかく、深耕不足と感ずる;・西欧はキリスト教価値観をイスラム教徒に押し付け過ぎた・イスラム教徒コミュニティを「多様文化主義」の名目で放置した・日本も少子高齢化に備え、前記に留意しながら移民受け入れ態勢を考えるべきだ)。
この素材から達した個人的な結論は(国際的な非難があっても)「イスラムに限らず、少子高齢化と移民・難民受け入れを連結すべきでは無く(ドイツへの大量難民流入の大本はトルコからの労働移民政策に発する)、ハードルは高くていい」と言うことである。北欧は既にこの方向に舵を切っているし、ドイツですら規制を強めることを明言し始めている。そうしなければ、著者も数字をあげているように、2050年ヨーロッパの主要国でキリスト教徒が過半を割り込むことになり、やがて日本も同じことになる。

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