2016年10月12日水曜日

決断科学ノート;情報サービス会社(SPIN)経営(第3部;社長としての9年)-1


本年3SPIN経営第2部(取締役時代)の連載を終えてから約半年が過ぎた。2部をブログアップした直後に九州長距離ドライブに出かけ、その旅行記と<今月の本棚>でかなりの時間を使ってしまい、なかなか第3部(社長としての9年)に取り掛かれなかった。これを書き上げなければ「決断科学の材料を揃えることは出来ない」との思いはあったもののずるずると今日まで来てしまった。秋は近場の海外旅行も含め何かと催事も多く、ここで着手しないと来年にずれ込んでしまう恐れがある。一念発起して第3部をスタートさせることにした。おそらく終わるのは来春になると思うがしばらくお付き合い願いたい。

1.新経営陣
社長就任を東燃社長のNKHさんから内示されたのは19941月、台湾で開かれたプロセスシステムズエンジニアリングに関するシンポジュウムから帰国して間もないころである。社長のSMZさんは非常勤顧問に、東燃同期入社でSPIN取締役としてコンビを組んできたMYIさんも常務に昇格すると聞かされ、もう一人役員候補を考えておくようにとも指示された。迷うことなく、この会社の立ち上げ時から苦楽を共にし、その後は本社システム計画部長を務めていたTKWさんに加わってもらう心づもりにしていた。しかしそのTKWさんが1月末脳梗塞で倒れ、さらに2SPIN生みの親でもあるNKHさんが大株主(ExxonMobil)の意向で社長を解任されることが報じられる。「一体全体SPINのこれからはどうなってしまうのだろうか?」これが社長就任直前までの状況である。
ここに至るまで大株主の東燃グループに対する経営への意思表示が強まっていることはある程度子会社に居ても感じてはいた。特に“本業(石油関連事業)回帰”と“投資効率向上(ROIReturn on Investment)”はその最重点項目であった。この意を汲んでNKHさんは各部門のプロフィットセンター化構想を進めるとともに、子会社にも外に向けた発展と収益拡大を強く求めていた。しかし、石油関連事業の先行きに頭打ち感のある経営環境から新規事業展開への傾注を緩めることはなかった。内外(海外メディアを含めて)でこれが解任の主因と取り沙汰されたし、おそらくそれが正しい見方であったであろう。
3月末の東燃株主総会(東燃の経営年度は1月~12月)が近づいてくると新経営陣の姿が見えてきた。NKHさんは非常勤の名誉会長に祭り上げられ、会長には総務畑出身のIKD常務が昇格、社長は東燃タンカー(TTK)社長のTMBさんが就任、筆頭常務(東燃には専務は無い)にはそれまでシステム計画部とSPINも管掌していたFJMさんが取締役から昇格、新規のSPIN担当はMED技術担当取締役となった。大株主がSPINについてどう考えているかは不明だが、この布陣は私にとってベストメンバーである。IKDさんには川崎工場で親しく仕えたし(工場次長-課長の関係)、TMBさんは若き日々和歌山工場で机を並べて仕事をした入社1年違いの先輩(大学院卒なので歳は3年上)、FJMさん、MEDさんは同期入社である。
この新経営陣とも相談しながらSPINの経営体制を作るのだが、もともと常勤は3人構成と決まっていたので、私とMYIさん以外は新任1名。予定したTKWさんが病のため任用できない穴は東燃石油化学(TCC)でシステム部門の経験が長いHRIさんを登用することになった。この人は1970年入社(大学院卒)で私が1972TCCのシステム部門に出向した時からの知己であったから気心もよく分かっており、経営メンバーに加えることに何の抵抗もなかった。またこのSPIN役員人事と並行してその子会社である東燃システムサービス(TSS;東燃清水工場を活用した計算センター)の社長はMTIさんが兼務することになる。
こうして、大株主から歓迎される形ではなかったSPIN設立の経緯から、今回のドラスティックなNKHさん退任劇に若干の不安はあったものの、何とか前向きな気分で代表取締役としてのスタートを切ることができた。


(次回;広がる顧客と新商品)

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