2017年3月17日金曜日

台湾一周鉄道旅行-20


17 .台湾最終日
韓国に初めて行ったのはソウルオリンピック直前の19889月だった。以来20回近く出かけており、回数から言うと最も多く訪れた外国である。90年代初めまでは日本統治下に建てられた朝鮮総督府(博物館)や京城駅(ソウル駅)も残っていたが、今はいずれも跡形もない。ニューデリーでは英国が建てた多くの石造建造物がそのまま使われているし、マレーシアやインドネシアにも宗主国時代の役所などが観光スポットとしてそれなりの価値を持って活用されている。そして反日を是とする中国ですら、私の誕生に地である新京(現長春)に在り、かすかに記憶に残る、彼らにとって最も忌むべき存在であった、関東軍司令部を吉林省政府機関として利用していると聞く。韓国と言うのはそんな点でも、稀にみる特殊な精神構造の国だと思う。
こんな国と対極にあるのが台湾だ。機能的に用を果たせなくなった駅などの建て替え・増改築は進んでいるが、古いものをよく残し有効に使っている。
1125日(木)いよいよ台湾を去る日である。天気は曇りだが雨になるような重苦しさはない。ホテルロビーで送迎役の黄さんと会うのは1320分。午前中の観光と昼食の時間はたっぷりある。当初からこの日の観光は日本統治時代の名残りと決めていた。久し振りに弁当でない朝食をビュッフェスタイルで摂り(嘉義に次いで2度目)、チェックアウトはせず8時過ぎに外出、ホテル東側の大通り、公園路を南に10分ほど歩く。そこはもう“二・二八公園、1899年に造られた台北公園である。二・二八は1947228日に起きた反国民党暴動を意味するが、公園の歴史は明治につながるのだ。この公園内には、二・二八記念館のほか、1915年にオープンした台湾初の博物館、国立台湾博物館も在る。通勤の人々がMRT台北醫院駅から園内を横切って職場に向かう。日比谷公園を通って霞が関に向かうお役人と何ら変わらない。公園の南端は凱達格蘭大道と名付けられた幅の広い(50m?)大通りが東西に走る。西側を見るとレンガ模様のチョッと東京駅を連想するビルが望まれる。何故か道路沿いには警察官や関係車両が多い。近づいていいものやらどうかわからないので“総統府”と書いた紙片を示すと、件の赤レンガを指さす。人通りは少ないが通行禁止ではなさそうなので建物の前まで行ってカメラを構えるが、特に注意されることもない。しばらくすると大通りを黒塗りの車が何台かかなりのスピードで、例の建物に吸い込まれて行く。どうやら蔡総統のご出勤だったようである。旧総督府は現在総統府となり、今も台湾政治・行政の中心であるのだ。
総統府から同じ大通りを東方向に戻り、ホテルから下ってきた公園路を横切るとこじんまりした洋館が現れる。1901年にできた迎賓館が現在は名を変えて台北賓館となっている。ここをさらに東へ進むと中山南路と言う大通りに直交する。この交差点に東門(景福門)が在って、北に向かって大きな区画が台湾大学附属病院で占められている。元の台湾帝大医学部で、本館は巨大な新しいビルだが、周辺には明らかに戦前のものと思われる建物がいくつも散在している。
今では日本でも見ることの少なくなった明治・大正の西洋建築を2時間弱の散策で楽しむことが出来たのもこの地を訪れた収穫であった。
一旦ホテルに戻り、11時にチェックアウト。荷物だけ預け、近くの新光三越と言うデパートへ出かけ土産物を探すが、これと思うものが見つからない。最後の空港に賭けることにして11階の中華レストランで昼食を摂る。日本のデパートの食堂と同様丁寧なサービスと上品な雰囲気が良い。チーフウエートレスのようなおばさんは日本語を解し適切なアドヴァイスをしてくれる。味も分量も値段も満足。13時にホテルに戻って荷物を引き取り、黄さんに空港まで送ってもらう。空港で求めたお土産は結局お茶であった。
終わりよければすべて良し!そんな台湾の最終日であった。

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(次回:旅の総括)

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