2017年6月30日金曜日

今月の本棚-106(2017年6月分)


<今月読んだ本>
1) 地下道の鳩(ジョン・ル・カレ)-ジョン・ル・カレ回想録-:早川書房
2America’s Pursuit of Precision Bombing, 19101945Stephen L. McFarland):Smithsonian Institution Press
3) 週刊誌風雲録(高橋呉郎):筑摩書房(文庫)
4)工学部ヒラノ教授のはじまりの場所-世田谷少年交差点物語-(今野浩):青土社
5)クラウド時代の思考術(ウィリアム・パウンドストーン):青土社
6)自民党-「一強」の実像-(中北浩爾):中央公論新社(新書)

<愚評昧説>
1)地下道の鳩-ジョン・ル・カレ回想録-
-初級スパイだった巨匠スパイ小説家の独白、小説を上回る面白さ-

有名人、特に政治家や外交官、軍人の伝記・評伝・自伝は、かなり自画自賛や信奉者のバイアスがかかるものも多いが、歴史の裏面に触れられので、好みのジャンルの一つである。しかし、作家となると、軍事サスペンス小説以外興味がないので、ほとんど読んでいない。作家の場合はむしろ作品の裏話や取材ノートの方が面白い。特に印象に残るのは山崎豊子の“「大地の子」と私”で、文革後変転する胡耀邦との関わり(かなり高いレベルの支援があった)など「こんな関係だったのか!そこから得た情報があの場面で行かされたのか!」と作品に関する興味が倍加した。
本書は、当代随一のスパイ小説家ジョン・ル・カレの自伝的回想録である。自らの生まれ育ちと経歴を、必ずしも時間的経緯にとらわれず、作品に関するエピソードや自らの思いあるいは著名人との関わりを交えながら記したもので、上述した伝記としての興味深い断面を垣間見るとともに、作品の背景を知る楽しみがミックスされた、ユニークな読み物である。当然並みの書き手ではないから、新作のサスペンス小説を読んでいるような緊迫感が最後まで持続する。
ル・カレがオックスフォード大学出身で一時期対外秘密情報部(MI-6)に所属していたことはよく知られている。確か第3作目であった「寒い国から返ってきたスパイ」が1963年英国推理作家協会のゴールドダガー賞(最優秀賞)を受賞し、その後作家に転じている。この経歴(学歴、職歴)から推察できるのはアッパーミドル階級出身者ではないか、と言うことである。しかし、現実は労働者階級の“詐欺師”の息子なのである。見栄っ張りで外見を繕うために、ほら話に近い儲け話でカネをだまし取り、何度も収監されながら息子たち(兄が一人いる)に一級の高等教育を授けたのだ(授業料が真っ当に支払われていなかったようだ)。母はこの夫に愛想をつかし、ル・カレが子供の時に家を出てしまっている。この少年時代の話は、終わりの方でかなり克明に説明される。
ル・カレはオックスフォード卒業後、名門のパブリックスクール、イートン校でドイツ語教師になっているが、このドイツ語の能力と複雑な生い立ちがMI-6の関心を惹き、(ごく初歩的な)スパイとしてリクルートされ、末席の外交官として冷戦下のドイツに送られる。この滞独経験を基に書いたのが「寒い国から返ってきたスパイ」である。
ここに登場するスパイ、MI-6ベルリン支局責任者アレックス・リーマスは現役の工作員としては高齢ゆえに帰国を命じられ閑職に追いやられるが、その処遇に不満が募る。調査で知り合った図書館の司書補で共産党員の女性とそれと知らずに親しい関係になり、やがて東側の二重スパイに転じる。本書の中でこの筋が語れることはないが、映画化の話が面白い。主演はリチャード・バートン、このとき既にエリザベス・テーラーとの仲は微妙な段階にある。バートンは司書補役をテーラーに当てたいと思っているし、テーラーもそれを望んでいるが、監督が選んだのはクレア・ブルーム。バートンは納得して役に徹するが、テーラーはロケ地にも現れ、バートンの集中力を乱す。「何でこんな所へ来るんだ!」と怒りを露わにする。
有名になると著名な政治家との付き合いが出来たり、取材に興味を示したりする。サハロフ(ソ連水爆の父)、アラファト議長(パレスチナを題材にした作品のために取材ルートを探り、幾重にもわたるセキュリティチェックを受けながら、本人との会見を実現する)、サッチャー首相、みな彼を小説に描かれた本格的なスパイと誤解している。ソ連邦崩壊前後には訪ソを許されるが、終始KGBに付きまとわれる。
当に“事実は小説より奇なり”通りの内容にグイグイ惹きこまれた。一方で取材にここまで力(カネ、時間だけでなく生命の危険まで)を入れて書かれた作品が面白くないわけはない、と納得させられた。
因みに“地下道の鳩(The Pigeon Tunnel)とは、モンテカルロのカジノの地下にある射撃用のトンネルの意;崖ふちに作られており、海側は明り取りの窓があり、そこから鳩が出入りする。射手がそれを狙って発砲する。著者が前々から作品の題名として考えていたとのこと。

2America’s Pursuit of Precision Bombing, 19101945
-精密爆撃の夢を追い求めた男たちの戦い-

“二階から目薬”と言うことわざがある。思うようにいかずもどかしいこと、効果の少ないこと、を意味する。爆撃機から目標に向けて爆弾を投下するのはこの例えがぴったりの行為なのである。日本人にとって爆撃と言えばB-29、そしてそれによる無差別絨毯爆撃と原爆による大量の都市住民殺戮を思い浮かべるのは、実際の被害者を身近に持つか否かにかかわらず共通認識だろう。こんな惨劇が起こったのも、爆撃精度が思うように高まらなかったことに遠因がある。
文明国において、戦争で民間人を殺傷することは、近世以降第二次世界大戦までは倫理的抵抗感のある行為だった。爆撃機が第一次世界大戦に登場したときは主に戦場で使われ(ツェペリン飛行船によるロンドン爆撃などあったが)、投弾技術は未成熟だし爆弾搭載量もわずかで、これによる実害はほとんどなく、心理的効果が専らだった。しかし、この戦争で航空機の兵器としての有用性が認識され、やがて戦略空軍論が一部の先駆的な軍人や軍事思想家によって唱えられると、そこには戦場ばかりではなく、戦争を支える軍事拠点(軍都、要塞など)、軍需産業(兵器会社、製油所など)の所在地や交通の要衝(操車場、橋梁など)が爆撃主要目標として重視されるようになる。軍事行動の策動源や隘路を一気に叩いて、早期に勝負を決することにより、(第一次世界大戦のような)大量の人的損害を避けられるという考え方である。確かに爆撃精度が高ければこの論の通りのだが・・・。
これを受けて、近代戦争倫理観と戦略空軍論が精密爆撃の手段開発を邁進させる。本書はその最も決め手となる(はずであった)爆撃照準器の研究開発と実用化の歴史を、主に米国に焦点を絞ってまとめたものである。結論を先に言おう。第二次世界大戦において、理想的な爆撃照準投下器は見果てぬ夢、結局爆発威力の高い爆弾開発(究極は原爆)や無差別とも思える絨毯爆撃に行きついてしまった。
弾道学と言う学問がある。易しい問題は高校の物理でも学ぶ。ある重さの砲弾を、ある量のエネルギーで、ある角度をもって発射する。空間は真空で空気の抵抗はない。どんな弾道を描き、どこまで飛ぶか?実際の造兵学(兵器工学)では当然、空気が存在するし、温度・湿度・気圧や風の影響も加わる。砲弾と砲貢(砲身)の摩擦も使用時間とともに変化する。目標距離・方角を定める計器(測距儀)も環境に影響を受ける。大地に据えられた砲ならば基盤は一応固定と考えられるが、艦船では揺れや移動も考慮しなければならない。博士論文クラスの難題である。
爆撃機からの爆弾投下を上記になぞると、最初は自由落下問題で弾道より簡単だが、高高度を高速で動く物体からの投下問題にして、現実の環境に適用しようとすると難しさは、天候(この影響は陸海もあるが桁違い)、飛行機の三次元の動き、目標発見の困難さが加わり、陸上や海上に倍加する。実戦になれば対空砲火や敵戦闘機の迎撃もあり、投下のタイミングは限られる。それを避けるために高度を上げれば照準はさらに難しくなる。
初期のものは光学式の簡単なものからスタートするが第二次世界大戦末期のものは、各種コンピュータが組み込みこまれ、爆撃行程に入ると爆撃手の照準操作に操縦装置が連動する電子式照準・操縦・投弾システムになっていく。この究極の照準器はノルデン爆撃照準器M15(陸軍航空軍;事実上の空軍)と称するもので、機密度が高く戦後しばらくその存在さえ一般に知られることはなかった。だが、ここまでの技術開発で命中度は改善されていくものの“精密”には程遠いものだった(環境の整った射爆場でも1000フィート(300m)くらいのずれは当たり前)。
米国における爆撃照準器開発は初期には、陸軍はスペリー社、海軍はノルデン社と組んで始まる。スペリーは既にジャイロスコープ(コマの回転運動を利用した方位測定器;一種の羅針儀)のメーカーであったことからこの世界に入ってくる。ノルデンはオランダ移民の機械技術者、若い頃一時スペリーに身を置くが独立してある種の個人発明家として海軍の照準器開発に加わる。ただ、最後までオランダ国籍を離さず、設計作業も母親が住むスイスで行うことが多く、のちに機密保持問題を生ずることになる。陸/スペリー対海/ノルデンのライヴァル意識はかつての帝国陸海軍以上で、技術的には常に海/ノルデンが先行しているのだが、なかなか互いに手の内を明かさない(特に海軍チーム)。本書の面白さの一つがこの二つのグループの競い合いである。
海軍はもともと戦略空軍的な考え方が希薄で、敵艦隊との戦いが爆撃機の戦場である。そのために雷撃(魚雷)・水平爆撃・急降下爆撃の比較研究を綿密に行い、最も効果的なのは急降下爆撃と評価する(数値が示されるが決定的に差がある)。爆撃照準器はそれぞれのタイプに異なるものが必要だが、雷撃や急降下爆撃の照準器は簡易なものの方が実用性が高い。一方陸軍航空軍も急降下爆撃と水平爆撃を行うが、急降下爆撃は地上軍の支援で本来の軍事中枢を狙う戦略空軍思想からすれば脇役。最も高度なノルデン照準器は水平爆撃用であるから、陸海が争うことでは本来ないはずだが、知的財産権(非公開ではあるが)問題などを盾にして陸軍に最新技術を渡すことに抵抗する。このあたりの海軍のいやらしさは読んでいて辟易とされるほどだ。
それでも戦争が激しくなると政治家などが動いて、やっとノルデン照準器が陸軍にも回るようになる。しかし、それほど望んだものであるにもかかわらず、意外と手持ち在庫が増えていく!主因は複雑高度化した操作や整備に手間がかかる割に旧式と爆撃精度がそれほど変わらないことにある。「米軍は昼間精密爆撃に専念する」英国に対してそう宣言した手前、ヨーロッパ戦線では最後まで昼間爆撃にこだわるが、民間人への被害と言う点ではとても“精密”とは言えないのが実態だ。言い訳は「戦争支援に直結する市民の家を焼き払い、戦意喪失に追い込んでいる」であり、これは英国の夜間無差別爆撃でハリス爆撃機軍団長が常々口にしていたことと同じである。その果てが、太平洋航空軍の司令官となったカーチス・ルメイ(爆撃手出身)による我が国都市爆撃、原爆投下になる。
著者は、期待通りの“精密爆撃”が実現したのは、湾岸戦争におけるTVやレザー利用のスマート(誘導)爆弾の登場以降だとしている(これも精度を欠くとの証言が多々ある)。
特殊な分野の本だけに人に薦めるようなものではないが、爆撃精度に関する数値や図表が充実しており、チョッと得難い内容の濃い本である。

3)週刊誌風雲録
-新しいジャーナリズム、週刊誌誕生裏面史-

ゴールデンウィーク直前週刊文春(54日・11日特大号)の新聞広告を見て目を見張った。かつて親しく仕えた元東燃社長の中原さんが、安倍首相の運勢をしばしば占い、首相も認めているほどよく当たると言う“仰天スクープ”記事である。早速、何年も買ったことのない週刊誌を近くの書店で求めた。読んでみると悪意を感じるほどの内容ではなかったが、当然「安倍さん!そんなことで良いの?」の意は込められていた。
中原さんの占星術(本誌によれば、占星術・四柱推命などを組み合わせ、独自に考え出した手法)は私にとって忘れられない。東燃グル-プに在って情報サービス子会社の創設に関わり、後年はその経営を任された。その創立日はこれによって決せられたのである(いくつもの星を線で結んだ天球図のようなものが額縁に納められ、歴代社長室に掲げてきた)。ご利益は確実にあり、業容(人員・売上・利益)は概ね右肩上がりで推移、無事役目を果たして退任できた。けばけばしい広告、断定的なキャッチコピー、責任逃れの?やこけおどしの! とても良質なジャーナリズムとは思えないが、時にはこんな面白いものもあるのだ。
本書を書店で見た時も“週刊誌+風雲録”にうさん臭さの二乗を感じたものの、帯にある扇谷正造、草柳大蔵、梶山季之は若い頃物書きの世界では評判で、何冊か彼らの書いたものも読んだことがある。懐かしさもあって読んでみた結果「これは立派なジャーナリズム史だ!」との印象を強く持った。
先ず一般週刊誌(経済誌は別)の誕生や歴史的変遷が良く分かる。戦前は週刊朝日とサンデー毎日の2誌しか存在しなかったこと(両誌とも1922年創刊)、当時の内容は「ニュース解説誌」的な性格が強かったこと(ウィークリー誌が欧米に存在したことから両社がそれに触発される)、対象読者は主に知識人、記者たちは新聞記事の二番煎じに近い週刊誌担当に回されることを喜ばなかったこと、などを知った。
最初の歴史的変革点は終戦直後(と言っても昭和22年)、週刊朝日の編集長に扇谷正造が就任するところにある。朝日トップの意図は紙の統制令(分野別配分枠)で新聞の発行部数に制限があるのを“出版枠”で確保し売上を伸ばすことにあった。そこへ社会部記者のエース、扇谷を投入するのである。無論扇谷はこの人事に不満、辞職を決意するが、家族を養うために結局それを飲む。彼が始めたのが有名作家の連載小説と対談“徳川無声の「問答有用」(400回つづく)”、これに大衆向けニュース特集を組み合わせる。想定読者層は旧高等女学校(5年制)2年程度の読み書き能力と10年の人生経験を持つ中年主婦。この編集方針(ホーム・ジャーナル路線)が大当たりし週刊朝日の全盛期を作り出す。
次の変革点は昭和31年(1956年)の週刊新潮の創刊。それまで新聞社の世界だった週刊誌に出版社が参加した意義は大きい。文学はお手のもの、これに映画・TV・演劇・音楽・美術・スポーツなど新聞社が得意でない分野を掘り起こし、ゴシップ記事などに仕立てる。自社内に取材パワー(記者)を持たない出版社に契約社員さらには請負チームが加わることで、報道・出版ジャーナリズムの在り方が大きく変わっていくのだ。ストリート(大衆)・ジャーナリズムの誕生である。草柳大蔵(共産党員→大宅壮一門下;新潮→女性自身)、梶山季之(純文学→トップ屋;文春)等はその先駆者である。読売労働争議で飛び出した徳間康快の始めた、風俗もので売るアサヒ芸能が出るのは週刊新潮創刊の少しあと。昭和33年に文春が新潮に対抗して週刊文春を発行。大手出版社では講談社が週刊現代、小学館が週刊ポストと続く。昭和30年代は当に週刊誌ブーム;週刊平凡、週刊明星、週刊女性、週刊大衆、週刊実話、女性自身、平凡パンチ、朝日ジャーナルもこの時代だ。かなりのものが百万部売り上げを達成する(50万部が損益ライン)。
語られるのは歴史だけではない。諸誌の発刊の動機や特徴が語られ、それを作り上げた経営者、編集者、ライターの経歴や考え方・生き方にもおよぶ。当に“人ざまざま”、普通のビジネスパーソンとは異なり皆個性が強いし、それを存分に発揮している様子が臨場感を持って伝わってくる。多くが著者と直に接した人々だからである。
著者は昭和33年(1958年)光文社に入社、女性自身、宝石などの編集(編集長を含む)に長く携わった人。女性自身時代草柳大蔵に薫陶を受けている。本書は2002年(平成15年)オリジナルの単行本が発行され、平成18年それが文春新書になり、本年文庫本として復刻した経緯があり、最新の週刊誌状況とは異なる(最近発行部数を公開しなくなった;著者は大幅低下に因があると推察)が、いまだに影響力のあるジャーナリズムの一角(特に大新聞には無いゲリラ・ジャーナル)を占める週刊誌を理解する上で、確りした内容のものと評価する。

4)工学部ヒラノ教授のはじまりの場所-世田谷少年交差点物語-
-国際A級学者の熱き少年時代-

今年の1月中旬中学・高校と一緒だった友人に40数年ぶりに会った。きっかけは本欄で紹介した油井正一著「生きているジャズ史」だった。彼の父は歯科医、洋画や軽音楽が趣味で、家には当時は珍しい電気蓄音機があり、数々のアメリカ軽音楽のSPLPを聴くことが出来た。入り浸ると言うほどではなかったが、それが楽しみでよくお邪魔した。こんなあるとき話がグレンミラーにおよびそれに関する話題を本欄に書いたところ、「会おう!」となった次第である。慶大医学部を出て北里大学教授を務め上げた彼は現在横浜のクリニックにパートで勤務しており、近くのすし屋で一杯やりながら旧交を暖めた。当日彼がプレゼントしてくれたのは数枚の手製のジャズCD、私が贈ったのは高校時代一緒に観た映画「ベニー・グッドマン物語」のプロだった。持つべきものは良き友である。
本書はおなじみの“工学部ヒラノ教授”シリーズ最新版である。パッと見てまず目が向いたのは副題の方である「世田谷少年交差点てなんだろう?」と。中学生時代友人たちがよく寄り集まっていた家(家庭)がその交差点なのである。
既刊シリーズの舞台は、夫人を看取るまでを描いた“介護日誌”を除けば、常に大学だった。その介護日誌にしても大学勤務時代のことである。だからこそ“工学部ヒラノ教授”がシリーズ名になっているわけである。しかし、今回は中学校時代が中心でそれに直結する高校生活までを物語る内容になっている。無論大学も出てくるのだが、それも中学との関係においてである。その意味で副題は重要な意味を持つし、私を惹きつけたように効果的な役割を果たしている。
静岡の公立小学校で学んでいた少年が入学する中学校は東京学芸大学付属中学校、進学校として有名なこの学校に転じたのは孟母(そして猛母)の魂胆。静岡に居たのでは一流高校さらにはその先にある東大に受からないと。父と次男(のちのヒラノ教授)を静岡に残し、先ず秀才の兄のために東京に別居したほど教育・学校にこだわる先例がある。地方国立大学の助教授である父は薄給、ただでさえ経済状態はカツカツなのに、離れ離れの二所帯では限界状態。中学受験を何とかクリアーしたものの、もともと教育に関心が高く(ここはヒラノ家も同じだが)、文化的な環境に満ち経済力にもゆとりのある家庭の子女が多い中では異端者。初めて触れた都会育ちの知的雰囲気とこの経済状態の差が少年を苛む。「成績で一番(孟母はこれしか評価してくれない)になればいじめにあわず、仲間に加えてくれるのではないか?」少年の必死の努力が報われ、やがて“交差点”となる友人(エトイチ)を得る。
エトイチの家庭は、戦前に毎日新聞社の米国特派員だった父親、現地育ちの日系人の母親、友人とその妹の4人家族にお手伝いさんが居る。母親も仕事を持ち、アメリカ大使館勤務、アメリカ車(ダッジ)で通勤している。まだ占領期の余韻が残る時代、まるで別世界に迷い込んだようだ。豊かでおおらかなこの家に同級生たちがいつも出入りしている。その仲間に加われたことがヒラノ少年(コンチン)のその後の人生に大きく影響してくるのだ。
しかし、孟母はここに入り浸るヒラノ少年に厳しく当たる。美味しい夕食をご馳走になったことがばれたりすると怒り心頭。コチコチの共産党信奉者である孟母は「新聞記者は資本家の手先!大使館勤務はアメリカの手先!」と交差点出入りをなじる(この孟母の生きざまも本書の読みどころ)。だから、家に帰って無理やり粗末な二度目の夕食を詰め込んでごまかしたりする。
本書の主役はエトイチとコンチンだが、名脇役を務めるのがエンザン(佐藤精一;本書では種明かしはないが、間違いなく経済学者でエコノミストの斎藤精一郎)。満州からの引揚者のため1年遅れと言うこともあり、いささか大人びている。かなり前だがTVでしばしば見かけていた斎藤精一郎のイメージとは異なり、男気に満ちた気持ちの良い人間だ。受験をなめて高校(日比谷)入試に失敗したコンチン(翌年編入試験に合格)を交差点仲間につなぎ、ラグビーにのめりこみ過ぎて大学入試に落ちたエトイチと孟母恐怖症が福に転じて合格したコンチンを取り持ってくれるのもエンザンである。このエトイチ浪人中も中学時代の仲間が交差点に出入りし、本人が自室で勉強中、母親を交えて麻雀に興じるシーンなどびっくり仰天!何があっても人やクルマの流れが止まることのない交差点そのものである。ここで語られる中学から高校に至る熱い友情物語は(もうほとんど知る人もないだろうが、母の実家に何冊かあり小学生時代夢中で読んだ)サトウハチロウの熱血少年小説を彷彿とさせる。
エトイチ(化学者)の本名が誰なのかは最後まで分からなかったが、中学では大宅映子や町村信孝(同じ中学卒業の後輩;故人)の兄(早逝)などが登場するし、高校では野口悠紀雄のダントツの秀才ぶりが紹介され、これら実在の人物の少年・少女時代を垣間見るのも一興。エトイチ、エンザン、コンチンの交友は、数々の波乱を超えて今に続く。
初めて系統立って紹介されたコンチンことヒラノ教授の少年時代、同世代だけに重なるところまるで違うところ(特に知識階級が住む世田谷と商人の街上野界隈の違い)を自分の少年時代と対比しながら最後まで楽しく読んだ。私にとってシリーズの中で“介護日誌”に次いで深く記憶に残る一作となるに違いない。大人への不安と期待が交錯する、多感な中学生時代。それぞれの記憶を思い起こすに格好の覚せい剤、同世代の方々にお薦めする。

5)クラウド時代の思考術
-高所得につながる良質な知識を如何に得るか-

二人の孫(9歳;小学4年生、5歳;幼稚園年長組)が我が家にやってくると、私の部屋へ飛んでくる。私に会いたいためではない、PCで遊べるからだ。狙いはユーチューブのアニメや童謡の動画である。家ではPCを使わせてもらえないので(幼いうちは「壊れている」で騙されていた)、ここが彼らにとって唯一のPCアクセスポイントなのである。初めは私が二人の要望を聞いて、それなりの画面まで展開していったが、今では上の子は、グーグルから入る手順をすっかり覚えてしまっている。これを通じて、最近は分からないことがあると、グーグル検索で調べることまで気が付いてきており、「これはチョッとまずいかな?」と思い始めている。自らの体験として、欲しい(正しい)情報に苦労してたどり着くところに、学習・思考能力向上効果があると考えるからである。
制御工学を学び、その入り口でノーバート・ウィーナの“人間機械論”に触れて以来、思考機械(コンピュータ)、さらに“思考と機械”の関係へと興味は発展していった。ここまでの段階は(最も不得意とする)神経科学・生理学あるいは電子工学・数理工学見地からの考察が主体だったが、インターネットが普及してくると、この問題は社会科学的な角度から様々な展開を見せ、最近は人工知能(AI)とも相俟って百花繚乱・百家争鳴の感を呈している。本欄でも「クラウド化する世界」「ネットバカ」「オートメーションバカ」「ビッグデータの正体」「ロボットの脅威」「ビッグデータと人工知能」などを取り上げるとともに、一旦機械を離れて人文科学面から「思考の整理学」「思考のレッスン」「乱読のセレンディピティ」などを紹介してきた。本書もその一環として手に取ることになった。
上に取り上げた本はいずれも“読み物”であった。そして本書も一応読み物の体裁をとっている。しかし、それ以上にこれは“奥の深い”データブックであり、研究報告書である。その意味で読み物としての面白さを欠く。だが、面白い!米国人の常識はどの程度か?その常識はどこから得られているか?情報源によって常識の質に差があるか?記憶に確り残るのはどんな情報源から、いかなる手段で得たものか?極めつけは“常識と所得(資産ではない)に関係はあるのか?”、を各種メディアを中心に徹底的に分析する。答えは「関係があり」だ。健全な常識を備えた人は、偏った情報しか持たない人に比べて相対的に高所得なのだ!如何にも米国らしい!
白紙の世界地図がある。国境線は引いてある。どこが米国か?どこが中国か?どこがアフガニスタンか?どこがシリアか?と問う。米国や中国はたいていの人が正しい回答をする。しかしアフガニスタンやシリアを知らない人が多い。そしてそんな人ほど派兵に賛成する者が多いし、国境フェンス賛成派だ。彼らの日常的なニュース入手手段は何か?頻度は?メディア王マードック傘下のFoxテレビやCNNに大きく依存する人々は、NYタイムズ、ウォールストリートJの読者、さらには客観的なニュースを流すNPRと言うラジオ局の聴視者に比べて知識が少ない。つまり、所得が低い。
上記の事例はその一つだが、設問と回答分析対象は、全米共通学力標準(コモン・コア)カリキュラムに関することから、有名人の写真判別、各種の数値(例えば米国の財政赤字額、所得格差や栄養価の推定)、絵文字や頭字語の判定、スペルや発音の正誤、科学知識、宗教問題などあらゆるジャンルにおよぶ。その結果をミレニアム世代(1980年代~2000年代生まれた人)の知識形成に焦点を当てて、ディジタルコモンズ(電子情報の共有地)に外部委託すること、さらには自分好みの情報収集体系をカスタマイズすることへの危険を訴える。
だからと言って、著者はWebによる情報収集を否定的にとらえているわけではない。要は、良質な情報をバランスよく(自分の興味のない分野や異なる考え方にも触れる機会を作り)入手する方法を確立せよと主張し、自らのやり方を最後に例示する。実はNYタイムズやウォールストリートJの読者はFoxTVも見ているが、FoxTVの視聴者に両紙の購読者が少ないことが、知識の偏りを生んでいることも明らかにする。この「好みや専門外にも関心を向けて」との考え方は「思考の整理学」で外山滋比古が述べていることと全く同じである。それにしても“知識と所得”の関係に着目した発想法は見事だ!孫がもう少し成長したら、是非このことを教えてやりたい。

6)自民党-「一強」の実像-
-世界でもまれな長期政権党の秘密に迫る研究書-

中学に入学直後(1956年)のあるとき同級生と「将来何になりたいか?」を語り合ったことがある。私の答えは「鉄道技師」だったが、一人「政治家」と答えたのが居た。政治家がいかなるものかは年相応には知ってはいたが、それを職業とするなど考えたことのない世界、びっくりした。彼も私も越境入学者、同じ常磐線で通っていた。3年生を目前にした19583月スターリンが急死し株が暴落した。株の知識など全くなかったから「死んで株価が動くような政治家になりたい!」との彼の一言が再度私を驚かせた。彼の家は茨城県取手近郊の名家、支持政党は自民党だと言っていたが、卒業後全く名を聞くことはなかったから、政治家の夢は叶わなかったのだろう。当時の我が家は未だに満州からの引揚ハンディキャップを引きずる貧困家庭、両親の影響(特に父親)もあり、自民党に抱くイメージは“豊かな既得権益者の政党”、忌むべき存在であった。そしてその思いはその後も続いている。
だからと言って、共産主義を信奉したりガチガチの(消滅した)社会主義政党による政権を願っていたわけではない。否、国政選挙のたびに誰に投ずべきか煩悶するが、掲げる政治理念では自民党が最も私の期待するものに近い。特に改憲、自衛隊を国防軍とすることが、生きているうちに実現してほしいと切に願っている。
一方で嫌悪し(政策ではなく、主に政局面)、他方で期待する(特に、大まかな視点からの安全保障や経済政策)、複雑な思いが去来するこの政党を唯一評価するのは、幅の広い考え方(他党との連立を含む)を最後は一本にまとめてしまう、ある種の包括力である。日本新党も新生党も民主党も政権をとるまでの政党で、政策を一本化できず、とても国政を託せるものでないことを露呈した。では、自民党は何が違うんだろう?“無党派”が1位を占める昨今、自民党はどうなっていくんだろう?と考えている時に本書が発売された。
政治理念も政治家になる動機も様々な人たちが、一つの党に結集出来てきた主因の一つが派閥である。本書はこの派閥の変容から始まる。中選挙区時代、同じ選挙区から複数の党員が出馬する。公認を得ること(無所属で当選後公認されるケースを含む)、資金を獲得すること、に有力政治家とのコネクションが不可欠だ。良いポストを確保するためにも派閥の力が決め手なるになる。領袖が総裁・総理を目指すためには、ある程度まとまった数が必要だ。こうして恩顧主義(イデオロギーではない)をベースとする集団が出来上がる。それ故にまとまるべき時にはまとまれるのだ。それが崩れてきたのは、小選挙区制、政治資金規正法とこれとセットになった政党助成金による党組織への集権である。現在一部復活の兆しはあるが、往年の派閥ほどの結束力はない。
国政選挙においては小泉政権下の郵政民営化の候補選び(刺客)に見るように、確かに中央の統制力が強まったようにとれるが、実は地方組織こそが他党との差別化因子である。県議会・市町村議会は無所属系を含め圧倒的に自民党が制している。国政が短期間他党に移っても、逆転のエネルギーは温存されているのだ。
加えて個人後援会の強さ。私が生理的に自民党に嫌悪感を持つ大きな理由の一つは世襲議員の多いことである。4世・5世(戦前を含む)まで誕生、確実に政治家が家業になっている。本書ではこの世襲と公募についても分析を行っているが、世襲議員が逆風に強いことを種々の角度から探る。大敗した2009年の総選挙では広義(子・配偶者以外を含む)の世襲議員が50%を超えているのだ!特に浮動票が相対的に低い地方では後援会を通じた固定票ががっちり固められる。既得権温存の象徴的な数字である。
以上は私が最も政治に関わる瞬間、選挙中心の一例に過ぎないが、浮動票による未知の政治環境出現が世界的に生じているとは言え、この党が簡単に第一党の座を長期に失う兆候は見えず、その底力を本書できっちり教えられた。
私の理想とする政治形態は、欧州に多く存在する社会民主的な政党が出現して、保守・革新が競い合うような形である。国家安全保障や外交政策では大きな違いはなく、経済(税を含む)や社会福祉政策で争う2大政党制が望ましいと考えるのだ。しかし、本書を読んで自民党一強の背景を知り、現今の野党の言動を見ていると、理想社会実現は残念ながらほとんど不可能ではないかと思えてくる。
総裁選のからくり、派閥の意義と変化、政策決定のプロセス、ポスト配分、財務内容とその量・質の変化、友好団体(経団連など)との関係、地方組織と個人後援会など、選挙以外の自民党の内部実情を歴史的変化もたどりながら明らかにする。好き嫌いに関わらず今の自民党を知るためには必読の書と言っていいだろう。
極めてクールで良質な研究書である。親自民でもなければ反自民でもない。筆致がジャーナリスティックでないのが特に良い。この種(政治物)の出版物(特に新聞、評論)にありがちな煽情的表現は皆無である。情報・データの出所がはっきりしており(聞き取り調査に匿名部分はあるが)、著者の恣意的なバイアスは感じない。だから、自分と同じ考えに触れ「我が意を得たり」と思いたい人にはお薦めしない。
著者は政治史・政治論を専門とする一橋大学教授。本書の内容は科研費研究成果の一部である。


(写真はクリックすると拡大します)

0 件のコメント: