2017年7月31日月曜日

今月の本棚-107(2017年7月分)


<今月読んだ本>
1) 爆撃機恐るべし(飯山幸伸):光人社(文庫)
2)アウトサイダー(フレデリック・フォーサイス):角川書店
3)歌謡曲が聴こえる(片岡義男):新潮社(新書)
4)世界史を創ったビジネスモデル(野口悠紀雄):新潮社(選書)
5)英国諜報員 アシェンデン(サマーセット・モーム):新潮社(文庫)
6)知られざる皇室外交(西川恵):KADOKAWA(新書)

<愚評昧説>
1)爆撃機恐るべし
かつてどこの陸軍にも騎兵と言う兵科があった。古来欧州では貴族階級(荘園主)がこの兵科の主体であり、階級を超えてあこがれの兵科になっていく。チャーチルも士官学校卒業後騎兵に任官しているし、西部開拓史の伝統もあり米陸軍でも最も競争が激しいコース、のちに第2次世界大戦の猛将として知られるパットンも士官学校卒業後騎兵科に進んでいる。我が国では“坂の上の雲”の主人公、秋山好古も騎兵、コサック騎兵と戦いを交えている。しかし、この花形兵科は名前こそ残ったものの(米陸軍第一騎兵師団は現存)第2次世界大戦では、実質機甲・装甲兵に転換、ベトナム戦以降は機動(ヘリコプター、装甲車両)陸戦部隊に置き換わっている。つまり、消滅した人気兵科なのである。
3の軍種として誕生した空軍は、その独立理念を、敵の政治・経済・軍事の中心地を爆撃し抗戦意欲を喪失させ、早期に戦いを終結させることに依ってきた(現実には数々の問題を抱えながら)。この中核をなすのが爆撃機と位置付けられ、各国ともその開発・実用化に傾注、1970年代まで核兵器ですらこれなくして決定力を発揮できないと考えられてきた。しかし、今や長距離破壊兵器はミサイルの時代、爆撃機の存在は騎兵の馬と同じ運命をたどるのではないか?こんな疑念を反映するのが米空軍参謀総長の出身兵科。1960年初期から80年代初めまでの20年間、圧倒的に爆撃機乗りが多く、その後は戦闘機パイロットが主流になっている。また大型爆撃機の開発は、米空軍では1952年に初飛行したB-521965年初飛行のB11989年初飛行のB2(ステルス爆撃機)、ソ連・ロシアでもこれに対抗するようにTu161952年)、Tu22M1969)、Tu1601981B1相当)などが実戦配備されているが、その後に続くものはない。どうやら役割を終え、消えゆく運命にあるようだ。ならばこの際爆撃機の歴史を整理しておきたい。こんな思いでここ数カ月爆撃機関連の発展史を追っている。本書もその一環として取り上げた。
ここで語られるのは日米の爆撃機事始めから太平洋戦争終結までの変遷である。ただし両者の比較を意図したのだろうか、米軍の4発機(特にB17B24B-29)に関する記述はごく簡単にとどまり、大半の紙数が双発機に割かれている。我が国陸軍では“戦略爆撃”なる考え方は育たず(いずれの国も海軍に陸を対象とする戦略爆撃思想は存在しない)、戦力になった “重爆”が双発の、国際標準から見れば、中型戦術爆撃機に過ぎなかったからであろう。
とは言っても日本陸軍にもそれなりの航空戦略はあった。爆撃対象は専らソ連軍のシベリア軍事拠点である。そのため初期には英仏に学び、のちに独機導入を図るも先方に断られ、ついにイタリアのフィアット双発機を輸入・国産化を試みるが、期待する性能ではなかった。こんな背景から、戦術空軍的(航続距離が短く、反復攻撃で攻撃力を増せば良いとの思想)な爆撃機で事足りとする考え方が大勢となっていく。典型的な陸軍国の発想である。そこから実用化されたのが97式(約2千機)、100式(呑龍;約8百機)、4式(飛龍;約6百機)などの双発“重爆”だが、爆弾搭載量は大戦後期欧州戦線で活躍したP47(サンタ―ボルト)単発戦闘爆撃機にも及ばない非力なものである。航続距離も海軍の96式、2式陸上攻撃機に到底かなわず、渡洋爆撃を行うための航法技術・装置も未熟で、初期の中国戦線や東南アジア戦線では敵の迎撃力がお粗末だったこともあり何とか通用したものの、中途半端な爆撃機運用に終始して終わる。
一方の米国も第1次世界大戦と第2次大戦の戦間期は戦術爆撃用双発機開発が中心だったことに変わりはないが、並行して4発機への関心を高めており当初は沿岸防衛・哨戒用として企図されたB-17を“空の要塞”にまで発展させ、戦略爆撃と戦術爆撃の使い分けを図るようになっていく。本書で詳述されるのはB-25(ミッチェル;約1万機)、B-26(マローダー;約5千機)の2機種の双発機で、特にミッチェルはドゥーリトル中佐による日本本土爆撃を行い、米国の戦意高揚に計り知れぬ貢献をしたばかりか、使い易い戦術爆撃機として大活躍をすることになる。
本書では、これら大戦中に日米それぞれで主力となった双発爆撃機誕生の背景・生い立ちから実戦運用までを、時代に沿って章立てし、数々のエピソードを交えて比較していく。はっきりしてきたことは、一式(隼)、3式(飛燕)、4式(疾風)戦闘機や百式司令偵察機など優れた小型軍用機を生み出しながら、大型機では世界に大きく遅れをとった日本陸軍航空の姿である。残念ながら技術・戦果で爆撃機史に残るものは何も無い。装甲・防弾・防御火器が貧弱な機で、戦陣訓(東條陸相示達)“生きて虜囚の辱めを受けず”によって緊急脱出用のパラシュートも装備できずに戦い、最後は不慣れな洋上特攻で散華した勇士たちにただただ同情の念がわくばかり。「恐るべし」は彼らの本心を吐露しているのではないか、とさえ思わずにはいられない。

2)アウトサイダー
前月のジョン・ル・カレに続いて、軍事サスペンス作家、フレデリック・フォーサイスの自伝である。デヴュー作ドゴール大統領暗殺(未遂)を扱った「ジャッカルの日」は邦訳がなった1972年直ぐに読み、惹きつけられた。翌年のナチスSS逃亡者を追う「オデッサファイル」でその執拗な追及に寒気さえ感じた。しかし、この2作と合わせて3部作と言われる「戦争の犬たち」(邦訳1974年)を読むことはなかった。舞台がアフリカ新興国であったことで興味が持てなかった。それは今も続き、アフリカ物には全く触れる気がしない(未開のジャングルにどうも関心が持てない。多分子供のころから動植物に関心がなく、理科で面白くないのが生物だったからだろう)。しかし、本書を読んで「しまった!」の感を強くし、購入しようとAmazonを当たったが、上巻の古本(1円)が出てきただけであった。
もろもろの理由でBBCを去ることになり(当然本書の中で生々しく語られる)、引き続き海外で活躍できるジャーナリストの道を探るが、適当なところが見つからず、作家に転ずることを決意して「ジャッカルの日」の売り込みを図るが、これもなかなか上手くいかない。やっとのことである出版社で可能性をつかむと編集長に「他にあと2作アイディアを手短にまとめてこい。その二つと併せて「ジャッカルの日」の採否を決める」と言われ、提案するのが「オデッサファイル」と「戦争の犬たち」なのである。つまり、この三つが作家フォーサイス誕生のカギだったのだ。編集長はどこを評価したのか?興味は尽きない。
フォーサイスは私と同学年である(彼は1938年の遅生まれ。私は1939年の早生まれ)。日英の学制が異なるので単純比較はできないが、読み進めながら「この歳でこんなことをしていたのか!(それに引き換え自分は・・・)」と言う読み方が出来るのが先ず楽しい。英国は階級制がついてまわる。彼の家庭は小規模な毛皮商、経済的にはまずまずだが社会の階層としてはロアーミドル、本人の希望は戦闘機パイロットだが、父親が若い時に植民地(英領マレー;ゴム園監督)暮らしをしており、海外への関心が高い。それが縁で、早くからフランスやドイツの家庭に長期ホームステイの機会を持ち、ネイティヴスピーカーと変わらぬ語学力をつける。その後さらにパリに住む亡命ロシア人姉妹にロシア語を学び、これも駆使できるようになる。英語だけでも苦労するわが身とは大違いである。
このような語学の才もあって両親は彼をパブリックスクールに進学させる。しかし、パイロットが本命の彼は、そこに通いながら飛行学校に入学、こっそり操縦を習い単独飛行が可能な技量を獲得する。「オイオイ高校生でそこまで行くかよ!」
パブリックスクールのあとはオックスブリッジである。ケンブリッジ大学のある学寮(カレッジ)に推薦され、学寮長の面接を受けるが、ここで自分の希望がさらなる高度教育を受けることではないと率直に告白する(いわば入学辞退)。超一流大学、卒業すれば階級を上げることもできる。私だったらそちらに行ってしまうだろう。
やがて徴兵年令が迫り空軍を志願すると厳しい選考を何度もパスして、パイロットコースに進むことになる。ここでも容赦なく選別が行われるが、最後の単発ジェット戦闘機(ヴァンパイア)単独飛行まで到達して卒業する(19歳)。希望は最新のホーカー・ハンタージェット戦闘機だが、「あれは空軍士官学校卒業生の世界。お前は植民地めぐりの輸送機パイロットあたり」と告げられ、兵役義務を終えると除隊する。ここまで少年の夢を貫徹できただけでも凄い!実はパブリックスクールを卒業後兵役につくまで半年余り時間がありこの間スペインに滞在してスペイン語もモノにしている!
彼のもう一つの夢は海外。この段階で仏・独・露が母国語同様に使え、スペイン語も分かるのだからいろいろな可能性があるはずだが、父の助言とコネで先ず始めるのが地方紙の記者、ここで新聞記者としての基本をきっちり学び、ロイター(パリ、東ベルリン)、BBC(アフリカ長期取材;ナイジェリアからのビアフラ共和国分離独立など)、と転じていくが、官僚的なBBCに嫌気がさして飛び出してしまう(実際は解雇、30歳)。それでも海外への夢は断ちがたく、アフリカや中東(特にイスラエル;ベングリオン初代首相やダヤン将軍とも面談・取材)へフリーランス記者として取材に回る。しかし、記事内容が英国外交政策に反するために採用叶わず、経済状態は限界に達し、糊口をしのぐためにフィクションを書く(転げ込んだ女友達の部屋で)。これが「ジャッカルの日」である(売り込みを始めるのは1970年、32歳、私はこの年結婚した)。
この略歴からも分かるように「ジャッカルの日」はロイター・パリ駐在員、「オデッサファイル」は東ベルリン時代とフリーランス記者になってからのイスラエル取材、そして「戦争の犬たち」はBBCスタッフとその後のフリーランスジャーナリストとして何度も訪れたナイジェリア連邦・ビアフラ共和国滞在、の知見に基づいて書かれているのだ。特に、ビアフラ独立問題は紙数を割いて、英外務省、それにべったり追従するBBCを徹底的に批判しており、その生々しさ(実在の人名を挙げて)は凄まじい。おそらくこの思いが編集者に伝わったのだろうし、私が「しまった!(「戦争の犬たち」を)読んでおくべきだった」と痛感させられたところでもある。
前月のル・カレ同様、回想録・自伝と称しながら、代表作品以上に面白い。あまりの展開の上手さに、読後感は「どこまでがノンフィクションなんだろう?」である。

3)歌謡曲が聴こえる
クルマの運転が趣味だが、最初に持ったのは120ccのスズキのバイクだった。1963年のことである。これで紀州をあちこち走り回り、風をもろに受けるツーリングの爽快感を味わった。今オープンカーで走るのはもう二輪は無理だが、似たような気分に浸れるからである。著者が1970年代初め「彼のオートバイ、彼女の島」を刊行し“ライダーのバイブル”と言われているのを知ったとき「読んでみたいな~」と一瞬思ったが、一方で「いい歳をして」と言う気もあって、結局読まずじまいで今日まで来た。爾来忘れていた男が、長く会員になっているJAFの機関誌に、クルマにまつわる短編を寄稿するようになり、なかなか洒落た筆致に魅せられ、半世紀前の思いが蘇ってきた。どんな人物なのだろう?最新作は?と。そして手に取ることになったのが本書である。著者経歴を見て驚いた。かなり若い人と予想していたが、同年生まれなのだ。奇しくも今月は、前項紹介のフォーサイスに続き、同級生の目で見た異なる社会に接する機会を持った。こんなところも読書の醍醐味である。これは本書には全く触れられていないが、著者の祖父は広島からハワイへ渡った移民一世、父は二世で、彼も少年時代の一時期彼の地で暮らしたようだ(ただし、まえがきから戦中(岩国)・終戦直後(呉)は日本に居たことが分かる)。若さ(ある種の軽さ、バター臭さ)はこんな生い立ちから来ているに違いない。
本書は201210月より「新潮45」に連載された同じ題名の歌謡曲に関するエッセイ12編を加筆修正し、まとめたものである。
話は1962年(昭和37年)の夏から始まる。夏休みを館山で過ごし、船で竹芝桟橋に戻ったとき、埠頭広場でこまどり姉妹が「ソーラン渡り鳥」を歌っている(実演)のをしばし聴き、それがきっかけで歌謡曲のレコード(7インチ盤)収集を始めるのだ。読み始めてチョッとおかしいと思った。学齢が同じ(私は昭和141月、著者は3月)男がまだ夏休みなのだ。こちらは和歌山工場で教育を終え、現場配属になっていたのだから。その事情は最後まで分からなかったが、あの当時の大学生が歌謡曲を聴くことに意外な感をもった。大方の軽音楽ファンはジャズを中心に洋楽だったからである。取り上げられる歌はもっと古いものもあるのだが、「ソーラン渡り鳥」から始まったのには意味がある。どの曲も7インチ盤で聞いたことが通奏低音のように流れるのだ。
同世代であるにもかかわらず、聴いてきた歌の印象がまるで違う。例えば、私にとっては戦後復興の歌の代表である「リンゴの唄」を“奇妙な歌”と小学校低学年の時に感じたという。どこかに影があると説くのだ。ここからの蘊蓄が面白い。この歌の生まれたのは戦争末期、映画の主題歌として作られた(初めて知った)。つまり負け戦の中での戦意高揚映画、主役は並木路子、この曲を大ヒットさせた歌手でもある。著者が“奇妙”ととらえるのは戦意高揚にしては軟弱な歌詞、メロディーも決して明るくないところにある。加えて、並木の兄姉(三男二女の末っ子)は当時家を出ており、兄の一人は既に戦死している。並木は母と二人であの東京大空襲に遭い、隅田川に飛び込んで九死に一生を得る。だからあの歌は芯の部分に暗いものがあるのだと。無論後付けの部分もあるが、聴くとはなしに記憶にしみ込んだ歌にこんな背景があり、人によってその受け取り方に大きな差があることを知らされた。
歌では「カチューシャ」「青春のパラダイス」「黒いパイプ」「悲しき竹笛」「島育ち」「有楽町で逢いましょう」「再会」「港町十三番地」など、歌手では、岡晴夫、二葉あき子、近江敏郎、田端義男、フランク永井、松尾和子、ナンシー梅木、美空ひばりなど、懐かしい歌や歌手が、「リンゴの唄」同様思いもよらない切り口で見事に料理され、供される。
歌謡曲と言うのは、つまるところ、20代から30代の男女の、①かなえられそうな気配の恋、②どうやらかなえられそうにない恋、③やはりかなえられなかった恋、④かなえられなかった恋への未練、の四つに尽きるとの説は、著者のオリジナルかどうかは不明だが、「なるほど」とあらためて納得した。
題材は一見軽いし、読むのも楽な本だが、その背後に在る環境は半端ではない。母親の考えで、家の各部屋にはラジオが置かれ、一日中どこに居ても音楽が聴こえていたという。また、7インチ盤をはじめとするレコード収集は数千枚におよび、最近はDVDもかなり集めているようだ。これらを基に書かれた本書にそれなりの濃さを感じた。
歌詞は分かっている歌でも、メロディーが思い浮かばぬものはUチューブで再生しながら、本書を楽しんだ。

4)世界史を創ったビジネスモデル
著者に関する記憶をたどると1980年代にさかのぼる。一橋大学教授時代、確か経済週刊誌の寄稿記事だったと思うが、財政赤字の現状と将来見通しを分析する内容で、問題の根源は公共投資ではなく社会福祉政策にあることを、数字を駆使して解説していた。箱もの行政華やかなりし時代、括目させる異論ととれたが、“経営にもっと数理を!”を旨としていた私にとって、導師を見つけた思いであった。爾来雑誌の掲載記事には必ず目を通すようにしてきた。だからといってなかなか専門書を手に取るところまでは行かず、最初に買った本は、ミリオンセラーとなった「超整理法」である。学問(仕事)を効率よく進めるための独創的な創意工夫に、数理経済学者とは別の世界を見ることになり、あらためて著者のファンになった。仕事の効率改善面ではITの先端技術を取り込むことにも熱心で、オタクの領域に達している。この趣味と実益を兼ねたIT活用の日々が本業と反応し、金融工学、フィンテックの先駆者となり、ブロックチェーン、ビットコインの論客として、現在も第一線で活躍している。こんなマルチ人間誕生の裏には、大学院途中まで理系(応用物理)を専攻、そこから何と上級公務員試験の行政職に合格し、大蔵省事務官になる異色の経歴があるのだ。そんな興味津々の人物が、世界史をテーマに取り組み易そうな本を書いた。「読まなくっちゃ」となった。
Amazonから届いた本書を見てチョッと驚いた。単行本で450頁(3cm)もある大作(のように見える)なのだ。“はじめに”を読んでこの厚さの理由が推察できるとともに、「軽いかな(浅いかな)?」の感がよぎった。週刊新潮に2年強(2014年~16年)長期連載された記事をまとめたものであることを知らされたからである。“厚さ”は連載ゆえの繰り返しの多さである。とくに歴史連載物ではどうしても避けられない。“軽さ”は大衆週刊誌掲載と言う点である。内容が浅くなり、かつ興味を持続させるために寄り道しがちになる。そしてこの予感は、ほぼ当たった。全体に冗長であること、著者の日ごろの主張・提言が歴史に舞台を借りて、訴えられているに過ぎないこと、を感じさせる展開なのだ。それでも固い本よりは、楽しみながら読める点がこの種(歴史寸借もの)の著作の取り柄であろう。
本書の構成は、第一部ローマ帝国(カエサル以降)、第二部大航海時代から成り、現在の日本社会の停滞を問題意識の核とし、それを二つの歴史になぞらえながら、衰退の危機と復興の可能性を探る内容になっている。この歴史比較検証は大分前から多くの書き手に取り上げられているが、経済法則に重点を置いているところに、本書の独自性がある。
ビジネスモデル(あるいは社会モデルと言った方が良いのかもしれないが)の基本概念として着目するのは「多様性の確保」と「フロンティアの拡大」の2点、これらがローマでは如何様であったか?大航海時代の、ポルトガル、スペイン、イタリア(ヴェネツィア)、オランダ、英国では?そして現代の日本は?と展開していく。このプロセスで、多様性とは何か?フロンティアとは何か?をその時代に則して掘り下げ、二つの着眼点は必要条件に過ぎないので、これを補い必要十分条件に昇華させるはどのような留意点があるか?を探っていく。
ローマ帝国における多様性;皇帝に属州(植民地)出身者が多かったこと、この背景に属州の自由裁量の余地が大きかったこと(上位収奪型でなく分権型)、さらにそれが可能だったのは強固な官僚制度が存在せず、民と官の役割があいまいで環境変化に対して柔軟な対応が出来たこと、などを例示し、現代の我が国が、少子高齢社会を前にしながら“移民拒否”を是とする風潮が強いことや産業再生機構の過度な介入を批判する。
ローマ帝国のフロンティア;土地獲得の余地が少なくなると、フロンティア領域を交易に転じて、経済規模を拡大することで繁栄を維持する。この歴史解説では著者の1980年代からの主張である“製造業依存軽減(サービス業重視)”や“自前主義批判(農業を含む国際分業推進)”の考え方が色濃く反映されるのは言うまでもない。ここで、フロンティア拡大(転換)に際し、コスト(リスク、犠牲)がかかることを確り留意しているところに、安直な歴史寸借ものにない、著者の経済・経営分析に対する真剣な姿勢がうかがえる。
大航海時代は当にフロンティア拡大史と言っていい。各海洋国家の消長を一当たりしながら、なぜ最後に残ったのが英国だったかを明らかにしていく。大雑把に結論をまとめると、官の統制が弱いところが幸いしたと見る。何しろ私掠船・海賊(ドレーク)を海軍に組み込んでしまい、勝てば官軍・英雄である。これを踏まえ、海洋国家の繁栄は(既得権や宗教の縛りがない)自由な交易によってもたらされ、比較生産費(リカルド)の安いところでそれぞれ特産品を作り、お互いにそれを自由に取引することが理想であると説く。“開国海洋論”である。しかるに我が国は未だに海洋国ではなく単なる島国、“鎖国海洋論”と批判する。だからと言ってTPP賛成派ではない。「あれは自由貿易経済が真の目的ではなく、(今は抜けてしまったものの)米国の対中国戦略だ」と断ずる。
実はこの第2部は後半からは“大航海”を完全に離れ、IT企業(米国)の盛衰をローマ帝国、海洋国家のそれと重ねる(著者も“三つの物語”とことわっている)。ウェスタンユニオン(最大の電信会社、電話の将来性を読めなかった)、IBM(自社製品主義からの脱却が遅れた。ガースナーの登場でサービス業に変身)、マイクロソフト(他社から買ったO/S)、アップル(工場を持たない製造業)、グーグル(優先順位付け検索エンジン、検索連動広告)などがそれらである。国家の比較モデルよりはこちらの方がビジネスパーソンには身近に理解できる対象であろう。
“はじめに”の冒頭近くに「歴史とは、緑の沃野のようなものであって、そこから、ある目的に合うものを自由に摘んでくることができる」と記している。悪く取れば“都合のいいところだけ利用すればいい”とも読めるが、そこにはっきり独特の歴史解釈があれば、それはそれで面白い。例えば、カエサルの『ガリア戦記』を「自己正当化のための虚偽報告書」と断じてしまうところなど、歴史家なら目をむいて卒倒してしまうのではないか。また、ローマ崩壊の因として、①(フロンティア)拡大の放棄、②貨幣の改悪(異次元緩和?)、③価格統制(分権・多様性への制限)、を挙げて、ゲルマン人の大移動とキリスト教とする、高校の世界史で学び、ギボンから塩野七生に至る諸家の定説に反論・反証している。
いささか牽強付会の感無きにしも非ず、の“歴史から学ぶ”だが、終章で「歴史を知り、その教訓を学んでも、成功するとは限らない。しかし、失敗の確率を減らすことはできるだろう」と結んでいる。巷間溢れる“歴史寸借”もの(成功物語が多い)との違いは、この失敗に注目するところにあり、そのような姿勢で読めば、それなりの重み(深さ)を持つ本である。留意点は、基本にあるのが現代社会(特に米国)格差到来の原因と批判される“新古典経済学派”の考え方に基づいていることである。

5)英国諜報員アシェンデン
英国の軍事サスペンス、特にスパイものは、フィクションもノンフィクションも大好きなジャンルである。先月は巨匠ル・カレの回想録「地下道の鳩」を紹介したし、今月も2)でフォーサイスの自伝「アウトサイダー」を取り上げている。二人とも英国秘密情報部(MI6)に勤務あるいは深いかかわりを持った経歴がある。その大先輩が本書の著者、サマーセット・モーム。代表作が「人間の絆」や「月と6ペンス」のため、スパイ工作員であったことはあまり知られていなのだが、本欄でかつて取り上げた「MI6秘録(上、下)」にはその足跡がしっかり記されている。
作家と言う職業はMI6にとって利用価値のある存在のようだし、英国の作家はこの種の仕事に憧れを持っているようなところがある(英国知識人全体のその傾向がある)。「第三の男」の作者、グレアム・グリーンもそうだし、MI6ではないが海軍情報部に勤務した「007」シーズのイアン・フレミングも第2次世界大戦中のスパイの一人だ。本作品はそれらの元祖による、1928年の作品。ゆえに長いことこの本を読むチャンスを待っていたが、やっと今月その新訳復刻版が出版された(何度か邦訳されているが絶版だった)。
内容は、他の作家の作品のように一話で完結する長編でもないし、前後にシリーズがあるわけでもない。16話からなる短編集である。主人公アシェンデンはスイス在住の英国人作家。独・仏語を解し、家族はおらず、小説家としてそこそこ名を知られている。これらはモームの経歴とほぼ重なる。
時代は第一次世界大戦時、スイスは中立国でドイツ・フランス・イタリアと地続き・湖続きのため、各国スパイ暗躍には格好の地である(第二次世界大戦でも同様)。だからと言って野放図に動き回れるわけではない。中立を維持するためにスイス当局も、交戦陣営の人間を監視しているのだ。国境を頻繁に出入りする記録をパスポートに残すことは、捜査対象者を志願するようなものである。平和な中立国であっても、緊張感は敵国潜入工作と同じように漂う。疑わし人物も多様;同じホテルに滞在するオーストリア男爵夫人。エジプト王子家族に使える家庭教師の英老婦人、上司から組むように指示された得体の知れないメキシコ人将軍、反英活動をドイツで展開するインド人、夫は英国人・妻はドイツ人の夫婦。妻は熱烈なドイツ愛国者だ。それに冷徹な上司(ロンドン在)のR大佐。
本書の舞台は二つ、一つはスイスを中心とする西欧(ロンドン、パリ、ナポリ)。上記の登場人物は皆この西欧舞台に上がってくる役者たちである。もう一つの舞台は革命時のロシア。まだボルシェビキ(過激派レーニン)は権力を握っておらず、メンシェビキ(穏健派ケレンスキー)の時代。英国はケレンスキー政権を支持し、出来れば王制復古への道を探っている。そのためにアシェンデンをサンクトペテルブルクへ派遣するのだが、その道中は、何とアメリカ、日本を経由してウラジオストクからシベリア鉄道でそこへ向かうとてつもないルートだ。英国の目論見が成功すれば、英職業外交官の上がりである駐仏大使間違いなしの駐露大使は協力的ではなく、危険な工作を独自の人脈を使って進めるが、混乱の中で失敗に終わる。ここに登場するのがシベリア鉄道で一緒になった米人ビジネスマン。いささか能天気で、政治・軍事状況に全く疎く、誰も商売どころではない中で取引先開拓に邁進、最後は凶弾に倒れてしまう。このモームがかかわった失敗工作は「MI6秘録」にもきちんと記されているから、米国ビジネスマンの話はともかく、事実に即した出来事である。
確かに興味深い短編サスペンス小説であった。しかし、「これはスパイ小説なんだろうか?」との疑問が残った。短編と言うこともあるが、スパイ行為そのものの仕組みが単純で、先への不安感がそれほど高まらず、謎解きの面白さを欠くのである。また、結末のはっきりしない終わり方が多いのも、好みの分かれるところであろう(ある意味、読者の想像力が試される)。他方で、人間描写は極めて微細、相手(敵)を読み取ろうとするアシェンデンの観察眼や心の動きは、活劇物が到底およばない域にある。読んだことはないが他の作品が高い評価を受けているのは、おそらくこの人間観察・描写に依るのではなかろうか。スパイ小説の世界で、辛うじてこれに近づくのはル・カレくらいだろう。
16話が完全に独立したものばかりでなく23話続くものもあるが、モーム入門として気楽に読み進められる点を評価したい。実は、モームの文章は高校時代、部分的に英文和訳の材料としてしばしば取り上げられ「何が面白いんだろう?」との印象をいままで持ち続けていた。本書を読み終わり「もしかすると先生(3年時担任、東外大を出たばかりの最若手、のち愛知教育大学教授)は、この人間描写をどこまで理解できるか試していたのかもしれない」と思いいたった次第である。スパイ物に限らず他の作品も(日英併読で)読んでみたい気になっている。

6)知られざる皇室外交
私には現役時代(40歳代半ば~60歳代初期)交流があり、今でもフェースブック(FB)友達となっているオランダ人の友人が二人いる。二人とも米国テキサス州居住で、子供たちはそこで生まれ育っているから、ほとんど米国人と言っていい。その一人が、先日米国メディアで取り上げられた、米国牧師の広島・長崎原爆投下謝罪に対して、FB上で激しく反論する様子が“お友達”のつながりで私の“ホーム”に表れた。本人はまさか私がそれを読むとは考えていなかったであろう。インドネシア占領期の日本軍のオランダ人に対する残虐さを訴え「謝罪などとんでもない!」との論調に、現役時代にはうかがい知ることもなかった対日観をみてしまった。日本人にとって、オランダは長いこと西洋との唯一の窓口、植民地化の野心など微塵も感じさせず、幕末・維新を何とか切り抜けられたのも、オランダとの関係が一助となったと考える、友好国の一つであるが、それは一方的な思い込みであるようだ。
とは言っても本書によれば、対日感情はある時期を境に劇的に変化して、現在極めて友好的な雰囲気にあるという。変化が起こったのは2000年、今上陛下訪蘭の際、戦時の収容所抑留者と対話を持ったことに依るのだと言う。そして、ここに至るまでの両国皇室・王室の関係が一章を割いて語られる。1953年昭和天皇の名代としての明仁皇太子(今上天皇)の訪蘭(王室自らの警護)、1963年のベアトリクス王女の来日、1971年昭和天皇訪蘭時の反日騒乱、1981年大喪の礼への王族派遣見送り、それに対するベアトリクス女王から皇太子宛ての私信(国民感情を慮っての欠席)、1991年の同女王の来日(公式晩餐会における戦時に関するスピーチ)、そしてこの2000年の訪蘭。2013年のベアトリクス女王退位とそれに伴うウィルヘルム国王戴冠式への皇太子夫妻の参列、その返礼の意味を持つ2014年のウィルヘルム国王の来日、と親密な交流が今に続く(東京タワーをオランダ三色旗にライトアップ)。双方の細やかな気遣いとそこからもたらされる国家・国民に対する好ましい影響は、とても政府トップや外交官の遠くおよぶところではない。
一時は反日感情の強かった英国、王室を廃した共和制の元祖フランスも今や皇室との交流を外交の最重要事項ととらえ、双方それに応えて、意のこもった対応をする。少し古い話だが、1953年皇太子がエリザベス女王戴冠式出席のため訪英した際、チャーチル首相が官邸で歓迎の宴を開いた。天皇・女王のために乾杯を交わしたのち、首相が予定にはないスピーチを行い、若い皇太子を励まし、英国民がこぞって来訪を喜んでいることを、私事(母が日本旅行で求めた陶器)を交えて語る。根強くある反日の空気を抑えるためである。最近の話では、2013年仏オランド大統領の国賓としての来日。オランド大統領はその時正妻はおらず事実婚の女性ヴァレリー・トリエルヴェレールさんを同道した。国内・海外いずれも形式的にはファーストレディとして遇するが、実態は冷たいところがあったようだ。しかし、日本では晩餐会の後、車寄せで皇后がヴァレリーさんに別れの頬ずりをしたのである。これに彼女がいたく感激したことが、オランドと別れた後で書かれた自伝に記され、多くの人の共感をよんだことが紹介されている(著者はこの時在パリ)。
フランスのケースはともかく、蘭・英の親善外交は国際政治が絡む微妙な問題を含む。憲法上天皇の政治関与は厳しく制約されているから、当然皇室・政府の気の使いようは尋常ではない。1992年両陛下は中国を訪問される。先方からの執拗な要請が宮沢内閣を揺さぶる。1989年の天安門事件から間もない時期、中国は国際社会から孤立しているからだ。両国事務方は“日中国交正常化20年”を記念する親善訪問と位置付けてこれを実現させる。しかし、当時外交部長(外相)だった銭其深は引退後の2003年回想録の中で「天安門で科せられた国際社会の制裁処置を突破するため、天皇訪中を利用した」と当時の状況を暴露し、日本を鼻白ませることになる。
本書の内容はこんなややこしく固い話ばかりではない。国賓として迎える各国元首との晩餐会の様子を紹介するところは楽しい。メニューの詳細(国による差別は全くない。赤ワインは銘柄まで決まっている)、禁酒国からの賓客の扱い、スピーチの背景解説などなど。そして決して和食が供されない理由にまでおよぶ(料理の種類が多く、器の用意も含めて配膳に手がかかり過ぎる)。
諸外国の元首やトップが日本国・日本人を理解する際最も影響力があるのが、この皇室外交である。万世一系と言う世界に類のない血筋と両陛下のお人柄が、どれだけこれに寄与しているか計り知れないことを、あらためて本書で教えられた。
著者の父親は外交官(著者は少年期をパリで過ごす。父はオランダ勤務もしている)、本人は毎日新聞外信部勤務が長く外信部長の後、外信部門編集委員を務めたジャーナリスト。当に“知られざる”皇室外交紹介者として格好な経歴と言える。

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