2018年6月26日火曜日

ドイツ周遊3000km-9



-バス、鉄道、船、乗り物三昧の9日間-


7.エルツ城
ツアーの募集パンフレットを見ている時、手元にある旅行案内書(トラベルデイズ、昭文社)で直ぐに見つけられない地名が二つあった。ノイキルヘンとエルツである。著名な観光地なら必ずあるはずと添付の地図などに当たった結果ようやくElzを発見した。フランクフルトから北西約60kmの地点にそれがあった。ライン下りの帰路としても自然な位置だ。ただ、他のドイツ紀行文にもエルツの町もそこに在るはずの城も紹介されていないし、ルートとしては翌日ケルンに至る途上であることから、いささか気にはなっていた。
ローレライ前のレストランで昼食を終え、そこを出発したのは120分、バスはライン河左岸を下って行く。地図上で確かめたElzは右岸にあったから、どこかでフェリーか橋で対岸に渡るに違いないと思っていた。しかし、読みは全く外れどんどん北西に向かい、やがて線路の下をくぐると西に向かい始める。これでは全く反対側だ。例によってミシュランの地図と磁石でバスの走る道路の先の地名を調べていくとEltzが在るではないか!そしてそこにはX字を横に引っ張ったような記号が記されている。これはCastleあるいはChateau(城)を表すマーク、一字違いのエルツがそこに在ること示している。
西へ向かう一般道416号線の午後はのどかで交通量も少ない。途中通過する小集落も人影はまばら。退屈なドライブ行と昼食のアルコールが効いて周辺の座席はウツラウツラが目立つ。
しかし、山が両側から迫ってくると急に前を走る車が多くなり、ついに大渋滞の中を止まったり動いたりする状態になる。あとで分かることだが、祭日の駐車場に空きがないのだ。やっと2時過ぎ駐車場のとっかかりで下車。そこからがまた延々と歩き、さらに坂道を下って行く。まだ城を見ないうちから「帰りはここを登るのか」と思うと気が重くなる。それを見透かしたように添乗員のFSMさんが「帰りはシャトルバスで戻りま~す」と取りこし苦労を除いてくれる。ホッとして坂を下りきると前方が開け、両側に落ち込む谷の先にその城が見えてくる。そこに至る狭い石造りの道路を封鎖すれば、城攻めが容易でないことは誰にでもわかる場所だ。
850年!のこの城はナポレオンによるライン地方征服時の破壊を巧みに逃れ、改修を重ねて今日でもエルツ伯爵家の所有物として相続され、ドイツ3大美城(他は、のちに訪れるノイシュバンシュタイン城、フランス・スイス国境に近いホーエンツォレルン城)の一つとして内外の人気を集めている所なのである(なぜ日本の観光案内書に記載されていないのだろう?個人旅行では難しい交通事情だからだろうか?)。そんな人気と祭日、時期・天候も相まって入口付近は見学者の長い待ち行列、30人程度のバッチ単位でさばくので時間がかかる。城内に入ったのは3時頃見学終えたのは4時過になった。内部は無論現在使われているわけではないが、家具・寝具・調度品・武具さらには台所用品まで古いものが残され、往時偲ぶには事欠かず、欧州の歴史に浸ることが出来た。
帰路このモーゼル川域を通過する時、フッと気が付いたことがある。田舎の小さな町々に一本も電柱が無いのだ!観光立国の徹底ぶりに感心させられた(もしかすると観光目的ではなく、日常の美観や安全保障策かもしれない)。夕方6時頃ホテル着。グループ初のディナーは7時からホテルのレストラン。静岡から参加の、サッカーに詳しい、一人旅の老婦人と一緒だった。

写真上から;エルツへの道、エルツ城全景、エルツ城へのアプローチ、場内から庭園を見下ろす

(写真はクリックすると拡大します)

(次回;モノトーンの町フロイデンブルク)(メールIDhmadono@nifty.com


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