2018年7月30日月曜日

ドイツ周遊3000km-20



-バス、鉄道、船、乗り物三昧の9日間-

14.ノイキルヒェン
今回参加のツアーパンフレット(電子版)を見ている時“古城ホテル泊”が目に入った。ベルリンに泊まり、ドレスデンを観光し、ニュルンベルクを経て、ミュンヘンへ向かう途上の1泊である。欧州旅行の楽しみの一つは城巡りだが、そこに泊まれるとなるとその楽しみが倍加する。まあ古城と言っても各種あり、大方は宮殿と言うよりは館(やかた)や出城(でじろ)と呼ぶ方が相応しい造り・規模が多い。また城ではないが修道院を活用したものや、兵営の改造などもある。2015年のスペイン旅行の際には、セビリヤの郊外に在るパラドールと称するこの種の館に泊まったが、それなりの雰囲気を満喫できた。だから、今回それを見つけて「ここは面白そうだ!どんなところだろう?」となった。この時点で分かっていたのはノイキルヒェンと言う地名だけで、ホテル名はなかった。
事前にあれこれ調べるのが旅のならい。手元にあるガイドブック付録の地図で予想される位置を探すが見つからない。大型のミシュランの地図で“Neukirchen”を索引上に見つけ、その地点の座標を当たると、観光ルートからまるで離れたとんでもない場所になる。今度はグーグル検索をかけてみると、何ヵ所も出てきて特定できないばかりか、やはりルートから外れている。この段階でいくつも出てくる理由が推察できた。Neuは英語のNewKirchenChurch、つまり新教会村(あるいは町)、日本なら新寺町と言ったところ。どこにもこんな町名はある。
出発1週間前旅行社からいろいろな資料が送られてきた。そこでやっと宿泊先名・住所がわかる。この宿泊先名(Schloss(城)  Schweinsburg)をグーグル検索に入れると、旅行斡旋サイトでいくらでも出てくばかりか、施設紹介と予約機能を備えたホームページまである。きれいに刈り込まれた植木が取り巻く長方形の池の先に、屋根の明かり採りを入れると4層に見える瀟洒な大邸宅だ。次は住所を入れてグーグルマップで位置を特定。ドレスデンとナポレオン戦争の古戦場イエーナを結ぶ線上でライプチヒの真南に在ることは分かったが、ミシュランの地図に表記されていなかった。
ティアーター(宮殿前)広場を5時過ぎに発ったバスはドレスデンを通り東西を結ぶ幹線道路A4号線を西に向かう。さっきまでの天気はどこへやら、雨が降り出し次第に夕闇が迫ってくる。1時間ほどするとバスは一般道に下り南へ向かう。周辺はほとんど牧草地や畑地、当初は片道一車線であったが、何度か道を乗り換える内についに大型バス1台がやっとと言うような田舎道に入る。それに雨と暗さが加わり、たまに行き交うクルマがあると大変だ。「道を間違えたのではないか?」(翌日アウトバーンに乗るときは全く別ルートだったからそうかもしれない)そんな疑念さえ湧いてくる。そんなハラハラドライブを15分ほど体験した後、やっと普通の田舎道に戻り、やがて小さな集落にたどり着く。バスはホテルに直結できず。公共駐車場に入って、運転手と添乗員が我々のスーツケースを何度も往復してホテルまで運ぶ。チェックインは6時半。しかしどうも雰囲気がイメージあるいはホームページの写真と違う。我々が宿泊するのは“新館”なのだ。写真の建物はフロントとロビーのみ、いくつかの宿泊棟とレストランがこの旧館周辺に配される構成になっていたのである。新館自室の内部は完全に現代風(だから居心地だけは悪くないが、建材は安物、入口踏み込みと洗面・トイレ・シャワールームを分けるドアーは透明ガラス、ベッドルームからは見えないものの、トイレにしゃがみ込んでいる姿が丸見えだ!一体どんな発想なのだろう?)、“古城”の面影は皆無、おまけに、ホテルでもらったパンフレットには、どこにもこの館(本館)の由来が記されていない(誰かの古い屋敷であることは間違いないだろうが)。期待が大きかった分失望感は計り知れない。
7時半からこれもモダンなレストランでディナー、我々以外は全員白人の個人や小グループ、周辺の景色はただの緑野、史跡があるわけでもない。一体何のためにここに泊まっているのだろう?もしかして、ただ夕食を摂りに来ているだけなのだろうか?夕食はソーセージとザワークラウトの赤ワイン煮込みそれに例のジャガイモ団子(クネーデル)。味はまずまずだったが、あまり代わり映えはしない。
翌朝少し早く起きて、朝霧の中邸内の庭や周辺を散策してみた。静かで緑に囲まれた環境は悪くはないが、遠路はるばる出かけてくるような所ではない。

写真上から;ホテルのパンフレット、朝霧の中の本館、自室から見た本館

(写真はクリックすると拡大します)

(次回;ニュルンベルク)(メールIDhmadono@nifty.com
  

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