2019年1月31日木曜日

今月の本棚-126(2019年1月分)



<今月読んだ本>
1)撃墜王ヴァルテル・ノヴォトニー(服部省吾);光人社(文庫)
2)通信の世紀(大野哲弥);新潮社
3)イスラエルがすごい(熊谷徹);新潮社(新書)
4)工学部ヒラノ教授のラストメッセージ(今野浩):青土社
5Technology and WarMartin van Creaveld);Free Press

<愚評昧説>
1)撃墜王ヴァルテル・ノヴォトニー
250機撃墜世界初、23歳で逝った独ジェット戦闘機隊長-

戦闘機乗りの世界には“エース”と呼ばれる称号が存在する。5機以上敵機を撃墜した者に与えられる尊称である。第一次世界大戦では何と言ってもレッドバロンことリヒトフォーヘン男爵が有名だ。彼の撃墜数は80機、これが第2次大戦前の最高値である。第2次大戦における最高スコアは352機、ドイツ空軍のエリッヒ・ハルトマン大尉の戦果、これに同じドイツ空軍のゲルハルト・バルクホルン少佐(301機)、ギュンター・ラル少佐(275機)、オットー・キッテル大尉(267機)と続き、5番手に本書の主人公ヴァルテル・ノヴォトニー少佐(258機)となる。連合国側の最高位はソ連空軍のイワン・コジュドゥフ少佐(62機;最終階級元帥)、英空軍のトップは52機、米国は41機である。因みに日本は海軍航空隊の西沢広義准尉(戦死後2階級特進し中尉)の87機が最高である。
第二次世界大戦時における、ドイツ軍人の戦功章はいわゆる“騎士十字勲章”が有名だが、これには最終的に6等級あり、下から2級・1級・柏葉付・柏葉剣付・ダイヤモンド柏葉剣付、金柏葉剣付となる。最高位の金柏葉剣付は194412月の制定で、全軍で実際には一人しか受賞していない(ハンス・ウルリッヒ・ルーデル大佐;急降下爆撃機乗り;ソ連戦車を500両以上撃破)。ダイヤモンド柏葉剣付受賞者は陸軍11名、海軍2名、空軍12名と極めて少なく、ノヴォトニーは全軍で8人目、トップエースのハルトマンより早く、かつ他の受賞者が戦闘機総監のアドルフ・ガーランド中将、世界で初めて100機を超えたウエルナー・メルダース大佐(航空団司令)など高位の軍人だったことを考慮すると、23歳での受賞は異例の扱いであったことを表している。何故か?本書はこれを詳らかにする、日本人が書いたその伝記である。
ヴァルテル・ノヴォトニー(以下ノヴォトニー)は1921年にウィーンで誕生、1938年に高校卒業後空軍を志願、空軍学校(複数存在)で士官教育を受け、1940年パイロット資格を得て第54戦闘機連隊(ウィーン近郊)に配属される(19歳、少尉)。既に大戦は始まっているが、戦いは専ら西方で行われており、この間連隊の教導飛行隊で実戦教育を受けている。19416月独ソ戦開始、連隊はエストニア・ラトヴィア方面に展開、北方戦域の制空権確保が任務となる。
54戦闘機連隊組織は3大隊(3中隊/大隊、12機/中隊)、108機で構成され、装備機はすべてメッサーシュミッ109Me109)である。中隊の12機は状況に応じて2機または4機で編隊を組み、空域哨戒・対地協力・空中戦闘にあたる。初撃墜は7月ソ連のI153(チャイカ;複葉戦闘機)2機だが、この時はガス欠で自機もバルト海に着水、三日をかけて原隊に復帰する。19423月までに30機を撃ち落とすが、ベテランぞろいの大隊では中の上と言ったところで目立つ存在ではない。のちの活躍を見ればかなりスロースターターだ。同年9月に56機に達し騎士十字章を受章する。1021歳で中隊長(少尉)、11月に搭乗機がフォッケウルフ190Fw190)に変わる。これからが凄い、19436100機撃墜達成、8月に大隊長に就任(中尉、22歳)、通算161機を撃ち取ったところで柏葉付騎士十字章受賞。919218機撃墜で全戦闘機パイロットの頂点に立ち、柏葉剣付騎士十字章受章、これは全軍で37人目、ヒトラー手ずから勲章を軍服に留める。10月大尉に昇進(22歳)、1014日史上初の250機達成、19日この当時としては最高位の戦功章であるダイヤモンド・柏葉・剣付騎士十字章を、全軍八番目で綬与される。英雄を失うことを恐れたヒトラーは授章に際して出撃停止を口にしたことも理由の一つだろう、この後南フランスに駐屯する第101戦闘機連隊(実質的には操縦学校)の連隊長(少佐、23歳)となる。翌1944年ウィーン名誉市民、この際市章を刻んだ指輪を贈られる。
しかし国民・軍人の注目を一身に集めたことがやがて悲劇的な最期につながっていく。既にノルマンディーに連合軍が上陸した後の19449月、戦闘機総監ガーランド中将は起死回生を期して隠密裏に開発されてきた双発ジェット戦闘機Me262の実戦投入を決意、その部隊編制・運用をノヴォトニーに任せることになる。コマンド・ノヴォトニーの誕生である。技術的に完成度の低い段階でのトラブル(特にエンジン)に悩ませられながら、それでも部隊は英米の戦略爆撃機部隊に立ち向かっていくが、敵機撃墜はあるものの事故で失われる自軍の損害の方が多いのが現実である。1184機で発進しようとするが、2機は離陸できない。ノヴォトニーと他の一機が爆撃機迎撃に何とか飛び発つ。「B-24 1機撃墜」の報を最後に無線は途絶える。地上に激突した穴から見つけ出されたのは、ダイヤモンドの破片と指とともに残った指輪だけだった。後の調査で分かったことは、ノヴォトニー機を撃ち落としたのは爆撃機部隊援護のP-51だった。プロペラ機がジェット機を落とした世界初の記録である。23歳の死、1944年晩秋、ウィーンで国葬が執り行われる。
ノヴォトニーの戦績を中心に本書の内容を紹介したが、中身は多岐にわたる。ノヴォトニーの私生活、ドイツ空軍部隊編成、教育訓練体系・人材登用、著名パイロットの経歴や特質、敵戦闘機や設計者を含む技術解説(特にデリケートなユモ004ジェットエンジン操作の描写は秀逸)、空戦の細部(操縦方法や射撃)、ノヴォトニーを取り巻く上官/戦友などなど。どこを読んでも著者の思い入れの深さと現場感が伝わってくる。これは著者が元航空自衛隊の戦闘機(F86)パイロットだったところからきているのだろう。日本人で欧州の戦いをここまで書ける書き手はフィクション、ノンフィクションを問わずそういない(これを上回るのは児島譲の「ヒトラーの戦争」だけである)。その点で私にとって価値ある一冊であった。多数列記されている参考文献はほとんど英文(ドイツ語からの英訳を含む)が、読んでみたい本が多々ある。

2)通信の世紀
-国際通信主権を握られ続けてきた日本、ネットワーク社会でもGAFAが主役か?-

制御工学を学び石油精製・石油化学を生業とする会社に入社、約半世紀にわたり計測/制御/情報を専門にしてきた。制御システムは、基本的に検出部/制御部/操作部の3部から成る。検出部は、温度計/圧力計/流量計/液面計などがその代表例。制御部は検出部から送られてくる値を設定値と比較しその差を解消すべく制御のための演算を行い操作部に指令を発する、いわばシステム全体の頭脳部分にあたる。操作部の多くは調節弁と呼ばれる制御部の信号によって可動する弁がその機能を果たす。これら三つを結ぶ信号伝達媒体は、当初は空気圧、次いでアナログ電流、さらにディジタル信号へと発展していくのだが、いわば道路のように当たり前の存在で、技術者に特別興味を惹くものではなかった。ディジタル化は制御部から始まり検出部と操作部へと波及していったが、伝送系はアナログ電流で長くとどめ置かれ、システム高度利用の隘路になっていた。このような全体システムのアンバランスは、インターネットが出現する以前のICT利用環境も同じで、通信系(伝送系)がネットワーク全体の機能を制約していたのである。今その状況は一変、IoT(いたる物がインターネットにつながる環境)は、それまで完全な脇役であった通信系を主役の座に押し上げた。ネットワーク中心の第4次産業革命の渦中にある現在、社会全体も通信に関する理解度を高めることが求められている。これが本書を読もうと思った背景である。「取っ掛かりは何事も先ず歴史から」と。
本書は我が国と外国を結ぶ国際通信の歴史を開国時から現代まで辿る内容で、技術よりは政治(行政を含む)、経済、外交、軍事に重きを置いている。著者が前書きで述べているように、我が国通信の歴史は「不毛の通信史」と呼ばれ、純技術史はともかく、重要な社会インフラさらには外国の著書に見るような「帝国の手先」「見えない武器」と言うような視点でとらえられたものは皆無。これを明らかにしたいと言う目的で表された本書は、初めて知ることが多く、読み応えのある作品であった。手短に要旨をまとめると、ごく最近まで我が国に国際通信主権は無に等しかった。しかし、150年以上わたってこの世界を牛耳ってきた少数の通信網構築/運用者もその力を失い、今やGAFAに代表されるプラットフォーマがその座を完全に奪った。これからの我が国は新たな通信主権者に従属させられるのだろうか?となる。
岩倉具視遣欧使節団がサンフランシスコに上陸したのは1872116日、ここで打った電報が長崎に着いたのは翌17日、しかし東京の政府に届いたのはそれから10日後である。国内はまだ飛脚に頼っていたが、電信は米大陸を横断、海底電線で英国に渡り、欧州大陸、アジアを経て長崎に着信したわけである。デンマークのグレートノーザン電信会社(GNT)が1871812日に上海-長崎間、187211日にウラジオストック-長崎間の海底電線に依る電信サービスを開始していたからである。明治改元から間もないこの時期どのように海底電線敷設に至ったのだろうか。ここから話が始まる。
明治維新前、日本近傍まで来ていた通信網は二つ。英国はジブラルタル・マルタ・スエズを経てインドに達し、そこからマレー半島、香港、上海に至るレッドライン(英国植民地は地図上赤く塗られていた)をイースタングループと言う企業に敷設/運用させている。このラインの大西洋側はカナダにまで既につながっていた。もう一つはコペンハーゲンを発してロシアの領土を横断してウラジオストック達するGNTのラインである。明治政府は1870GNTと海底電線敷設交渉を開始、先方の締結条件は日本からアジアへの敷設権を独占する権利、加えて長崎から瀬戸内海を経て東京まで結ぶ回線の敷設だった。さすがに国内回線に関しては拒否したものの、結局アジアへの敷設/運用独占権は、技術も資本も欠く日本には退ける策は無く、この不平等契約を結ばざるを得なくなる。これが日清/日露戦争時大きな問題になってくる。ポーツマス条約が結ばれたのち、太平洋域に伸展してきていた米国の回線に小笠原経由で結ぶプロジェクトが成立する。これでGNTのくびきを逃れたと思われたが、実は米国通信会社資本の50%は英イースタングループ、25%GNTに握られているのを長いこと日本は気づかない。第一次世界大戦が終わり独領南洋諸島を委託統治するようになるとこれが日米間の外交問題に浮上してくる。有線に問題があるなら無線でと取り組むが、海外の受送信局の運営にまでは踏み込めなし、傍受を断つ手段はない。結局、戦争中は大陸との回線を一時的に支配するものの、敗戦で元の木阿弥。イースタンやGNTが通信事業(主に海底電線利用)から撤退するのは、マイクロソフトやGAFAが自社線を敷設し出し、商売が成り立たなくなってからである。
海外との通信主権をクローズアップして内容の一部を紹介したが。話題は広範に及ぶ。例えば有線と無線、一時期は衛星通信が有線に取って代わる勢いだったが、現在は光ケーブルが99%のシェアーを握っていること。日米開戦を告げる通告文遅れを駐米日本大使館員の怠慢とする通説に対する、本省側の通信分析(タイミング、分割して送られた通告文の時間間隔や順序、その前後に送られた他の通信文書との重要度付け)に基づく疑問提起。外交・軍事文書の暗号化/暗号解読と情報戦、戦前戦後の通信行政(特に国内通信担当の電電公社と国際電電株式会社(KDD)に対する政治家や郵政省(戦前は逓信省)の動き;郵政官僚天下り先としてのKDD)、通信傍受と監視社会、などなど。
著者は1980年入社の元KDD社員(退職)、コミュニケーション学に関する博士。内容およびあとがきから現KDDIの積極的な協力がうかがえ、そこから国際通信に関する国策批判を行っているような気配を感じた。ただそれはネガティブなものではなく「通信こそ次の時代の武器、プラットフォーマがかつてのイースタンやGNTに置き換わるような事態を避けるために早く手を打つべし!」と訴えるトーン。全く同感である。

3)イスラエルがすごい
-イスラエル科学技術を巡る国際関係、着眼点は良いが内容は軽い-

個人的な体験に基づくことだが、エンジニアの世界で長く過ごしてきてユダヤ人の存在が大変気になる。皆優秀なのだ。特にICT業界でそれが際立つ。知り合った友人・知人はすべて米国籍、それも2代目、3代目であるからイスラエルと直接関係ないのだが、どうしても重なって見える。30年ほど前、職種は同じだが業種は全く異なる友人の一人から「イスラエルに面白いソフトを扱っている会社があるのだが付き合ってみないか」と問われたことがある。当時海外のソフトウェアパッケージを日本に持ち込み付加価値を付けるサービスをビジネスの柱にしていたからである。しかし、その製品は我々の顧客に向いたものではなかったから、話はそれ以上進まなかった。それでも軍事や諜報でこの国への関心が高かったこともあって、気軽に読めそうなユダヤ/イスラエル関連の本が出ると、積極的に読むようにしてきた。国情が真逆の国ゆえ、反って学べることがあるのではないかと思ってである。その第1弾は昨年2月の本欄<今月の本棚-11520182月)>で紹介した“知立国家 イスラエル”である。ここで徴兵制度に基づく理系人材選抜・育成についてかなり具体的な施策を知り「日本でもこんなことが出来たら」と、強く印象づけられた。本書出版を知り、前著で得た知見をさらに深化できるのではないかと求めた。
結論から先に書いてしまおう。イスラエルにおける優れた理系人材育成、ICT企業輩出あるいはシリコーンヴァレー企業のイスラエル進出に関する情報は“知立国家”と重複するところが多い。しかも、この点に関してはそちらの方が体系的に確り書かれており、こちらは目立つところをつまみ食いしている感を免れない。また、ICTヴェンチャーの技術/製品が如何にこれからのネットワーク社会に重要なものかを背景説明する部分が長く、それをある程度知る者にとっては冗長である。イスラエルの科学技術状況に疎い人には、それなりに面白く読めるかもしれないが、所詮週刊誌レヴェルの内容である。
本書で多くの紙面が割かれるのは、イスラエルと中国およびドイツとの関係である。中国は一帯一路戦略推進と高度技術獲得(ICTばかりでなく水の確保策まで)のため、如何にこの国と親密な関係を結びつつあるかを多面的(政治、経済、外交、軍事、教育)に語る。ドイツに関しては、先ずインダストリー4.0との関係から入り、実はドイツにおけるICTインフラが極めて貧弱なこと(例えば、広帯域インターネット回線における光ケーブル普及率;日本74.9%、ドイツ1.8%!ゆえにインターネットの速度は世界25位)、それとも関係して電子取引やセキュリティー技術に課題が多いことを述べる。そのようなICT環境ゆえに、ドイツがイスラエルICT産業に強い秋波を送っている様を、ユダヤ人虐殺に対するメルケル首相の謝罪演説まで援用して(この部分は、どこにも明記されているわけでなないが「日中関係改善のために日本も見習うべき」と読めてしまい、不快感を持った)、両国間の結びつきの深さを語る。この中・独とイスラエルの関係は新たなイスラエル観を与えてくれたが、両国の国内事情解説がややくどく、イスラエルの“すごさ”が表層的な感じになってしまっている。まあ日本人に対して「もっと積極的に動かないと、もともと関係の深い米国および中・独におくれをとるぞ!」との警告が本書の目的であるようだから、それに沿う構成とは言えるが・・・。
著者は元NHK海外特派員、フリージャーアナリストに転じ在独30年。最近、他誌(ビジネス誌)でメルケル凋落やBREXITに関して興味深い記事を書いており、それなりに評価しているし、今回も日本人に対してイスラエルを巡る国際情勢に注意を喚起する点は認めるものの、軽薄な読後感しか残らなかった。

4)工学部ヒラノ教授のラストメッセージ
-我が国理工学教育/研究の問題点を白日の下にさらす大教授の思い-

2011年著者70歳、定年後を“工学部の語り部”たらんと期して始まった「工学部ヒラノ教授シリーズ」もどうやら本書をもって終了するようである。出版されたのは、極めて専門的な内容の「線形計画法」「論文作成のノウハウ」を含めて16冊。取り上げられた大学・研究機関は、修士課程まで学んだ東大工学部、ユニークなシンクタン電力中研、博士号を取得したスタンフォード大学、初の大学教官として勤務した筑波大学、大学教授人生の大半を占める東工大、停年(公務員はこう記す)退官後70歳までを過ごすことになった中大理工学部、この間研究・指導のために赴いた、ウィスコンシン大学数理研究センター、国際応用数理研究センター(ウィーン)、パデュー大学経営大学院、いずれも日本そして世界で存在感のあるところばかりである。シリーズの舞台はこれら組織/機関、演じる俳優たちは学長/恩師から助手/大学院生までの学校関係者、さらに文科省事務官や秘書まで多士済々。主題も、真っ当な研究/教育活動から文部行政の裏表、“白い巨塔”もびっくりの組織間闘争/個人的な主導権争い(大学間、学部間、専門対一般教養、学科間、科内専攻間、政治信条/師弟関係の違い)、果ては研究費不正流用のような(軽?)犯罪やハニートラップ(米国)/セクハラ/アカハラ、学食まで幅広い。チョッと異色なのものは難病を患っていた夫人の「介護日誌」と中学/高校時代を記した「青春」などがある。著者はこのシリーズに実在の人物を実名でバンバン登場させながら“セミフィクション”と称してシリーズを出版してきた。フィクション(小説)としてしまうにはあまりにリアルだし、ノンフィクションとすると訴訟事件に発展しかねない内容もあり、それを上手くかわすなかなか見事な領域設定である。確かに、このシリーズを文学賞対象ジャンル別に分ければ、芥川賞/直木賞(エンターテイメント作品;この対象作品が最も多い)/江戸川乱歩賞/大宅壮一賞何でもありだから、その点でも“セミ”が生きてくる。
さて本篇である。41歳で筑波大学助教授から転じ60歳で停年退官するまで勤めた東工大での教育/研究/大学経営活動を総括し、ラストメッセージとして、これからの我が国における理工学教育/研究の在り方に警鐘を鳴らす内容となっている。とはいっても決して硬い語り口で全くなく、いつものようにユーモア(ブラックもあるが)とアイロニーが適度に散りばめられ、またこれも恒例だがそれなりに有名な人物(大学人ばかりでなく政治家や官僚、経済人まで)が実名で登場、一部の人に“暴露本”と揶揄される筆致は変わっていない(ここが本シリーズを魅力あるものに仕立てている)。ただ暴露物として楽しむのも悪くはないが、やはりラストメッセージを確り咀嚼したい。と言うのも、著者は“平教授”などではなく、国際トリプルA級の理工学研究者であるからだ。ノーベル経済学賞候補に何度も上がった“線形計画法の父”ジョージ・ダンチック、スタンフォード大学教授の直弟子、我が国金融工学の泰斗、東工大に文理融合の社会理工学科(大学院)を創設しその初代科長、さらにそこを核にこれも我が国は初の金融工学に関する研究組織、理財工学研究センターを大蔵省/文部省を説得して立ち上げた人物、加えて米国から発した数学解法特許に敢然と反旗を翻し、米国におもねる特許庁(経済産業省)に戦いを挑んだ気骨の人でもある(敗訴したが海外にも同調者は多かった)。また数理科学の総本山OR学会会長も務めている。つまり、我が国の理工学界を代表する大教授なのである。その大教授が東工大を去ったのち2004年国立大学法人法が発足、社会理工学研究科も理財工学研究センターも研究活動効率化促進の名のもとに解体されてしまう(この二つの研究組織の消長が本書の胆である)。この流れは、東工大あるいは社会理工研究科に限らず、国立大学の教育/研究全体に波及しており、一流学界誌に載る論文数の減少と言う形で、理工学研究力の低下を象徴する事象となっているのだ。一読者としてこの「ラストメッセージ」は「それを何とか食い止めよう」との願いから、「終活」で終えたはずのシリーズに敢えて追加出版されたものと読み取った。

5Technology and War
4000年の歴史から説き起こす科学技術と戦争、紙や鉛筆も武器だ!-

飛行機少年から始まった軍事技術への関心は、ハードウェア中心から運用体系やメンテナンスを含む広義のソフトウェアに広がり、そこから本業となった企業におけるICT利用との関係にまでおよんでいった。40歳代に入ると、引退したら“軍事技術の発展とICT利用の相関”をまとめることに時間を費やし、出来れば著作としてその成果を著したいと考える始め、意識的に内外の関連書物を集めるようになった。また、ビジネスの現場を終えた2007年渡英したのもOR(軍事作戦の数理)の歴史を学び、その構想に生かそうと思ったからである。しかし、出版業界の知人などにこの計画の可能性を相談しても、快い返事は得られなかったし、自費出版は驚くような資金を必要とした。残る手段は、そんな考えもあって立ち上げた本ブログの利用である。その予行演習のような意味で書き連ねてきた種々の事例紹介(プロジェクト、会社経営)に倣うやり方である。80歳になった今年から始めようかと考えていた矢先、あるICT企業に提案していた“軍事技術史に学ぶICT活用法”なる題のコラムを12回(月一本)連載する案にゴーサインが出た。一回一話読みきりだから、オリジナル計画のように一冊の本にまとまるようなものではないが、軍事技術を敷衍してICTの理解度を高めると言う趣旨と合致するので「やっとチャンスが巡ってきた」と喜んでいる。そのためもあって1990年代初期に購入してそのままになっていた本書を急遽読むことにした。
戦争と科学技術の関係はよく取り上げられるテーマで、手元に10冊以上その種の題名のものがあるが、本書にはそれらと異なる点がいくつかある。第一は時間のスパン、何とBC2000年からAD1990年まで、約4000年の長きにわたること、第二は武器そのものばかりではなく、戦いに欠かせぬ数々の文明の利器に着目する点、第はそれらを生み出し、活用する様々な背景説明にかなりの紙面を割いていること、である。そして、これらを踏まえた上で「長い歴史を通じて変わらないこと」を探っていく。
第一の特徴、時間軸の長さ。ここは時代を4分割してそれぞれのメインテーマを決める。第1部旧石器時代~AD1500年(道具の時代)、第21500年~1830年(機械の時代)、第31830年~1945年(システムの時代)、第41945年~現代(オートメーションの時代)。
第二点は民生用も含めた戦争を支える基盤技術と戦いの関係。情報伝達手段として欠かせない紙/ペン(画材の一つに“コンテ”がある。油脂製の鉛筆、ニコラス・ジャック・コンテはナポレオンの幕僚の一人、戦場での筆記手段の一つとして彼が発明、これが戦争推進に役立った。今は画材に過ぎないが、勝利の道具の一つだったのだ)などの筆記用具や書類作成術/印刷、機械的/光学的/電気的通信手段、輸送/交通手段に関するインフラストラクチャー;あぶみや鞍、車輪とスポーク、各種動力源(人力、家畜、水力/水運、蒸気機関、内燃機関)、鉄道技術、道路/橋梁などの土木技術、造船技術/航海術/操船具/羅針儀/帆、金属精錬/加工のための技術;冶金術/エネルギー/鋳造鍛造技術/歯車やばね、火薬、時計、地図/海図、などとその時代の兵器開発/機能/運用の関係。例えば、ナポレオンは通信手段に関心が高く命令書の標準化から腕木通信まで工夫を凝らし、それまで本陣から戦域までの距離が5kmくらいの限度を、25km50km100kmと延ばし、大軍を動かすことを可能にしていく。また、効果的な通信手段が無い時代には複数の作戦実施に時計が重要な役割を果たす。軍事技術をこんな視点でとらえることはなかなか発想できない。
第三は新兵器が生み出され、利用される背景。そこには社会、地理、季節と気候、宗教観/倫理観などが絡み、戦い方やその有効性が変わってくる。例えば、馬を持にはある程度豊かでないと叶わない。馬戦車となればなおさらだ。甲冑を保有するにも同様にカネがかかる。階級と武器は密接に関係するのだ。これが変わってくるのはフランス革命で国民軍が生まれてからである。また、近代においては戦車が最強の陸上兵器だが、力を発揮できるのは広大な平面があってのこと。古代ローマ時代の馬戦車も同様だったし、騎兵が決定力になるのも同じような地理環境下だ。
上記のように同類の他書には深く立ち入らない特異な観点に注力しつつ、兵器そのものの技術発展過程の細部を解説していく。多くは個々の兵器発達史で知るところだが、どの兵器も戦場で用いる場合、個体ではなく運用システム(兵站を含む)として評価するところや歴史的に俯瞰して見せるところに、本書の価値を見出した。例えは、銃火器(小銃、機関銃、大砲)による戦闘の変化では、兵士一人当たりの専有面積(散兵の度合い)を、古代ギリシャの密集重装歩兵(ファランクス;盾と槍)から第二次世界大戦まで並べて見せる。古代ギリシャ1㎡/人→18世紀(小銃/大砲が主力兵器化)10㎡/人→南北戦争25㎡/人→第一次大戦250㎡/人→第二次大戦はその数倍、と。
全体を通して伝わってくるのは;新兵器は適材/適所で効果を発揮する、論理/効率だけが決め手ではない、新兵器がもたらす心理的効果(初期の火薬兵器、異様な武具で全身を固めた騎兵の急襲、砲艦外交、電撃戦、原爆投下)は軽視できない、不確実性を除去することに技術を活用すべき、そして根底にあるのは“本来の人間性は時間を経ても変わらない”と言う古来の考え方である(この原意は人間の資質に関することだが、それを武器の役割に置き換える)。つまり繰り返す“盾と矛”の関係、である。
チョッと残念なのは、日本の出番が少ないことである。騎士の甲冑が装飾的になっていく話の中で、サムライが持つ日本刀に作者銘が彫られていること、日本海(Tsushima)海戦におけるT字戦法(艦隊形と駆逐艦が放った魚雷の効果)、太平洋戦争におけるマレー上陸作戦(水陸両用作戦の難しさ)、それに核戦争の章で広島/長崎が出くる程度、肝心の機動部隊に何も触れていない(海戦における空母の重要性には触れているが)。
読書感は「もっと早く読み、中身をきちんと理解しておくべきだった」との反省である。かなり難解な本だが、コラムの材料がふんだんにあり、これから何度も読み直せねばと思っている。
著者は、1946年オランダ生まれ、ヘブライ大学で学んだ後ロンドン・スクール・オブ・エコノミックで博士号取得、イスラエルヘブライ大学歴史学教授(軍事史)。数次の中東戦争も援用されている。


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