2021年1月25日月曜日

活字中毒者の妄言-4


欠陥翻訳

昨年末スパイ小説の巨匠ジョン・ル・カレの死去が報じられた。最新作「スパイはいまも謀略の地に」の訳本が7月に発刊され、「いまだ衰えず」の感だけに意外だった。「寒い国から帰ってきたスパイ」以来の“わけあり”ファンとして残念至極の出来事だ。


“わけあり”の意味は、彼の代表作であるスマイリー三部作「ティンカー、ティラー、ソールジャー」「スクールボーイ閣下」「スマイリーと仲間たち」以降読んでいない作品がかなりあることだ。これらは1980年代後半に訳されているのだが「訳が酷い」との風評が流れており、同じ訳者のものを敬遠した結果である。それでは原書で、と「Russian House」のペーパーバックに挑戦してみたが途中で投げ出してしまった。同じスパイ小説でもイアン・フレミング(007シリーズ)を始め冒険小説作家のものが活劇中心なのに対して、ル・カレの作品は内省的・心理的であることとスパイ仕掛けが複雑で、とても消化しきれなかったからである。その後それまでの訳者が亡くなり、新しい訳者になってから再び読み始めでいたところである。特に、この人になってからが回想録「地下道の鳩」が出版されたのは幸いだった。

サスペンス小説の場合、新潮社、文春そしてル・カレの大半を扱った早川書房辺りは先ず翻訳に間違いないのだが、それでも上記のような事態が発生する。これがノンフィクションとなると、興味の対象が軍事や科学になるので言語(主として英語)の読解力と専門分野双方に、読むに堪える知識と筆力が求められる。理想的なのは、語学力と表現力が優れた人と専門家の組合せとなるが、これがなかなか難しい。出版社の事情で一人にすべて任せるケース、二人揃えても本来補完し合うべき分野のことにほとんど無知なケース、監訳者・翻訳者・専門家間の調和が取れていないケース、また、一人に任す場合語学力と専門知識のどちらに重点を置くか適切でなく原著の本意が上手く伝わらないケース、など欠陥翻訳にしばしば遭遇してきた。

欠陥翻訳が気になりだしたのは、1970年代に原書房から出版された何冊かの太平洋戦争に関する米海軍関係者による著作を手にした時だ。原書房は軍事関係の翻訳書が多い。大手出版社が手掛けないテーマは、マニアにとっては価値のあるものだが、軍事と言う特殊分野ゆえ、旧軍関係者が翻訳をしていた。私の購入したものも海軍兵学校を出たあと軍務に服した尉官級の士官が訳したものだったが、あまりの訳の拙さに、すべて早々に処分してしまった。従って書名も訳者名も記憶にない。「海軍出身者は英語が出来る」は若い頃聞かされていたが、それで稼ぎが出来るほどのレヴェルにあるわけではない。その後、原書房の訳本は現物で内容をチェック、あるいは口コミで問題の有無を確かめている。

この海軍士官ほどではないものの、原著が世界的に高い評価を得ているにもかかわらず翻訳が、お粗末だったものに早川書房刊エリック・T・ベル著「数学をつくった人々」(ハヤカワNF文庫、全3巻)がある。ギリシャの数学から始まり20世紀初頭の現代数学までの数学発展史を、数式や複雑な図形など使わず、人を中心に語っていく内容である。それ故に中学生や文系の人にも薦めたい本だが、日本語表現が拙く、意の通じないところが多々あってイライラしてくる。訳者は二人、一人は英文翻訳の専門家?もう一人は東大理学部数学科出身の大学教授。読み進めながら、一体全体二人はどう協力し合ったのだろう?そんな疑問さえ沸々とし集中できないことおびただしかった(それでも良い本です)。


比較的最近読んだ本に日経BP刊「帝国の参謀」がある。これは1973年から2015年まで国防長官の戦略スタッフ(政治任命)を務めたアンドリュー・マーシャルの半生を描いたものだが、軍事用語が頻繁に出てくる。訳者は英文翻訳家だが軍事と関わりの無い著作ばかりである。訳者あとがきがないので、軍事専門家協力の有無は不明であるが、多分なかったと推察する。読み始めから訳語に違和感を持っていた。そしてついにやってくれたのである。第二次世界大戦前の軍備拡張策を語る中で、その場面には相応しくない“輸送航空”や“軍用輸送機(の海軍に依る開発)”が出てきた。「これは何のことだろう?」考えた末に分かったことは“Aircraft Carrier”(航空母艦)の誤訳だったのだ。これなら文意は通じる。また、この本には内閣官房参与と仰々しいタイトルを添えた大学教授が解説を寄せているが、その解説記事から、訳書をきちんと読んだ形跡はうかがえない。


ところでこの欠陥翻訳では面白い本が出ている。1980年代前半文藝春秋社刊別宮貞徳著「誤訳迷訳欠陥翻訳(正・続)」(私は続しか読んでいない)である。具体的に「国富論」から児童書、入試問題まで、原文と誤訳を並べて、徹底的にやり込める。目次の一部を紹介すると、大学教授の頭の程度、中学英語がわからない、改訳の甲斐がない、読者を愚弄する訳者と書評書、想像力豊かなデタラメ作文、英文の悪訳見本(大学入試問題)、など。

このような欠陥翻訳に行き当たった時いつも疑問と怒りを感じるのは、「編集者は何をしているのか?!」と言うことである。翻訳者の適否・力量を評価できないばかりか、とても最初から最後まで通読してみたとは思えないのである。活字文化の衰退が言われるのは、このあたりに因があるのではなかろうか?

直近の悩みは、ル・カレの未読作品(スマイリー三部作を含む)を読みたいのだが、訳者も鬼籍に入っており新訳が出る可能性もない。如何にすべきか?である。

 

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