2021年8月15日日曜日

活字中毒者の妄言-21


8月の本


今日は76回目の敗戦記念日。20代の頃から日記やメモには“終戦”ではなく“敗戦”を使っている。“終戦”の曖昧さに引っかかったのと “今に見ていろ!” (決してもう一度米国や中国と戦う意図はないが)の気概を持つには“敗戦”の方がより適切と考えたからである。そしてそれは“Japan as Number1”として実現した。故エズラ・ボーゲル著のこの書の内容は“Number1?”とクエスチョンマークを付けるほうが相応しいが、とにかくあの敗北から復興したことは、“今に見ていろ!”の証と言える。

今朝の日経新聞に依ると旧軍人生存者は1万人を割り、戦前・戦中生まれは7人中1人と、あの戦争(太平洋戦争/大東亜戦争)を知る者は急速にその数を減じつつある。微かにそれを記憶にとどめる私も82歳、88日ソ連が宣戦布告、同日父は現地召集、我々家族は住まいの在った新京(現長春)から南へ下った公主嶺に社宅の人々と疎開、敗戦はそこで迎えた。ソ連軍が攻め込んでくるまで、日本本土とは違い戦争は遥か彼方の世界、空襲警報で防空壕に避難したことが一回(実際には爆撃は無かった)、あとは関東軍の軍人を見るくらいしか体験していない。戦争が身近に感じられたのはソ連軍の進駐と彼らが撤退した後に起こった国民党軍と八路軍(共産党解放軍の主力)による国共戦。ここから引揚の間が最も敗戦を印象づける期間であり、毎年TV放映される、空襲で瓦礫と塵芥に帰した本土の都市のイメージは帰国後出来上がったものだ。従ってあの戦争に対する知識は、一部体験者から聞いたこと以外、ほとんど書物からのものである。


四半世紀前までは8月になるとその種の本がよく出版され、映画が作られ、TVでドキュメンターが放映されていた。例えば、年初に他界した半藤一利(1930年生れ)の代表作「日本のいちばん長い日-運命の八月十五日」(映画化もされた)や「ノモンハンの夏」「ソ連が満洲に侵攻した夏」などが挙げられる。ただTV番組を除けはその数は年々低下、もう映画は全くと言っていいほど製作されないし、書物も復刻版のようなものがわずかに再版されるだけになってきている。そんなわけで今月私の手元にある新刊書は笠井亮平「インパールの戦い」(720日刊)と堀川恵子「暁の宇品-陸軍船舶司令官たちのヒロシマ」(77日刊)の2冊のみ、これらは本欄<今月の本棚(20218月>で紹介する予定である。


あの戦争を報じる新聞の編集者や記者も当然戦後生まれ、おそらく私の子供と同じくらいの年齢であろう。彼らが頼るのは既に書かれたものになる。今朝の日経の社説ではノンフィクション作家猪瀬直樹(1946年生れ)の「昭和16年の敗戦」、東大歴史学教授で学術会議会員を拒否された加藤陽子(1960年生れ)の「それでも日本は戦争を選んだ」、日銀監事で作家だった吉田満著(1923年生れ;学徒兵として応召、大和の電測士(少尉))「戦艦大和の最期」が援用されている。また朝日の“日曜に想う-終戦はごまかし-”では政治家松村謙三(1883年生れ)の「回顧録」から、敗戦直後の内閣総理大臣東久邇宮稔彦が、書記官長緒方竹虎が記した“終戦”を“敗戦”と改めるよう意見したのに対し陸軍大臣の下村定大将が反対したことを取り上げている。松村はこの内閣で厚生相を務めており、閣議の内容を「回顧録」に残していたのだ。


あの戦争について自分の子供たち(4050歳台)に問われたり話し合ったことはほとんどない。数年前船戸与一の長編「満洲国演義(全9巻)」を長男に渡したところ「初めて知ったことばかりだ!」とその内容に驚いていた。これは満洲国前史から敗戦までを描き、小説ではあるが、かなり大東亜戦争を忠実になぞっており、「今の日本は、良くも悪くも、満洲の扱いの結果である」を持論とする私の考えが、この本を通じて長男に伝わったことを喜んだ。現在思案中なのは劇画家安彦良知(1947年生れ;ガンダムの作者)の「虹色のトロッキー(全8巻」(ノモンハン事件までの満洲が舞台の劇画)を孫に与えるがどうかである(自分も読みたい)。

 

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