2021年9月4日土曜日

活字中毒者の妄言-22


全集

全集物の最初の記憶は母の実家にあった「日本近代文学全集」(改造社刊)。叔父・叔母たちが読んで背表紙が傷んだものを中学生の頃もらい受け、意味もよく解らず志賀直哉、谷崎潤一郎、泉鏡花、尾崎紅葉、佐藤春夫、田山花袋などを読んだ。日本文学はこれで終わっている。次に縁があったのは小学校や中学校の図書室にあった少年・少女向けの「世界名作全集」、本来大人向けに書かれたものも多く、これでは作品の味わいが伝わらなかったような気もしている。自分で初めて集めたのは「日本航空機総集」(協同出版社刊)、高校生の時である。これは航空機メーカー毎にまとめられ最終的に8巻の予定だったが配本は遅れに遅れ、4巻まで持っているものの、それ以降は欠落している。この時全集を最後までそろえるのはそれなりの覚悟がいると学んだ。


就職し寮の自室に作り付けの棚があった。必ずしも本棚と言うわけではなかったようだが私には格好の本棚。ここに全集を並べたくなった。当時は早川書房の「エラリー・クウィーン・ミステリマガジン」(月刊誌)を購読するほど短編翻訳ミステリーに惹かれており、その広告に東都書房の「世界推理小説体系(全24巻)」発刊が掲載されていた。一巻490円は初任給2万円だったからたいした負担ではない。即地元(現和歌山県有田市)箕島駅前に一軒ある小さな書店に発注した。第一回配本は何故か第15巻の“フィルポッツ”(英)から始まる。発刊日は昭和37年(1962年)6月、2回目の給料をもらった直後である。爾来昭和446月ここを去るまで7年あるが23巻揃ったものの一冊(第3巻)は欠落のまま、今でも書架にある。これも配本が予定通り進まなかったことに依る。しかし、この全集は貴重だ。翻訳者が凄い。例えばフィルポッツは荒正人、クロフッツ(英)は三浦朱門、そしてエドガー・アラン・ポー(米)は江戸川乱歩と錚々たるメンバーである。この全集は数話(一冊に23話)しか読んでおらず、「いずれ」と思いつつ今日に至っている。

次いで取ったのが三笠書房1963年刊「ヘミングウェイ全集(全8巻)」。これは全巻揃い、“日はまた昇る”や“武器よさらば”など読んだものの、しばらく本棚に置きっぱなしの状態が続いていた。寮を引き払う際とりだしたら、本棚のうしろは外壁との二重壁になっておりその間の梁からネズミが入り込んだようで全巻本の裏面が見事に齧られ、廃棄処分した。


もひとつ寮時代1967年から配本が始まった岩波書店刊の「基礎工学(全19巻)」がある。これはユニークな構成で巻数としては第1巻から始まるのだが、中身は24冊に別れており、その番号はランダムなのだ。例えば、第1巻は“3(分冊番号):確率統計現象Ⅰ”、“20:制御工学Ⅰ”、“16:流体力学Ⅰ”の三冊から成る。従って、同一分野を通して参照したいときには他の巻も探さねばならず不便極まりない。多分著者・編者の都合を優先したに違いない。これも現役時代ときどき利用したものの、いまではほとんどアクセスしない本棚最上部に並んでいる。

寮時代集めたもので今でも眺めるのは平凡社が1966年から67年にかけて出版した「日本の美術(25巻+別冊5巻)」。各巻のテーマは、“城と書院”“桂と日光”“庭”“民家”のようにまとめられ、美術鑑賞や旅に際して有用だ。これはリヴィングの飾り棚に並べて、関連TV番組を視る時などにも利用している。

所帯を持ってからは子供たちのために「朝日ラルース動物図鑑」を揃えたが、彼等が成長した今、動植物に興味のない私には無用の長物、屋根裏に置きっぱなしになっている。


これは全集ではないが、書架のいつでも手が届くところに今世紀に入り(2001年)講談社から出た加藤寛一郎(東大名誉教授;航空工学)の「墜落(全10巻)」がある。それぞれのテーマは“新システム”、“気象”、“人為ミス”などに別れ、いずれも飛行機に限らず、人工物(特に化学工場)の事故を考察する上で大いに参考になっている。結局私の全集物に対する関心は飛行機に始まり飛行機に終わりそうだ。

 

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