2023年4月30日日曜日

今月の本棚-177(2023年4月分)

 

<今月読んだ本>

1)戦争か平和か(ジョン・F・ダレス);中央公論新社(文庫)

2)ダイヤ改正から読み解く鉄道会社の苦悩(鉄道ビジネス研究会);ワニブックス(新書)

3)太平洋戦争秘史(山崎雅弘);朝日新聞出版(新書)

4)西洋書物史への扉(高宮利行);岩波書店(新書)

5)酔いどれクライマー(藤原章生);山と渓谷社

6)第三の大国インドの思考(笠井亮平);文藝春秋社(新書)

 

<愚評昧説>

1)戦争か平和か

-ソ連の野心を見抜き、戦後の冷戦を西側リーダーとして戦った男の回顧録-

 


米ソ対立、冷戦を知ったのは小学校6年生の時1950年(昭和25年)6月に起こった朝鮮戦争だった。ソ連製MIG-15ジェット戦闘機の登場やマッカーサー元帥が国連軍を指揮したことから米ソの戦いと理解した。満洲での体験もありソ連嫌いとなっていたから、国連軍が巻き返した時には「ざまあみろ!」の気分だった。ソ連嫌いをさらに倍加にしたのは翌年6月サンフランシスコで開かれた対日講和条約に関する会議でソ連および衛星国(ポーランド、チェコスロバキア)が反対したことである。衛星国は仕方なくそんな行動をとったと中学生にも推察でき、嫌悪感は専らソ連に集中した。著者の名を頻繁に見たのはこの時期で、特使として日米間を行き来していたからである。ビジネス人生晩年ロシアでの仕事に従事、ロシア人観は大いに改善されたが、国家としての嫌露感情は一向に治まっていない。否、むしろ高まっていると言っていい。本書は終戦前から戦後の世界変容を米国国務省顧問(のち国務長官)として担った著者の対ソ交渉を主とした回顧録である。

著者は1888年牧師の子として誕生するが母方の祖父(ジョン・ワトソン・フォスター)、叔父(ロバート・ランシング)ともに国務長官を務めた名家出身。プリンストン大学を首席で卒業、ソルボンヌ大学に留学、帰国してジョージワシントン大学で法律を修め、国際問題を扱う弁護士に。そこから外交関係に深く関与、叔父の随員として第一次大戦後の平和会議にも参加している。共和党員で当初孤立主義を信奉していたが、真珠湾攻撃で転向、共和党の外交政策を変えた中心人物。日米安保条約生みの親とも言われ、アイゼンハワー政権下で国務長官を務め、1958年病没。第5CIA長官アレン・ダレスは実弟。原著の初版は1950年に刊行、大幅に加筆・改訂された第2版が1957年に出され、本書はその訳本(1958年刊)の復刻版(20228月刊)である。つまり終戦から5年いまだ戦後処理途上にある時期が中心となる。主題は二つ、国際連合発足・運営と対ソ外交、これら二つが絡み合う複雑な国際環境を著者の体験に基づき明らかにする。

戦後の世界を如何に治めていくか、これについてはカイロ会談(194311月;米英中)、テヘラン会談(194311月~12月;米英ソ)、ヤルタ会談(19452月;米英ソ)、ポツダム会談(19457月~8月;米英ソ)がよく知られるところだが、これらはいずれも首脳会談で大戦略と勢力範囲の大まかな調整に重点が置かれる。これに対し、国際的諸問題を平和裏に解決する組織(のちの国連)と首脳会談の細部を具体的に詰める場として、モスクワ(194310月)、ダンバート・オークス(ワシントン、19448月)、サンフランシスコ(19454月)、ロンドン(19459月)で行われた外相会議があった。いずれも民主党政権下にありながら、共和党員の中で外交関係の知見に優れていることと二党間協力の重要性から著者は国務長官顧問として、これらの会議のメンバーに選ばれ、主としてソ連相手の困難な交渉の最前線に立つことになる。相方は狡猾・陰険でしたたかなモロトフ、ヴィシンスキー、グロムイコ、彼等もダレスを「戦争の挑発者」と難じている。当に不倶戴天の敵だ。ダレスのソ連観を形成しているのはこの実体験とスターリンが戦前著した「レーニン主義の諸問題」、その中には「権力を首尾よく握るために」「ソヴィエト国家は党の道具に一つである」「公然とわれわれに対し、激しい憎悪を表す民衆や政府などに取り囲まれていることを忘れてはならない」など党中心の主張が記されており、彼等の外交政策がこのような考えに基づくと喝破、米国でも一部に批判が出るほどの反共・反ソ政策を提言・推進していく。ドイツ統治、東欧問題、仏・伊共産党の動き(高かった政権奪取の可能性)、国民党政府と中国共産党(ローズヴェルトは合作を強力に望む)、朝鮮半島、仏領インドシナ、マーシャルプラン(ソ連も対象だったが拒否)、NATO設立、ソ連の北アフリカ旧イタリア領への野心、いずれも難題だ。「ソヴィエト共産主義の戦術は「退却の戦術」をふくんでいるだけに、一層侮りがたい」は往時の国際情勢から冷徹な卓見だ。

執筆時期から対日講和条約には触れていない。しかし、中国、朝鮮半島、仏印、英領ビルマ、英領マレー、蘭印など国情不安定な国・地域が多々存在する中で、「地理的に近いせいで、われわれにまたとない機会を提供してくれる国」として対日政策を重視しており、それが講和に向けた特使としての活力になっていたと推察できる。

本書の中にウクライナが登場する。ソ連のあまりに過酷な扱いに独軍侵攻に際し「解放者」として歓迎したが、やがてソ連以上の暴虐に反ナチに転じたとある。またウクライナとは直接関係ないが、紛争・戦争に対する国連の限界を予見している点も「さすが」の感だ。「国連はおそらく「平和実施」の機関とはなりえない」と。つまり安保理と総会の効力の差である。安保理の“拒否権”はソ連の国連加盟のために設けられた(飲まされた)特権で、これにより総会が機能不全になっているとはっきり述べている。この時までのソ連の拒否権発動は43回、米国はゼロ。

本書は本来米国民にソ連・共産主義の脅威を警告するために著されたものだが、ウクライナ戦争の今、それに対する国際社会の対応、特に国連の限界とロシアの本質を再認識するためにも格好の一冊と言える。回顧談にありがちな自慢話・言い訳が一切ないのも好感が持てる。

 

2)ダイヤ改正から読み解く鉄道会社の苦悩

-少子高齢化、コロナ禍で変わるライフスタイル。鉄道会社経営の現状をデータ分析する-

 


JRおよび私鉄運賃がこの春値上げされた。主な理由はバリアフリーの財源確保にあるようだがリモートワークの普及などコロナ禍で減じた利益改善を目的とする点も否めない。私が普段利用する京浜急行は10月に値上げを予定しているが、妙な料金体系になると噂されている。横浜以南(三浦半島方面)から都心に出る場合、通しで品川方面に行く料金は少額しか値上げせず、横浜までの料金の値上げ率を高くするのだと言う。つまり、横浜でJRあるいは東横線に乗り換えることを防ぐことがこの料金体系改定のポイントなのである。確かに、私も渋谷・新宿方面に出かけるときは横浜でJR湘南新宿ラインに乗り換えることが多い。本書のキーワードは“ダイヤ改正”“苦悩”にあるが、鉄道各社の最近の経営状況と対応策を知りたく本書を手にした。

かなり変わった本である。先ず著者が個人でなく“鉄道ビジネス研究会”と言うグループ。紹介には「鉄道路線を中心に各種統計データなどを駆使して、鉄道がもたらす様々な効果効用を日夜研究している」とある。その言葉通り、核を成すのは53にも及ぶ各種の表である。文章はこれら表の解説・分析と補足説明、ここからもたらされる鉄道経営あるいは運営における問題点、将来の見通しである。現状の問題点で焦点を当てられるのはコロナ禍の影響だが、長期展望では人口減少との関係、さらにはライフスタイルの変化にも言及している。エピソード的な面白味は皆無だし、現状分析にしても将来展望にしても深みはないが、JRのみならず公営鉄道・私鉄を全国的に網羅した豊富なデータは、鉄道ファンの一人として、それなりの価値を認めるものだ。つまり、国土活用・地方創生と社会インフラの在り方について考えさせられるところが多々あった。

本書は5章から成り、分析は路線・区間、駅、経済性の3視点で行い、問題点の解決策としてのダイヤ改定、最後に鉄道ビジネスの将来を論ずる。

先ず年間輸送人員の比較。JR6社合計254億人(2019年)、JR東だけで65億人、欧州を代表するドイツ鉄道(DR20億人(2016年)、JR東の路線長(営業キロ数)7,401kmに対しDR33,331km4分の1の距離で3倍運んでいることになる。日本の鉄道利用が一段と高いことを示す数字だ。しかし、コロナ禍そして長期的にもこの数字は下落傾向にある。ここからは国際比較はなく、ベースになる数字は平均通過人員(別名輸送密度;11キロ当たりの乗客数)を基に絶対数と率で国内動向が細かく分析される。例えば、コロナ禍分析では2018年度と2020年度で最も減少率が高いのは成田線の75.6%、これは成田エキスプレス、つまり空港利用客の激減に依る。この傾向はJR西の空港線も同様である。絶対数で減少が一番多いのは山手線(田端-新宿-品川間)、平均通過人員が1,134,963人から720,347人へと40万人も減じている。日銭稼ぎで成り立つ鉄道にとってこれが続けば経営は成り立たない。山手線に次ぐのが中央線(神田-高尾間)の24万人減、いずれも通勤路線でリモートワークの影響だ。

次は駅に焦点を移す。駅は街の心臓ととらえ、その実情を数字で考察する。ベースになるのは乗降客数。これもコロナ禍の視点で2018年と2020年のデータが多用される。山手線の数字はこの間37.3%減、絶対数は1日当たり1,093万人から685万人にまで減っている。山手線内個々の駅を見ると絶対数では新宿がトップ、1,578,732人から954,146人と60万人減、次いで池袋、東京となる。これらと対照的なのが減少率、最大は原宿の45.5%。首都圏でこれを上回るのは京葉線舞浜駅の51.3%。原宿・舞浜ともに定期券利用者が少ないことが共通だ。つまり仕事よりは遊びの利用者が多いことがその因となっているのだ。一方で2021年回復の遅い駅に東京と品川がある。大規模なオフィス街があることから著者はリモートワークとの関連性を挙げているが果たしてそうだろうか?

3の論点は売上・収益の分析である。この部分は既刊の鉄道ビジネス分析と変わらない。鉄道は固定費が高いので大量輸送が崩れると利益を出せない。関連事業で補うと言ってもその関連事業自体大量輸送が基盤である。例外的なのはJR九州、不動産業シフトが成功している。しかし総人口の減少に加え沿線過疎化が止まらない北海道、四国の鉄道は自力での黒字化は不可能な状態だ。不採算路線を廃線にすれば町村・集落の消滅さえ危惧される。だからと言って巨額の投資を要する新幹線の延伸が解決策になるわけではない。下手をすると地方都市の富がさらに大都市に吸い上げられてしまう。カギは在来線の活用なのだ。

さて、キーワードのダイヤである。先ず手掛けるのが運行本数を減らすことだが、これで利便性が低下しさらに鉄道離れが進む。やり過ぎると積み残しを生ずる(日光線)。特急・急行・普通の構成変えで上手く改善された例は大都市近距離輸送にしかあらわれていない。始発・終電の繰り上げ効果も経営改善には限定的だ。残るは運賃値上げとなる。

数字とその説明に終始しながら、読み進むうちに鉄道の今後は、経済性だけでなく、国策レヴェルの議論を起こし、地方創生やエネルギー・環境問題を含めた多角的・総合的な取り組みをすべき段階にあると痛感させられた。

 

3)太平洋戦争秘史

-大国に翻弄される周辺国・植民地、アジアの国々は如何にあの戦争を戦ったか-

 


私の戦争体験は小学校入学初の夏休み194588日のソ連軍満州侵攻に始まり翌469月下旬の日本引揚で終わる。主戦場であった中国本土と陸続きでありながら、それまで戦争をしている感覚は全く無かった。年上の遊び仲間、と言っても小学校45年生がアメリカやイギリスが敵であることを口にすることがあったが、それが何なのかさえ理解できなかった。まして、太平洋の島々や東南アジアまで展開されているとは知る由もない。日本軍の南方進出を知るのは小学校45年生の時視聴覚教育で観た「四つの自由」(題名は定かではないが“四つの自由”が記憶に残る)と題する、米軍製作の反日プロパガンダ映画、フィリピンの教会に大勢の現地人が詰め込まれ、そこが燃やされるシーンである。「あんなとこまで出かけ、こんなことをしていたのか!」と占領軍の目論見通り反軍思想に染まり始める。次のアジアの戦いは小学校卒業の際別の組が演じた「ビルマの竪琴」、インパール作戦の惨状など知らず感動した。そうして仕上げとなったのが高校時代観た泰緬鉄道建設をテーマとする「戦場にかける橋」、この辺りから“大東亜戦争”を歴史として見つめるようになっていった。仏印進駐、開戦、香港占領、フィリピンの戦い、マレー半島からシンガポールへ、蘭印(インドネシア)制圧、ビルマ(ミャンマー)からインドをうかがう転戦。一方でガダルカナルやニューギニアでの苦戦・敗退、無謀なインパール作戦と敗走。いずれも書物を通して大東亜戦争(太平洋戦争)の全容を、少年時刷り込まれた反軍思想を離れ理解したつもりでいた。しかし、本書の著者が以前本欄で紹介した「第二次世界大戦秘史」の作者であることから読んでみようとなった。この作品が欧州戦線を、大国ではなく、東欧・中欧・北欧・南欧・中東など小国の視点で考察するユニークなものだったからである。その期待は見事にかなえられた。

東南アジア方面の戦いを記したもので折に触れ頭をよぎる2冊の本がある。一つは敗戦後のビルマでの捕虜生活を描いた会田雄次京大教授著「アーロン収容所」、もう一つは藤原岩一陸軍中佐(のち陸自陸将)が著した「F機関」、これはマレー半島上陸に際してのインド人・マレー人に対する工作を描いている。いずれも作戦・戦闘より日本人・現地人・植民地支配者英国人の人間関係に力点が置かれ、当時の現地事情を知る興味深い内容になっている。しかし、視点はあくまでも日本人の眼である。それに対し、本書の著者も日本人ではあるが、会田や藤原とは半世紀以上世代が違い、ある意味客観的に往時の現地社会を見つめることができるし情報量も豊富になっている。周辺国、植民地は日本軍の戦いをどう見ていたのか、これを詳らかにするところが“秘史”たるゆえんである。

取り上げられる国々・地域は;仏印、マラヤ・シンガポール(英領)、香港(英領)、フィリピン(米領)、蘭印(インドネシア)、タイ、ビルマ(英領)、インド(英領)、モンゴル(ソ連衛星国)、オーストラリア・ニュージーランド・カナダ(英連邦)、中南米諸国と多彩だ。アジアの独立国はタイとモンゴルのみ、圧倒的に植民地が多く、植民地解放を謳った“大東亜戦争”の建て前と実態の違いを深耕する。

日本軍がそれぞれの国や地域に進出する以前、さらには植民地になる前からの歴史が今次の現地の動きに影響する。特に隣接する地域ではその関係は複雑だ。大国の身勝手な勢力圏設定、独立運動、失地回復、民族や宗教上の対立、一見安定していた状態が戦争をきっかけに崩れていく。これらの背景・変遷過程を知ることでその後の展開をより深く理解できるようになるのだ。本書が力点を置くのはこの部分、従来の戦記・戦史とは一味違った視点を与えてくれる。

例えばタイ。19世紀末から20世紀初頭にかけて英仏が東西から迫り、両国に領土の一部を割くことで何とか植民地化を免れる。欧州戦線においる仏の敗北が誘因で日本軍の仏印(北部→南部)進出がなると失地回復を目指し北部仏印(現ラオス)や南部仏印(現カンボジャ)に攻め入りタイ・フランス戦争が勃発する。緒戦はタイが優勢だったが次第に巻き返され日本に調停を求め、これによって自国に有利な調停案を実現する。日本にとっては貸を作った形となり、マレー半島上陸作戦では通過権を得んものとタイに要求するが、中立を盾に直前まで受け入れず、ギリギリのところで承認する。その後マレー半島での快進撃が続くと英・米に宣戦布告し枢軸側に付き、英国のアジア軍事力低下を機会と見て日本軍とともにビルマへ進駐、旧領土を取り戻す。しかし、日本が劣勢に転じると英・仏に占領地を返還、最後は日本に宣戦布告し、連合国の一員として戦勝国の仲間入りをする。皇室・王室を戴くアジアで数少ない独立国としての共通性かつ親日国だが、その歴史的背景としたたかさ(節操の無さ)では真逆の国なのである。

太平洋戦争(大東亜戦争)は建て前として植民地解放を掲げてきた。当初はそれに期待し、インドのチャンドラ・ボース、ビルマのアウンサン、インドネシアのスカルノ、フィリピンのホセ・ラウレルなどがそれに和す動きをするが、現地の日本軍は占領軍として振舞い、民衆の評判は低下独立運動指導者たちも反日に転じていく。ただ、それは各国各様、ここも本書の読みどころだ。

モンゴルはソ連と中国(国民党)によって分割され、外モンゴル(ソ連衛星国;現モンゴル)と内蒙古(中国の一部)となっていた。日本の満蒙支配さらには中国へ戦線拡大すると統一しようとする動きが活発化する。しかし、日本の敗北により、その活動は抑え込まれ今日に至る。アジアとは無縁と思える中南米の章はは、国連(United Nationは本来“連合軍”の意;現在も日・独・伊は国連憲章の中に“敵国条項”として残っている)創設に際し踏み絵を迫られ雪崩をうって対日宣戦する話や、同地域に多く存在する日系移民との関係を伝えるためである。

中国は援蒋ルート(仏印、ビルマ)、米国はフィリピン統治、英・仏・蘭も植民地史が中心で、戦闘・戦争の主役としては描かれず、それだけに各国それぞれの太平洋戦争がよりはっきりとクローズアップされ、前作(第二次世界大戦秘史)同様、新発見が多い。

著者は1967年生まれの市井の戦史研究者。

 

蛇足;中国の領有化宣言で話題の南沙列島(ヴェトナムともめている海域)、1933年当時は日本が実効支配(燐鉱石採掘、漁業)、これを仏が軍艦を派遣、9島を主権下であると宣言。日本はこれを認めず、何度か仏と先占権を争う。近衛内閣は19393月仏政府の抗議を無視し台湾高雄市に編入している。日本のメディアでこの歴史を報じたところはあったろうか?

 

4)西洋書物史への扉

-オックスフォード大にある22kgの古書、慶大図書館にあるグーテンベルク初刷りの聖書-

 


2007年ビジネス人生を終え念願だった「OROperations Research;軍事作戦への数理応用)歴史研究」のため英国に向かった。受け入れ先はランカスター大学経営学部である。これに先立ち客員研究員の資格を得るため前年秋から東工大大学院(社会理工学研究科)の社会人向け研究員制度を利用することにした。応募者の多くは博士号取得を目的としているのだが私にとっては資格そのものが必要だった。大学時代の成績証明書をこの歳で求められたのには少々驚いたが、関門は研究目的・方法に関する計画書とそれに関する説明・質疑応答にあった。その場には担当教授の他2名の教官が居り、その先生方から質問を受けた。意表を突かれたのは「“しょし学”をどの程度学んだか?」と問われたことである。質問者の意図は“歴史研究”である以上文献の系統立った調査が中心との前提で発したようである。書誌学という学問・言葉を知らなかったので一瞬答えに窮したが、書誌を“書史”と勘違いし「歴史研究と言っても、ORの実用化は第二次世界大戦なのでそれほど古い書物・文献に当たる必要はありません」と答えたところそれ以上追及されることは無かった。しかし、あとでこれが“書誌”学であると気づき、機会があったらさわりだけでも学んでおかねばと思っていた。本書を読むきっかけはそこに発している。書評に著者は書誌学の専門家とあったからだ。

確かにこの分野では日本を代表する人物のようだ。略歴に1944年生れ、慶応義塾大学文学部名誉教授(中世英文学、書物史)とあるが、加えてケンブリッジ大学サンダーズ書誌学講座リーダー(20162017)と続き、文中に1986年日本人初のロンドン好古家協会(英国最古の学会;1586年設立)フェローに選ばれたと記されている。好古は古書・骨董・古美術を愛でることを言うが、文中から察するに、ここでは稀覯本や古書の研究と解釈したい。

それにしても書誌学とは想像以上に範囲が広いもので、文字(書体を含む)、文書材料(粘土板、蝋板、木皮、パピルス、獣(羊、子牛)皮、漉紙)、文書作成目的(記録、祭祀、学習、情報伝達)、書記・写字者・印刷従事者(社会的役割・地位、訓練、作業場所)、筆記用具(刃物、ペン、筆、絵具、墨、インク)、複写方法(手書き写本、木版・石版・金属版によるコピー、活版印刷)、製本の仕方(巻子(かんす)、冊子、装丁)、編集・出版・流通・販売体系とその変遷、保管・利用(書架、読書机、図書館)、読書法(音読・朗読、黙読)、書物保有者(発注者、書籍商、読者、蒐集家)、古書収集・修復、真贋判定など書物に関するあらゆるテーマを研究対象とする学問と言っていい。“書史(文献関係史)”と勘違いするなどお恥ずかしい限りだ。

本書のタイトルに“扉”がある。これは“入門”と同義で書物史入門。西洋”と限っているのは著者の専門がそこにあるからで、和書については製本装丁で若干触れる程度である(表紙(表・裏・背)すべてが軟紙・和綴じのため重厚な西洋書物と製作・保管に違いが出る)。また、書誌・書籍・書物は同義としつつも「書籍は無機質な感じがする」と退け、書誌は頻繁に使用するが、書誌“学”に留まり、もっぱら“書物”が主役を務める。

内容は著者が研究過程で巡り合い・体験した上記諸分野における書物に関する諸々を体系的(テーマ別に時間軸に沿って)・一般向けに書き下したもので、随筆のような一見軽い文体で書物史の深部を垣間見ることができる。そのいくつかを紹介しよう。

著者が今まで研究のために手にした古書で最も重いものは22kgもあった!この本を読むために、オックスフォード大学ボドリー図書館には特別スペースがあり巨大な書見台が用意されている。昼食など席を外すときは司書のところへ戻し、再び特別室に移動するのが大変だったとか。

ファクシミリと言えば原稿を電話回線で送受信するシステムだが、これが出現する以前からこの語はある。「筆写・複写・生き写し」の意。そしてファクシミリストなる職業が存在した。写本や印刷本のページを寸部違わず肉筆で復刻することを生業とする。王侯貴族が彼らを重用、高価な稀覯本などに欠落があったとき出番となる。しかし、時に誤記も起こす。これが書物史に混乱をもたらすが、一方で高名なファクシミリストの誤りは反って価値を高めることもある。

書物史の画期は何と言ってもグーテンベルクの活版印刷。これによって印刷された“グーテンベルク聖書”は180部、現存するのは48部、本来なら同一であるはずだが多くの異同が見られる。長い年月の間に欠落部の復刻補修が行われた結果である。書物史・書誌学が必要となる所以の一つはここに在る。48部の1部は丸善が1987年オークションで落とし、現在慶応義塾大学図書館にある。1997年この本が慶大に収まるきっかけは著者の存在にあり、その経緯も本書の中で語られる。一度見てみたいものだが外部の一般人にそれは可能なのだろうか?

新書ゆえ小さいのが難だが、図・写真・口絵(一部カラー)もあり、書物史・書誌学の概要を学ぶには格好な、読書家・愛書家向けの一冊である。

 

5)酔いどれクライマー永田東一郎物語

-破滅型秀才の伝記。講読理由は主人公・著者・私が同じ高校の同窓生だから。お薦めしません-

 


“登山”というキーワードで図書カードを検索してみた。出てきたのは4巻、2巻は小学校から高校まで一緒だった山好きの友人が自費出版した自分史に近い本。あとの2巻は1920年代エヴェレストを目指し消えたジョージ・マロリーを主題にしたジェフリー・アーチャーの小説「遥かなる未踏峰(上、下)」だった。つまり登山は読書の対象外と言っていい。そんな私が“クライマー”の本を読むことになったきっかけは、書評欄にあった“上野高校”、主人公も著者も同校出身、そして私も同じ高校の卒業生であったからだ。主人公は1958年生れ、著者は1961年生れ、私は1939年生まれ、20年近く歳が違うので同窓と言う以外全く共通するものはないのだが、卒業後縁が薄かった学校だけに、その後の変化を知りたく手に取った。我々の時代山岳部など存在しかったので、それだけでも読む動機になった。

都立上野高校は旧制東京市立二中、第5学区(中央、台東、荒川、足立)ではトップの進学校だった。因みに女子では旧制東京府立第一高女の白鴎高校が同じ学区内にある。美濃部都政下の1967年小尾教育長による学校群制度導入で都立高校(特に進学校)は壊滅的打撃を受け、東大合格数だけが学校評価ではないものの、爾後国立・私立優位の状況が続くことになる。如何に左翼平等主義が先見性の無いものであるかを示す典型例である。主人公・著者ともにこの学校群になってからの生徒、そこに私との大きな違いがある。学校群制度下では上野と白鴎が一つに括られ、どちらに行くかを自分で決めることはできない。本書で知る両校の授業のやり方には、想像できないほどの違いがあるのだ。特に、母校上野の変わりようは異常だ。中間試験も期末試験も実施せず、成績評価はレポートのみ。白鴎は従来通りのきちんとした方式を継承している。

本書の内容は、ほとんどアル中状態(一晩に焼酎いいちこを2本空ける)の中吐血して46歳で逝く破滅型人間の伝記である。私の関心事は母校、著者が取り組むのは主人公の人生。伝記である以上私の観点が真っ当ではないことは承知しているが、著者が「もし白鴎に進んでいたら」と学校群制にその責の一端があるように語るのには違和感を持つ。何故なら、自由放任教育には不賛成だが、主人公は1年浪人後東大理一合格を果たしているのだからだ。

むしろ異常はそれからにある。東大卒業に退学期限いっぱいの8年を要している。その間ほとんどをスキー山岳部の活動に費やしているのだ。いくら高校時代からの登山愛好者とは言え、これは常識を超える生き方だ。まして早く父を亡くし母の働きで大学進学しながら、その労苦・期待に応えようとしないのは私には信じられないわがままにうつる。8年かけた大学生活(工学部建築学科卒)の後設計事務所に就職すると山行きは激減するものの、仕事に対する好みが強く、一ヶ所に長続きしない。二人の子供を含む家庭生活は妻(システムエンジニア)が支えなければならない。そんな不本意の中やがてアルコール依存度が高まりついに離婚、それでも元妻はマンションの一部屋に住むことだけは許し(これもかなり異常だが)、そこで生涯をおえる。何故こんなハチャメチャな人生を送ることになったのか。これが取り組む主題だが結論は不明。「こんな人が居た」で終わる。

著者は主人公と高校時代在校生として重ならないが山岳部の先輩・後輩。この人も北大で山岳部に入れ込み過ぎ2年留年、工学部資源工学を終え鉱山会社に就職するものの数年後には毎日新聞の記者に転じるような変わった経歴。主人公が留年を繰り返す中、山を通じて親密度を増していったようだ。しかし、主人公の死を知るのはその数年後、海外勤務から帰国後友人から知らされ、追悼を兼ねユニークな人生を毎日新聞に連載し、本書はこれが基となっている。

紙数の大半は大学時代の登山活動に割かれ、そのハイライトは19848月に成功したカラコルム(パキスタン)K76934m)初登頂。その他の国内の山々、南鳥島上陸など157カ所の山行記録から一部が引用されて主人公の人柄・資質を浮き立たせる。この部分は山岳愛好者の参考にはなりそういだが(計画書は図入りでしっかりしている)、私にとっては格別興味を惹くものでなかった。と言うようなわけで、本書はあくまでも母校の変遷をたどる稀有な書物として読んだので、他人に薦める気持ちは全く無い。

 

6)第三の大国インドの思考

-世界第一の人口、第三位の軍事費、第五位のGDP。その根源を知りたく読んだが、外交政策ばかりが際立つ内容-

 


1986年秋横河電機から「インド科学技術庁(のような役所)が主催するプロセス制御に関する国際学会(見本市を併設する)で講演してほしい」との要請を受けた。狙いは同社が製作販売していたデジタル制御装置のPRである。ユーザーであるとともに、分社化した情報サービス会社のパートナーでもあったから断る理由はなく、初のインド行きが決した。期間は週末を入れて一週間、滞在先はニューデリー一ヶ所、この間休日を利用して世界遺産タージマハールの在るアグラに日帰り観光をしたのみで、名所めぐりのようなことは何もなかった。しかし、滞在中終始ホスト役を務めてくれた私よりは年輩の現地法人社員Nさんとの語らいはインドに関するそれまでの認識を深めるものだった。独立に際してのパキスタン分離に伴う大混乱、彼の家族はヒンドゥ教徒だが住まいはパキスタン領にあったため、着の身着のままでインドへ逃れた体験談。紙幣に刷られたいくつもの言語(確か八つ)。「これは信じ難い数だ」との私の発言に、「我々が普通使う地図は南極・北極に近づくほど広く描かれることを知っているか?」「赤道に近い我が国の面積は西欧よりはるかに広いんだ。西欧にどれだけの国があり言語が使われている?八つじゃきかないだろう」「デリーだけでインドは理解できない。ボンベイ(ムンバイ)やマドラス(チェンナイ)の製油所も訪問してほしかったんだが・・・」と、インドの多様性をビジネスを絡めて語ってくれた。爾来そんなインドをヒンドゥ教や仏教の聖地を含め巡ってみたいと思い続けていた。しかし、もう海外旅行は無理、あれから40年近く経ったインド事情を知りたく読んでみることにした。

人口では中国を超え世界最多、経済規模もかつての宗主国英国を抜いて米・中・日・独に次ぐ第5位、軍事費は米・中に次ぐ第3位。まぎれもなく大国である。かつての“混沌”イメージは残るものの、昨今の国際社会における存在感は目覚ましい。その行動の根本にある“思考”は如何なるものか。本書に期待したのは、政治経済活動や宗教を含む社会・文化的な背景だったが、それは希薄だった。国際関係特に外交に主眼が置かれ、その中心に中国が据えられので、“インド対中政策解説”の趣きである。国家が生き残り発展するために外交は重要因子だが、もう一方に内政があり、内政と外交の調和こそが国力の根源と考えるのだが、本書はこの内政面の分析が極めて表層的、不満の残る内容だった。

ソ連(ロシア)との長期にわたる(事実上の)同盟関係、特に兵器とエネルギー依存度の高さ。パキスタンとの数度わたる戦争・紛争、中国との国境紛争、ここから生ずる中・パ連携。周辺国スリランカ、ネパール、ブータン、バングラデシュ、ビルマへの中国接近・進出、チベットとインドの深い関わり(ダライラマ亡命など)。対中貿易(対米に並ぶ規模。中国提唱のAIIB創設メンバー)とTPP。米国の対ソ(露)あるいは対パキスタン・対中政策がインドに及ぼす影響。インドを囲い込むような一帯一路と日・米・豪と組む「インド太平洋連携」(クワッド)。ウクライナ貿易(主に食糧輸入)と今度の戦争に対する対露政策(石油・石炭の爆買い)。インド外交伝統の非同盟(ソ連・ロシアとも公式の同盟関係は無い)。日本との関係では、安倍-モディ(首相就任前から親しい)の信頼関係。こう並べてみると確かにインド外交の難しさが具体的に見えてくる(特に中・パ関係は詳細で本書で知ることが多かった)。しかし、これらに対する内政の動きや国内世論に関しては何も触れていない。新露派・親中派はどんな勢力か、国民の対米感情は如何様か、それは何故か、が明らかにされないのだ。読後感は“中国脅威論”と“したたかな外交政策”が強く印象づけられただけだった。

著者は1976年生まれの南アジア国際関係専門家。在インド、在パキスタン、在中国大使館に専門調査員として勤務、複数の大学で講師などを務めている。以前本欄で「インパールの戦い」を紹介、これは英印軍・インド人の側からあの作戦を見たもので、日本人の立ち入らない地方に踏み込み情報収集・分析を行い独自の見解を披歴するものだった。今回もインド人の眼は備わっているが、これを内に向けて欲しかった。

 

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