2024年2月13日火曜日

一人参加の三陸ツアー(13)


13.陸前高田-2Rikuzentakada2The Symbol of Hope


伝承館見学のあと震災・津波の遺構を巡ることになっていた。伝承館から真っすぐ浜に向かう道を進む。新設された長大な防潮堤の頂上には慰霊台が設けられ、その先は南に開けた湾になっている。


この浜は東西に延び、東側にかつては7万本の松が砂浜はるか彼方まで続いていたが、津波で松林は消滅、新たに植林された小さな松が一部復旧過程を見せているものの往時をしのばせる規模ではない。


堤防の西側を見ると気仙川の手前に一本だけ高い松が残っており、丁度クレーン車で何か作業が行われている。これがかの有名な“奇跡の一本松”である。ここまで高くはなくてもこんな松が“陸前高田の松原”を構成していたのだろう。


この松は震災直後いっとき「生き残った」と報じられたが、翌年枯死したことが確認され、人工物として再現したものである。その工程は、上部枝葉部は型取り後プラスティックでレプリカ作成、幹の部分は中をくり抜きカーボンファイバーで強化し自立させ、根の部分はコンクリート基礎で固め、一見自然に生えたような状態に再生した、言わば“復興のシンボル”に変じたものなのだ。


気仙川河口近くに無残な姿をさらす建物が残されている。正確にはどんな建物か詳らかではないが空調が多いことから宿泊施設(ガイドはホテルと言っていたが研修所か?)と思われる。これも震災遺構として、手を加えずにおかれている。町や村が被害を受け新設の建物や荒れ地になっているところは、このツアーのあちこちで見てきたが、この建物の被災状況は、地震と津波の恐ろしさを生々しく伝えるものとして価値がある。


川の対岸は更地になっているがその先にもコンクリート製の廃屋が遠望できる。これは気仙中学校で、教職員・生徒は津波来襲以前無事高いところに難を逃れたが、校舎は完全に波に洗われ、使い物にならなくなっている。小学校も近くにありここも人的被害は避けられたが、同様な被害にあい、両校とも現在は高地に再建されているとのことだった。

今回のツアー参加の目的の一つは、震災を見聞し復興状況を確かめることであったが、ここ陸前高田でそれが達成された。

 

(つづく)

 

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