2008年8月17日日曜日

滞英記-4(2)

Letter from Lancaster-4(2)
2007年6月12日

<ロンドン遠征>
 6月3日(日)から6日(水)までロンドンに出かけていました。大学時代の友人が偶々この時期ロンドンに滞在するので会いに行くという特別な目的が在った他に、ランカスター生活もほぼ1ヶ月、少し気分転換したい気分だったからです。ロンドンではこの友人のほか東燃のシステム担当現役管理職が会議のためにたまたま3日到着していることもあり、翌朝ホテルに訪ねました。この他はおのぼりさんコースで一通り観光名所(大英博物館、ロンドン塔、バッキンガム宮殿の衛兵交代、ウェストミンスター寺院、セントポール寺院、リージェントパークなど。ピカデリーサーカスにある三越にも行って見ました。高級免税品が主体の店で、日本からの観光客では無い私には全く無用の場所でした。逆に近くのジャパンセンターの地下は食材売り場になっており、比較的安い寿司のパックを種々揃えています。早速サッポロビールと買い揃えその晩の夕食にしました)を巡ってきました。
 4万人強と800万人の違い(ランカスターの田舎度)を肌で感じた3日間でした。
1)イギリスの鉄道
・ロンドンへは往復とも鉄道です。往き(日曜日)は5時間半、帰り(水曜日)は2時間40分です!食材探しのマンチェスター行きも鉄道でした。これは往復ともそれぞれ2時間程度です(平日なら1時間強)。この時は土曜日の日帰りでした。
実は何年にもわたり週末は大々的なエンジニアリングワーク(保線工事)が行われているのです。このため例えばマンチェスター行きの場合、ランカスターからプレストン(ランカシャー州の州都)までは代行のバス(コーチと言います)で行き、ここから鉄道に乗り換えるのです。マンチェスターの到着時間が概ねダイア通りになるようコーチの出発時間が決められますが、接続に余裕を見るためかなり時間がかかることになります。
・ロンドン行きは乗車券・指定券を事前に買いました。その際、窓口でこの日のロンドン行きは、ランカスター・プレストンは例の代行バス、出発は10時50分と言われました。到着はダイヤ通りロンドンユーストン駅に16時とのこと。
当日は少し余裕を見て10時半頃に駅に着き、バスが出る駅前広場に行きました。しかし前回とは違い誰もバスを待つ人が居ないしバスが来ていないのです。ホームに戻り駅員に質すと、「10時44分発のマンチェスター空港行きの列車でプレストンに行きそこでロンドン行きに乗り換えてくれ」と言われ変更を知らされました。ぎりぎりに駅に着いていたら予定通りロンドンに着けなかったでしょう。この変更のためにプレストンで50分近くロンドン行きを待つことになりました(バスに比べ鉄道は早い)。
・プレストン発は定刻どおり。しばらくは予定の路線を走っていましたが、途中で直行線を外れ迂回路線に入りました。しかしこれはダイヤ編成上折込済みで元の路線に戻ると予定通りラグビー(ラグビー発祥の地)に着き、結局10分遅れでユーストン駅に到着しました。10分の遅れは駅近くでホームが立て込んでいて入線できないために生じたものです。つまり列車はほぼ正確に運行されているのです。
・保線工事がかくも長く続くのは、過去のイギリス国鉄の横暴(スト頻発)は目に余るもので、鉄道の信頼性が著しく損なわれ、悪循環でますます赤字が膨らみ保線がいい加減になったことに因ると言われています(私は今回乗ってみてそれだけでは無い様に感じています;平日の列車のスピードはかなりのもので在来線を使った新幹線の感じです。ヨーロッパの鉄道がどこもこの方向で整備されていることを考えると、英国も高速化のために従来とは異なる保線状態が求められ、それに応えるために大々的な保線工事が行われているのではないかと思っています)。
・サッチャー首相誕生で国鉄に大々的なメスが加えられ、列車運行を民営化(例えばランカスターの場合、バージン航空の関連会社バージントレインがマンチェスターやロンドンへの列車運行を行っている他、他社が別の目的地行きの列車運行を行っています。つまり同じ線路の上を複数の会社の列車が走るのです。そして線路だけ(駅舎の管理もそうかもしれません)はブリティッシュレールウェイ(旧国鉄;今でもこの名前は使われていますし、マークも引き継がれています)が管理すると言う複雑な仕組みになっているのです。
・民営化の影響でしょうか、列車はなかなか良く出来ていて、日本の新幹線並みの快適さです。また、平日の列車スピードはおそらく200km/hに達しているものと思われます。
・料金(スタンダードクラス)は指定券も含めて往復130ポンド(250円/ポンドとすると3万2千500円!往復割引;ロンドンセービングと言う地方からロンドンへ出る乗客に対する割引;田舎者割引を適用して)です。ヒースロー・マンチェスター間の近距離国内航空便が満席だった理由がやっと分かりました。それでも席は大体埋まっているのですからサービス料金の高さに慣れてしまっているんでしょうかね。
2)ロンドンの地下鉄
・ユーストン駅には2本の地下鉄が通じており、ホテル(ランカスターのトーマスクックで予約したInn;小規模なインド系の家族経営)のあるヴィクトリア駅周辺までその内の一本(ヴィクトリア線)で直行できることは分かっていました。しかし初めてのロンドンでいきなり地下鉄に乗る勇気は無く、例のロンドンタクシーで行きました。この夜夕食を伴にした大学の友人を訪ねるのも、先方のアドバイスもありタクシーを利用しました。2回とも大体料金は15ポンド程度(3千円強)です。かなり高いですね。
・地下鉄料金も安くありません。ゾーン1(ほとんどの行き先はこの中にある)の初乗りは4ポンド(1000円!)です。世界一高い地下鉄料金と言われています。これには裏があって、オイスターカード(JRのスイカに相当)を何が何でも普及するためにこんな高い料金が設定されているのです。オイスターカードを使うと初乗り料金は半額(2ポンド)になります。それでも500円ですよ!横河で滞英経験の長いN顧問から、メールでオイスターカードの利用を助言していただいたことが良く理解できました。ただ、私の場合ロンドン観光のツアーなどに参加したためオイスターカードを購入しませんでした。あとで地下鉄の利便さを知り、頻繁に利用し始め大いに反省した次第です。
・ただこれも鉄道同様急に駅や路線が閉鎖などされ慌てることもありました。リージェントパークへ出かけた時(予定していなかったのですが、ツアーのガイドがここのクウィーンメリーガーデンのバラが見頃と言われ出かけました)、教えられた駅が工事中で電車が止まらず、次の駅まで行く羽目になりました。これなど車内放送で通過直前に放送するだけで乗車駅では全く知らされませんでした(どこかに通知があったのかもしれませんが)。リージェントパークはロンドン最大の公園でひと駅行き過ぎても大勢に影響が無いのが救いでした。
3)ウェストミンスター寺院にて
・ビッグベン(国会議事堂)とウェストミンスター寺院はごく近くにあり、ロンドン観光の定番です。ウェストミンスター寺院へ出かけたのも、とにかく一応観ておこうと言う程度のものでした。入場料は10ポンドとありましたので紙幣を出すと、「シニアか?」と問われたので「イエス!」と答えると何も調べず6ポンドにしてくれました。この分に足して早速日本語オーディオを借り、その案内にしたがって順路を進んでいきました。歴史に残る王や女王の棺が至るところにあります。
・ウェストミンスター寺院は東西に長く西側が正面、東側が裏(こちら側は出入り口は無い)になります。入場は北から入り、案内に従い北→東→南→西と周り正面から外に出ます。これには訳があって、中央より東奥の南北に幾つかのチャペルと称する小部屋がありこれらと奥の中央部分に有名人の棺が集中しているからです。
・この順路で回っていると、深奥部(東)奥中央にちょっとした小部屋があり、ここが第二次世界大戦で功のあった空軍兵士を祀る空間になっているのです。空色の絨毯には空軍を象徴するウィングマークがあり、ステンドグラスをよく見ると救命胴衣を着けた飛行士が天に召されていく姿が描かれ、その下の横木に6名の名前(ダグラス、ダウディング、ハリス、ポータル、テッダー、ウィリアムズ)が刻まれています。ダグラスとウィリアムズは誰だか思い浮かびませんが、ダウディングはバトルオブブリテン時の戦闘機軍団長、ハリスは爆撃機軍団長、テッダーはアイゼンハワーに次ぐ連合軍副総司令官(空軍)、ポーターは空軍参謀総長と今回の研究でいずれもORと深く関わる重要人物なのです。寺院正面入り口近くには一番近いとことにチャーチルの碑が埋め込まれ、次いで無名戦士を弔う一角(他国の無名戦士の墓に相当)がバラの花で縁取られています。第二次世界大戦の勝利に空軍が特別な位置づけを与えられていることに間違えありません。ORの起源が防空政策に発したことを思い起こすと感慨深いものがありました。
-後日談-
 ロンドンから帰った翌日(7日)Mauriceにこのことを話し、「空軍ばかりが救国の功労を独り占めして良いのかな?」と問いかけると、「セントポール寺院に陸軍と海軍が祀られているからね」、との答えが返ってきました。つまり、ワーテルローの戦いでナポレオンを破ったウェリントン、トラファルガー沖海戦でスペイン・フランス連合艦隊を破ったネルソンの棺があることを言っているのです。これが冗談なのか本気なのか今でも不明です。
4)ロンドンのビジネスマン
・着いた日は日曜日、天気も良く暑いくらいの陽気で街の様子もカジュアルな雰囲気に満ち溢れていました。翌朝東燃の後輩に会うため地下鉄でチャリングクロス駅に向かいました。ラッシュアワー時です。何となく駅も地下鉄内も暗い感じがします。駅を出てホテルに向かう道筋も何か暗い感じです(天気は晴れですが)。ホテルのロビーで彼と会ったとき初めてその理由が分かりました。彼以外は皆ダークスーツなのです。
・4日にはInnから歩いて国会議事堂方面に向かいました。テムズ河北畔を下流に向かう道筋は国防省など官庁が集まるホワイトホール地区です。ここで出会うビジネスマンもほとんど(9割がた)ダークスーツです。黒・濃いグレー、無地か目立たぬ縦縞です。濃紺さえありません。若い女性も地味な服装です(赤など着ているのはお婆さん)。さすがにシャツは色物(ブルーやピンク)も着用していますが薄い系統です。
 この観察が面白くなり、帰りのユーストン駅で発車を待つ間さらにベンチに座って観察をつづけました。ネクタイを外している以外全く状況は変わりません。今度は靴にも着目してみました。スーツほど徹底していませんが、紐靴が圧倒的に多いのです。これは靴を脱がない習慣も影響していると思いますが日本とは大違いです(日本人のビジネスマンはスリップオンタイプが大勢ですね)。
・ランカスター大学の先生も色合いは地味ですが、スーツばかりでなくジャケット、ブレザーなど多様で、Mauriceのネクタイ姿は見たことがありません。前回会ったときは、ジーパンに濃いブルーのTシャツ、これも濃いブルーの軽そうなジャケットを羽織っていました。ロンドンとランカスターの違いに加えて、大学の自由度を感じます。

 いつもに比べ長くなりましたがこれで4回目の報告を終えます。

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