2008年8月14日木曜日

滞英記-4(1)

Letter from Lancaster-4(1)
2007年6月12日

 6月3日より6日までロンドンへ出かけました。到着来マンチェスターへ食材調達で出かけた以外ランカスターに留まっていました(湖水地帯には出かけましたが日帰りです)ので、ぼつぼつ気分転換が必要と感じたからです。それにこれからの研究にもロンドンを知っておくことが必要ですし。
 ロンドン訪問記はこのレポートの後半(次週(2)としてブログアップ)で行うこととし、今までお送りしたレポートに対して、「ところで何を勉強しにイギリスに出かけたんですか?」、「ORって何ですか?」と言うような質問をいただいています。そこでこの3週間のMauriceとの話も含めて、これらに回答する形で近況報告をスタートします(ORに精通している方には雑駁で冗長な説明になりますので飛ばしてください)。
<ORと私の研究>
1)ORとは
・Operational Researchあるいは米語でOperations Research(こちらの方が国際的にも普及しています)のOとRを取った略号です。
・Operationとは(軍事)作戦のことで、直訳すると“作戦研究”ということになります。
・これだけですと軍の学校で学ぶことのように聞こえますが、作戦を作り上げるのに数理(と言っても初期の段階ではほとんど統計学と言って良いでしょう)を駆使するところに単なる兵学とは異なる特色があります。
・ORの起源は、台頭するナチスドイツの空軍力にいかに対抗するか?と言う英国の国家防衛戦略からスタートします。科学者を動員して1930年代の半ばから始まった研究は、レーダーを生み出しこれと数理・通信・情報科学を一体化した防空システムを作り上げました(このシステムの概念は現代の各国防空システムに引き継がれ、原理的には変わっていません)。
・ここで動員された代表的な科学者は、インペリアル理工科カレッジ学長であったティザード(Mauriceはタイザードと言う)を委員長に、ノーベル生理学・医学賞受賞者のヒル、後にノーベル物理学賞を受賞するブラケット、レーダーの発明者;ワトソン・ワットなど錚々たる顔ぶれが揃っていました。そしてほとんどが第一次大戦に従軍しており、士官としての軍歴(戦闘経験)も有していたのです(つまりレベル・深さこそ違うものの“ユーザー知見”を有していた)。
・この委員会は通称“ティザード委員会”と呼ばれ数々の実績を上げていきます。具体的には、敵機発見のスピードと精度を上げる、対空砲火の命中精度を上げることなど。そして、ここが肝心ですが結果を正確に把握・分析・評価するようにしたのです(“大本営発表”とは大違いですね)。これが何とか1940年のバトルオブブリテン(英国の戦い)と呼ばれる激しいドイツの航空侵攻作戦に間に合い、イギリスは辛くもこれに勝利し、反攻に転ずる時間稼ぎが出来たのです。
・次いでこの手法は、Uボート作戦に応用され、哨戒機のルート決定、対潜航空爆雷の爆発深度設定、また護送船団の組み方などに広がり、海上輸送に依存する英国の脆さを立て直し、生命線を確保できるところまで持っていったのです。
・少しオーバーに言えば“ORによって英国は救われた”のです。
・当時この活動は高度な機密事項で、米英の協力体制を作り上げるトップ会談で初めてアメリカに明かされ、アメリカもORを積極的に取り入れて作戦策定を始めるようになります。特攻機をいかにかわすか?を艦種別にガイドラインを作ったりしています。
・戦後これらの成果が公開されると、種々の応用数学手法と発展著しいコンピュータが組み合わされ、政策決定や民間企業経営の各方面で活用されるようになりました。
・私が働いてきた石油会社でも、早くから原油の選択(市場と設備にマッチした原油を選ぶ)、プラント運転条件の設定(手持ちの原油を出来るだけ需要に合うよう処理する;出来るだけコストがかからないように)、あるいは設備の建設計画などにORが適用されてきました。

2)研究の動機・背景・目的(特に訪英の)
・45年の企業人人生で計測・制御・数理・情報畑(これらは広い意味で、ITと言う言葉に集約しても良いでしょう)で働いてきた私にとって、ITが進歩しその利用範囲が広がることは大変うれしいことです。
・しかし、少し気がかりなのは経営者や上級管理職が大事なことを決める局面でIT(特に数理)が果たす役割がそれほど昔と変わらない点です。このレベルの扱う問題は繰り返して出てくるものが少ないこともその一因と言えますが、それでも経験や勘あるいは組織のしがらみに依存した決定が行われる傾向が強いように感じます。もう少し定量的・論理的な要素を反映すべきではないか?どうしたらそのような環境が醸成されるか?このために技術者が工夫すべきことはなにか?
・20年の工場勤務の後本社情報システム室数理システム課を預かる職位に就いて、経営に近いところでIT活用を進めるようになると、特にこの問題が頭を離れなくなりました。何か手掛かりになることは無いか?これで思い至ったのが“ORの起源に学ぶ”と言うことなのです。つまり数理の専門家(実は数学者ではなかったのですが)と政治家・軍人が協力して国家の大事を解決する策を作り上げ、利用していった過程を研究することによって、経営者・上級管理者とIT技術者の関係改善とITを高度なレベル(経営上の意思決定)で利用する方策が見えてくるのではないか?これが40歳代後半のことでした。
・ただ、これをどう具体化するかは一昨年Mauriceの著書「Operational Research in War and Peace」を知るまでは全く見えていませんでした。この本をインターネットでたまたま見つけ、取り寄せ目を通したとき「求めていたものは当にこれだ!」と20年のモヤモヤが一気に晴れたのです。
・Mauriceと私の研究の違いは、彼がOR発展の軌跡を通史として描いているのに対し、私は人・組織の関係に着目し、専門家と意思決定者の協力関係改善・強化の方策を見つけ出そうと言う点にあります。そのために関係者個人の資質・経歴、意思決定者の“こと”に臨んでの言動、組織の持つ伝統的特質、組織間の軋轢とその解決などを掘り下げて調べる必要があるわけです。彼が著作を書き上げるまでに調べた参考文献・書籍はこのような情報を豊富に含んでいるに違いありません(先週末までのゼミでそれは充分証明されています)。それを直に聞き出すために此処に来ているわけです。
・これだけのことならばインターネットを利用してメールをやり取りするだけでかなりの作業は済むかもしれません。そしてある程度整理した段階で数週間集中的にMauriceのスクーリングを受ければ所期の目的を適えることも出来るでしょう。ただこの研究課題の仮説(予想する答え)の一つとして、“英国社会独特の特質(自然環境を含む)”があるのではないか?があり、これを明らかにするためには数ヶ月の短い期間でもこの地に滞在して、それを感じ取るべきではと面倒を覚悟でここへ出かけてきたわけです。
<3回の個人ゼミ>
 Mauriceとはここへ来てから5回会っています。初回(この時予め送ってあった訪英研究計画案に対する関連資料をもらっています)と二回目は挨拶や生活基盤に関することに費やしたので、研究活動については3回になります。
1)第一回(5月24日)
初回の資料に加えて、第一次世界大戦後の空軍戦略に関する資料、第二次世界大戦における戦闘機軍団でのOR適用、それに“もし戦術核がドイツの西方作戦(フランス侵攻)時ドイツ・英仏両陣営に在ったら”と言う彼独自の研究(7月プラハで開催のヨーロッパOR会議で発表)の資料をくれ、これらの概略説明をうけました。
また、彼の著作が出来上がるまでの苦心談を聞きました。
2)第2回(5月31日)
OR(Likely;類似、もどき)前史とも言うべき、第一次世界大戦および直後の活動を3つの事例を基に話し合いました。
①海軍における対潜作戦(護送船団)に関して海軍の中堅士官2名が提言した、船団規模と損耗率に関するもので(大規模船団ほど損耗率が低い)、海軍中枢部には受け入れられないものの、当時の首相;ロイド・ジョージに直訴し、その採用が決まった事例です(これは直後のアメリカ参戦で実施されずに終わり、海軍中枢は面目を保つことが出来たのです)。
②陸軍におけるドイツ主力砲撃陣地の精密特定に関して、本来はカナダの電気技術者だった士官が考案した、光と音の正確な測定によりドイツ砲撃陣地のあり場所を精密に測定し、ここに味方の砲撃を集中し、膠着状態だった戦線に突破口を開いた例です。
③これは戦時中のことではありませんが空軍士官として従軍し、その後貴族院議員になり空軍戦略に深く関わることになるティバートン伯爵の考え方とその形成過程に関するものです(後の各国の爆撃戦略に先立つ先見的な構想)。
この三つの事例を、軍中枢と提言者(特に民間出身者)の関係(提言前から提言後、その後の経緯まで)がどのようであったかを聞かせてもらいました。
 この話し合いの後、「民間人と軍の関わりではもう一人興味深い人物が居る、ザッカーマンと言う南ア生まれのユダヤ人で、動物学・解剖学専門(類人猿;ヒヒの脳解剖)だったが、やがてノルマンジー作戦における爆撃戦略で重要な役割を担うことになる男だ」と話してくれました。「伝記か何かありますか?」と問うと、「部屋にあるはずだ。貸してあげるよ」と言うことになり彼の部屋で探したのですが膨大な蔵書と書類で結局この日は見つからず、3回目(6月7日)のゼミで手渡してくれました。
この本の内容は別途研究ノートとしてまとめるつもりですが、“新たな金脈”を見つけた感があります。ザッカーマンも同席する戦時オフィス(実質的な統合参謀会議)でのチャーチルの苦悶(連合軍最高司令官であるアイゼンハワーが支持する彼の提案(フランスの鉄道網破壊)は、イギリス爆撃軍団の戦略(ドイツ都市の無差別爆撃)と異なりなかなか決断できない)が生々しく描かれていました。
 また、この本を読んだことで、広く知られている“ORの始祖はティザード委員会(空軍省)、特にブラッケトの存在”と言う話に若干修正が必要と感じました。ザッカーマンは対独防空計画からこの世界に入ったのではなく、爆撃の被害予測(サルを使った実験など)・分析(国家安全省)からORの世界に関わってきたことが分かったからです。
 またこの伝記の著者(ジョン・ペイトン)が、労働党政権の運輸大臣で後に影の内閣のリーダーになったことを知りました。“イギリス人のアマチュアリズム侮るべからず!”の感を強くしました(仮説:英国における初期のOR成功因子としてこの英教養人のアマチュアリズム;妙なものに好奇心・興味を持ち、始めると専門家そこのけでのめり込む、が大きく影響しているのではないかと考えています)。
3)第3回(6月7日)
①日本でORと言うと“ランチェスターの法則(特に、N二乗の法則;A軍:B軍の手持ちの兵力と損耗率をベースにどのような戦い方をすべきかを考察する)”が有名です。  Mauriceの著書のOR前史にもランチェスター(航空学者)の功績が書かれています。
日本では、この法則を市場の競争戦略(特に、販売)に利用する経営コンサルテーションが普及しており結構有用な理論と評価され、ファンも大勢います。
 私もこの理論の存在は無論承知していますし関連著書も読んだことがありますが、何かORの正当な(?)位置からみるとこの適用状況に一抹の“胡散臭さ”を禁じえません。
 そこで、今回このランチェスターについてMauriceに質してみました。答えは「軍事専門家の世界では初期の研究として高い評価もあるし、彼自身あの法則を発表後軍の委員会のメンバーになっている。しかし日本の事例のような他分野への展開事例は欧米には無い」との答えを得ました。
数理を、その発見者さえ気が着かない分野で応用することは、今日隆盛を極める金融工学をはじめ諸分野で多々認めらます。数理の歴史を学ぶことの面白さにこれがあると言っても良いくらいです。誰がどのように利用しようと私が非難すべきものではありません。しかし、わが国でのランチェスター法則に関する限り、本人は墓で苦笑している気がします。
②英国におけるOR先駆者がほとんど“技術者ではなく科学者”であることについて往時の英国における高等教育のあり方とそこで学んだものの資質や経歴について、日本の高等教育体系(軍の教育も含め)と比較しつつ、協力体制醸成の可能性の違いを論じました。  科学至上主義・教養主義の高等教育と実業重視の教育に一長一短あることが浮き彫りになりました(戦後の英国の製造業衰退の一端はここにあると英国人は感じているようです)。
③ティザード委員会が軍事科学推進に力を持つことになる背景について質しました。
結論から言えば、政治家の強力な後ろ盾(特にチャーチル)と第一次世界大戦以降の科学戦に対する一部軍人の先見性が、科学者が軍人と対等(協力的な環境下)な立場で科学(OR)適用を進められたといえる。
④主要な軍高官(今日まで話題にした範囲では空軍(戦闘機軍団、爆撃機軍団、沿岸防衛軍団;対Uボート作戦))と科学者の関係について個々人レベルで当たって見ました。
 結論から言うと、爆撃機軍団長ハリス以外とは良好な関係であった、ということです。ではなぜハリスだけは上手く行かなかったのか?この答えは2~3回後に明らかになると思います。

以上がここ3回のゼミのダイジェストです。

0 件のコメント: