2008年12月30日火曜日

今月の本棚-5(12月)

On my book shelf-5

<今月読んだ本>1)日本と中国(王 敏);中公新書
2)鉄道地図の謎から歴史を読む方法(野村正樹);KAWADE夢新書
3)旅する力(沢木耕太郎);新潮社
4)機密指定解除(トーマス・B・アレン);日経ナショナルジオグラフィック
5)<満洲>の歴史(小林幸夫);講談社現代新書



<愚評昧説>
1)日本と中国-相互誤解の構造 もう“中国”はいいよと言いたいくらい中国モノの本が書店に溢れている。経済発展とその歪および国際政治におけるプレーヤー、特にわが国にとって厄介な隣人としての視点が圧倒的に多い。しかしこの本は決して時流におもねる類のものではなく、文化の根底の違い(副題にある、-相互誤解の構造-)を探り、その先に相互理解の道を探そうと言う建設的な内容のものである。
 中国側には日本文化は中国文化の亜流と言う見方が強いこと、日本側には「同文同種」で描く理想、相手を知っているつもり、と言う誤解があることを30年におよぶ日本文化研究から両国文化の違い(独自性)に踏み込んでゆく。
 先ず同文の漢字について、日本が漢字到来以前の言語体系の中で使ってきた言葉を漢字に置き換える苦労、さらには国字(日本製漢字)の考案に踏み込み、日本文化の独自性を説明している。例えば“働”や“躾”は国字でこれなど中国人が見ても理解でき、傑作と言う感想を持つらしい。一方同じ字が違った物・事を示す例として“椿”が挙げられている。日本の椿と中国の椿では花でも品種が違うとのことだ。
 字に関わる文化の違いはさらに文学に及び、もし仮名が発明されていなかったら「源氏物語」や「枕草子」に使われる繊細な表現は出来なかったと、“小さい”ことを表す漢字が“小”あるいは“極小”しかない例で説明する。
 この言語の違いの問題は議論を交わす場になると、気配りを重んじ敬語や丁寧語の多用する日本語は論理的展開に向いていないと感じている日本通の中国人が多い。凶悪犯説得にまで丁寧語で呼びかける日本の警察のやり方は、善悪をハッキリさせる中国や西欧の文化とは決定的に違うことを指摘している。この辺りは日本文化が仏教の影響を強く受けているのに対し中国は歴史的に儒教思想に長く支配されたことから生じているのではないかとしている。
 職場で何か重大な過ちを犯したとき中国なら「懲戒免職」となるような事件でも、日本では「辞職願」を出させ自ら辞める形を採らせ、周辺の人間は事情を知っているものの、公にはその内容が知らされない。このような対処は中国人(ばかりで無く西欧人も)から見れば寛容すぎると受け止められる。
 そして“誤解”の今日的な話題として「謝罪」が挙げられる。“何をわびるのか?” 日本では犯した“罪”そのものでなく、先ず“世間を騒がせたこと”をわびる傾向が強いと指摘する。その後で“罪”そのものは無罪だと主張する偽装事件のような例をしばしば見かけるが、謝罪したから「禊は済んだ」と言う考え方は中国人には通用しない。逆に言えば「原因がハッキリしなければ(その場を繕うだけの)謝罪などしない」と言うのが中国のみならず世界の常識だということである(こんな態度をとれば日本では袋叩きに会うことを筆者はよく承知している)。
 日本の土下座や禊は一回限りでその罪を謝罪したことになるが、中国では、謝罪する際には、何をどう反省したかを論理的に語ることが大事で、その内容を言葉で表現しない限り謝罪とは受け取られない。そしてその内容に一貫性が求められる。
 宮沢賢治の研究家でもある筆者は、日本人の「感性が基本」と言う考え方をよく理解している。その上で、中国人(否日本人以外の人々)の論理性を重視する考え方とどう折り合いを付けていくか? これを“未完の課題”としつつも両国における“日中異文化認識”を深めることがその改善のカギとしている。
 “リーダーの決断と数理”を研究する評者にとって、常日頃感じるのは決断に際しての“論理性の欠如(あるいは軽視)”である。“不満ミニマム”が最適とする考え方は小集団(鎖国した日本を含む)では通用しても、価値観の違う世界(異文化)では受け入れられない。両国の異文化理解を一般の日本人に理解しやすい形でまとめられた本書から学ぶところ大であった。

2)鉄道地図の謎から歴史を読む方法
 筆者の野村さんは親しい友人である。もとはサントリーのサラリーマンだったがミステリー小説で二足草鞋の作家デヴュー。その後早期退職してビジネス書を中心に作家活動をしてきた。長い付き合いの氏が鉄チャン(鉄道マニア)であることを知ったのは意外と最近で、昨年暮れの忘年会で鉄道エッセイ集「嫌なことがあったら鉄道に乗ろう」(日経新聞社刊)を手にしてからである。その際話術の巧みな氏から、鉄道ものの出版にまつわる苦労話を聞かされた。一言で言えばこの世界は“他分野からの参入に排他的”な空気が強いらしい。
 そんなこともあり今回の著書は鉄道をテーマにしながら“歴史”を学ぶところに主眼が置かれた“歴史モノ”だと言うのが本人の弁であった。しかし、マニアまで行かない“鉄道ファン”としては十分鉄道モノとして楽しむことが出来た。
 構成は明治維新後スタートした新橋・横浜間の汽笛一声から今日建設計画を進めている各新幹線までの鉄道にまつわる話題と日本の近・現代史上の出来事を巧みに組み合わせたユニークなもので、確かに歴史を通史として学ぶことにも役に立つ(中学生くらいか?)。ファンとして興味深かったのは地方鉄道や私鉄に関する部分で、会社の成り立ちや路線決定の経緯など初めて知ることも多く、そこそこ好奇心も満たされ、各駅停車の気分転換にもってこいだった。

3)旅する力-深夜特急ノート 副題にある“深夜特急”は筆者をノンフィクション作家として世に知らしめたものとして有名なデリー・ロンドン間を乗合バスで旅する旅行記である。今では多くの若者の旅行バイブルともなっている。評者も1986年5月、この本が出版された時にその第一巻と第二巻を購入している。
 この本で作者は旅に対する考え方、少年時代の旅体験、ノンフィクション作家としての修行時代を紹介し、やがて“深夜特急”の舞台裏を覗かせ、旅が終わったあとの自身の変化と“深夜特急”を書いてゆくプロセスを語っている。中でも第一巻・第二巻の出版(同時出版)が終わり、第三巻が出るまでに6年を要したことについて当時の心境を語るところは、評者も今か今かと待っていただけにこの著書でなるほどと納得させられた。つまりデリーから西南アジアを経てトルコに至るまでは“行けるかどうか分からない”状況に挑戦せざるを得ない状態の中での旅であったのに対し、トルコ以西はどのルートをとるかの問題であって、それまでとは異次元の旅になり一旦筆を下ろしてしまうとなかなか書けなかったということらしい。一般人の旅にたとえれば、自身で計画し実行する旅とパック旅行の違いのようなものかもしれない。前者は書く材料が向こうからやってくるが、後者ではガイドブックと違う、書く価値を持つ材料をどこまで見つけられるか難しいところがある。
 ノンフィクション作家として、筆者は無論旅以外のテーマも沢山書いている。特にスポーツ物や壇一雄なども評価が高いが、私としてはその後に読んだ「バーボン・ストリート」なども含めて紀行文が面白さにおいて郡を抜いているように感じる。それは多分自分の体験に基づいた作品だからであろう。その点で本書は旅への考え方とものを書くこと対する心構えを学ぶ格好の教科書であった。

4)機密指定解除  英米の機密解除文書、冷戦後の旧ソ連文書など軍事・外交に関わる極秘文書を丹念に調べ、50通を選び出し、そこに記載された機密内容と案件のその後の成り行き・結果をまとめたもの。古いものでは米国の独立戦争や南北戦争から、第一次・第二次世界大戦、新しいところではヴェトナム戦争やウォーターゲートスキャンダル、さらには9・11を予測したかに見えるに事例などが取り上げられている。
 スパイ、二重スパイ、暗号解読などその道の専門家が関わる例が多くを占めるが、意外と国家指導者の発した平叙文の手紙などもあり臨場感が味わえる。真珠湾攻撃やヤルタ会談におけるルーズヴェルトの発したものやアインシュタインが原爆開発を予見して大統領に宛てた文書など日本人に身近な話題も多々あり巷間伝えられてきた歴史観をチェックする面白さがある。
 ただ、50の事例に繋がりがあるわけではないので“この一冊から何を学ぶか?”は今ひとつまとまらない(推薦文を書いている外務省のロシア専門官だった佐藤優氏はその道の専門家育成用教材としての価値を書いている)。それに内容からくるのかあるいは翻訳技術からくるのか、日本語の文章として理解しにくいところもある。

5)<満洲>の歴史 生まれ故郷である満洲には特別な思い入れがある。従って個人の記録、写真集、専門調査・研究書のようなものを除く一般図書として“満洲”をタイトルに含む本が出るとつい手を出してしまう。その数は20冊を超える。これらの主題内容は種々雑多だが、概ね満州事変と関東軍、満州国成立と溥儀の復辟、満鉄(調査部だけに焦点を当てたものを含む)、満蒙開拓団、ノモンハン、ソ連侵攻、引揚げなどで、軍事・外交面から書かれたものが多く、意外と農業・工業を掘り下げたものが少ない(専門報告書を除く)。
 本書は大東亜戦争をアジア、特に中国・満洲に重きを置いて研究している学者が、日本人の視点と当時の現地既成勢力の立場の複眼で、この地方(現中国東北部)の通史を満洲成立の前史から消滅までを書いたものである。政治経済、外交、軍事はもとより農業、工業、さらには文化に至るまでカバーしている。
 評者が本書を高く評価するのは、開拓移民による現地での農業推進の実態、特に経済の面から簡潔に分かりやすくまとめていること。日本の戦時経済に先駆けた統制経済計画の理想と現実のギャップをこれも分かりやすくまとめている点である。農業でいえば北海道に似た自然環境の中で大規模農業を目指したものの、農業機械などほとんど揃えられずその土地を熟知した漢人・満人の従来農業を真似ることから脱せなかったことを失敗(人件費の違いから競争出来ない)の要因としている。工業では長期の平和を前提とした計画が日中戦争で滅茶苦茶にされていく。
 私事だが、国策会社、満洲自動車製造に勤務していた父が、生前当時の日本のトラックがフォード製に比べ如何に酷いものだったかをよく語っていたが、その論拠はアメリカから輸入した車を同社でテストしていたことにあることが本書を読んでいて分かった。
 新書版サイズで満洲全体を理解するには最良の書といえる。

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