2009年4月5日日曜日

決断科学ノート-3

決断科学ノート-3
ビジネススクールにて

 1983年会社の研修制度のひとつであったビジネススクールの短期コースに参加した。派遣先はカリフォルニア大学バークレー校(本校)である。このコースはアメリカ企業の中間管理職向けのもので、約2ヶ月間経営者に必要な知識を一通り教え込むことを目的としていた。この年のテーマは「アメリカ企業を如何に再生(Revitalize)するか?」であり、特に日本の勢いが強かった時だけに、唯一の日本人生徒であった私は何かにつけ注目され、その後の人生に転機をもたらすことになる2ヶ月であった(滞英記-10(1)に関連情報)。
 ビジネススクールのカルキュラムといえば事例研究(ケースメソッド)が有名だが、この短期コースではそれは数例で、それよりも国際政治からエネルギー問題、産業政策(特に日本の)など幅広いテーマの講義とそれに関するディスカッションを中心に構成されていた。“再生”に真に必要なことは小手先の戦術論だけではないと言うことであろう。
 1951年度ノーベル化学賞受賞者のグレン・シーボーグ教授(106番目の元素は彼を讃えて“シーボギウム”と名付けられた)、のちにクリントン政権下で“日本異質論”を展開することになるチャーマーズ・ジョンソン教授(日本の通商産業政策研究に関する世界的権威)、当時の中曽根首相とも親しく東アジアの政治に詳しいロバート・スカラピーノ教授(この人は1941年ドナルド・キーン等と戦争遂行のため日本語を本格的に学んでいる)などアメリカの知性を代表する錚々たる教授陣と少人数(全部で20人)の学生が、文字通り膝を交えて行われた授業は、緊張の連続であるとともに、アメリカのビジネススクール教育の底力を痛感させられる毎日であった。
 そんな中で、ある時教室に8ミリ(ヴィデオだったかもしれない)映写機が用意され、英国の製鉄会社(公社だったかもしれない)の経営会議を延々と映し出し、これについてディスカッションする授業が行われた。学部卒業者向けの長期コースにも使われる、どちらかと言うと“方法論”の授業である。
 ここで取り上げられた経営会議は決して模擬ではなく、実際の会議を初めから終わりまで撮影し、授業に関係ない部分をカットして編集したもので、会議の議題は電気炉の投資案件を決するものだった。映写時間は40分くらいであっただろうか。カメラは冒頭の議長役の開会挨拶(?)から担当者の説明、これに対する議論を、最終決定に至るプロセスを休憩時間の参加者の行動を含めて追っていき、それを観たあと意思決定が如何に行われるかを、分析・学習するものであった。見せるために作られた作品ではないので、あまりストリーに抑揚も無く、率直に言って当時の英語力(特に聴き取り)では、案件が電気炉の採否であること、そしてそれが採用されることになった結論以外にはほとんど理解できなかった。つまり会議参加者の発言内容を理解できぬまま終わったと言うことである。
 しかし、本当の授業はここから始まるのである。教官(比較的若い)はこれを観たあと、「内容に何か質問はあるか?」と切り出し、圧倒的に多い事務系の学生から電気炉や製鉄業についての質問がいくつか続く。それらを片付けると「このフィルムを観て気のついたことを話せ」と学生に発言を促す。「経済評価で議論の対立があったが、確かに説明が理解しにくかった」「Aは他の人の意見をきちんと聞かず自分の主張を繰り返していた」などと同級生が話し始める。教官がそれに対して「経済評価説明のどこが理解しにくかったか?」などと切り込んでくる。クラスの過半のメンバーが発言し終わると、私の顔を見つめる視線が気になってくる。「(お前も何か言えよ)」と言う合図だ。「(議事内容がほとんど解らないのに何を喋ったらいいんだろう?)」。
 実務を通しての経験と勘を基に、意を決して喋ることにした。「正直言って、議事の内容はよく理解できなかったが、BとCの関係について気になることがあった。私の理解ではBは明らかにCよりも地位が上である。しかるにBは自分の発言に対するCの反応をしきりに気にしていたし、他者の発言時にもCを見ていることが多かった。また休憩時間にもBが熱心にCに語りかけていた」「ほかの人間もCに注目している傾向があった」「公式の組織上のリーダーはBかもしれないが、実質的な力関係はCが上ではないか?会議全体のキーパーソンはCではないかと思う」と専ら映像から理解したところを述べてみた。「いいところに気がついた!組織の意思決定ではパワーストラクチャーの把握が大切だ」 それからはこのパワーストラクチャーに関する講義が中心の授業になっていった。
 “トップダウン”があたかも定石のように言われる欧米の意思決定でも、“場(必ずしも会議の場だけではない)”の空気を汲み取りすっきりと決断できることが理想的である。パワーストラクチャーの分析把握を正確に行い、リーダーがこれに基づいて自らの考えを実現するシナリオを用意して、意思決定の場に臨むことの重要性をここで改めて体系的に学んだ。シナリオの中身が単なる“根回し”でないことは言うまでもない。冷徹な論理を、要路に在るキーパーソン向けにどう料理できるかが問われるのである。

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