2009年5月17日日曜日

決断科学ノート-8(戦果・成果の測定・評価)

 数理を意思決定に利用する場合、その基本は信頼でき納得できる数字である。企業経営の結果(つまり成果)は損益計算書・貸借対照表に集約される。素早い経営判断を求められる昨今の経営環境下では、これら経営指標の算出が、嘗ては半年単位であったものが最近は四半期になり、内部では月次で行われ次の期や更に先の計画を決めていく。このため数字に関して細かく算定基準が定められ、経営情報システムも充実して経営実態が外からでも分かるようになってきているが、それでもトップマネージメントと現場の齟齬は生じている。粉飾決算などは論外としても、在庫や仕掛状況がタイムリーに、正しく報告されておらず(報告されているのに意思決定者が問題点に気がつかないということもあるが)、次の手の判断を誤ることなどしばしば見られる事例である。
 正確な数字無しに憶測や希望を交えて誇大な成果を喧伝することを“大本営発表”などと揶揄することとがあるが、軍事作戦によくある戦果の過大評価はわが国固有のものではない。バトル・オブ・ブリテン中の数字ではドイツ空軍戦闘機パイロット申告の英空軍機撃墜数は当時の英軍機全数を上回っているようなことも生じているし、英軍内での損害機数ですら戦闘機軍団(損害多)と空軍省(損害少)とで大きな差が出ている。
 ORに関係する英軍のドイツ機撃墜数分析に、海岸と内陸の対空砲による差が顕著に出て問題になったケースがある。海岸砲の撃墜割合が内陸のほぼ3倍に達していることに疑問を持ったORチームがこれを分析したところ、内陸では民間監視部隊や陸軍も協力して撃墜数を地上で確認する“物的証拠”ベースであるのに対して、海上での確認は対空砲部隊の“状況証拠”ベースの申告に基づいていることが明らかになり、海上での撃墜数を一定割合で減ずる処置を取っている。
 艦船の被害分析はそれ以上に難しい。第一次世界大戦までの海戦は両軍が目視できる範囲で戦闘が行われたため、戦況把握は比較的容易だった。しかし第二次世界大戦では艦上機が攻撃の主力となり双方の主力は数百キロ離れている。その戦果は搭乗員や偵察任務の潜水艦による確認しか出来ない。戦闘状況や天候などによって、艦種、被害の程度はその時々によって実態と大きな差が出る。確実な撃沈はともかく、大破や中破などという表現は相当主観的になる。果たしてこの作戦(戦術)で良かったのか?次の攻撃はどうすべきか?曖昧な評価は作戦検討用モデルの精度を低下させその効用が失われていく。1951年に出版された、キンボール(MIT教授)とモース(コロンビア大教授)が今次大戦中の米軍のOR適用を紹介した「Methods of Operations Research」の第8章“Organizational and Procedural Problems”にこのような問題にどう対処したかが記載されている。かいつまんで言うと、ORグループをモデル維持・運用管理する中央チームと実戦部隊と行動を共にして戦果(あるいは被害)を定量化する前線チームで構成し、両チーム間での密なコミュニケーションと要員ローテーションを行うのである。これによって戦闘員からの報告を適正な形に整えて、OR適用をより実戦を反映したものにしていったのである。上層部の一部には戦争遂行に必要な知識人を戦場に出すことに反対する意見もあったが、これによってORグループの評価は高まりスタッフの地位が確立していったとしている。
 更に難しいのが空爆の評価である。OR活動はその歴史を辿る時、英国の防空システムにおけるレーダー開発に端を発して、ブラッケット等の活躍を先ず取り上げ、そこから各種展開を述べるのが常道である。それ故ブラケットは“ORの父”と称せられるようになった。しかし、滞英研究の最初の研究材料として、ブラケットとは全く関係の無いところで戦争における数理活用に関わっていた、ソーリー・ザッカーマンと言う人の伝記を与えられた。
 ザッカーマンは南ア生まれの動物学者・解剖学者で、オックスフォードで学んだ後バーミンガム大学で教授を務めていた時(第二次世界大戦直前)、科学者の戦時動員体制に組み込まれ、国家保安省の求めに応じて“爆撃効果測定”の仕事に携わるようになる。1940年から始まったドイツ空軍の英本土爆撃100事例以上の被害状況を綿密に分析し、“標準損害率”や“地区別(都市、軍事施設などで分類)損害度”を算出して住民の避難計画や防空施設建設に役立てるようにしていったのである。この分析の裏づけには彼が本来の研究に飼育していた大量のサルも実験材料として使われている。
 これらの研究がやがて「The Field Study of Air Raid Casualties(空爆損害事例研究)」としてまとめられ、政府のトップや軍統帥部に回示され、高い評価を受けるとともに大いなる論争を呼ぶことになる。それは攻勢に転じた連合軍の爆撃戦略の根幹に関わる、都市爆撃か軍事・兵站拠点への爆撃かと言う資源(爆撃機)配分問題の決定因子としてクローズアップされたことによる。
 爆撃機軍団は無論、空軍省の主流そしてチャーチルの科学顧問を務めるリンダーマン(オックスフォードの物理学者で都市爆撃効果を算出)は爆撃制圧論(空爆だけでドイツを屈服させる)に凝り固まっており、チャーチルもこれが復讐心に駆り立てられる大衆の支持を惹きつける格好の材料と考えている。これに対してザッカーマンは、都市戦略爆撃は一見派手だが意外と実害が少なく味方の被害が大きいことを数字で示し、リンダーマンの数字が過大と反論するともに、軍事(飛行場など)・兵站(橋や鉄道の要衝;操車場など)拠点への攻撃が敵戦力低下に効果的であることを突きつけることになる。この論争はやがてティザード委員会の知るところとなり、ティザードやブラケットもザッカーマンを支持する意見を述べる。二つのORの流れがここで交わる。理はザッカーマンにある。二つの数字の間で苦悶するチャーチル。
 高度に政治的な要因で都市戦略爆撃が実行されるが、戦後の戦略爆撃調査分析はザッカーマンの主張が正しいことを証明する。ドイツの兵器生産は増加している一方爆撃機搭乗員の戦傷・戦死率は三軍の中で最大であった。
 現状をより正確に反映した数字こそ数理活用向上そして課題改善のカギとなる。そのためには数理の専門家がもっと現場と密着する必要がある。

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