2009年5月28日木曜日

決断科学ノート-9(数理専門家の実務経験)

 石油会社にLP(線形計画法)が導入されたのは1950年代後半、東燃の場合はエクソン(当時はエッソ)経由である。エクソンのエンジニアリングセンターには数理の専門家が居たものの東燃には皆無で、石油会社におけるエンジニアの主流は化学系統(化学工学や応用化学)であったから、導入作業もこの分野の人が当たった。これらの人々は既にプラントの設計・建設や工場での生産管理に十分な経験を積んでいたから、LP適用に関する利用分野知見に問題は無かった。学ばなければならなかったのは最新技術のコンピューター技術であった。
 1960年代中頃になると数理手法適用が広がり始め、コンピューターは益々高度化してくる。こうなると専門分化が進み、数理工学や経営工学(総称して以後情報技術と呼ぶ)出身の専門家が数理技術や情報技術を扱い、それを応用する設計や生産管理の専門家は利用者に徹するようになって行く。それぞれの分野の効率は改善するものの、両者をつなぐ部分に隙間が生じてくる。特に、情報システムの構築・保守を中心的に扱うことになる情報技術者の適用業務理解度・経験度不足を問題視する声が高くなる。情報技術者に言わせれば、進歩が急な技術を追いかけるだけでも大変なのに、利用部門の実務を深く学べというのは余りにも負荷が重い。ユーザーの側も少しは最新技術を理解し、それに合った新しい業務処理体系を作るべきだと主張する。本来両者はもっと建設的に相手の環境を理解して協力し合うべきなのになかなか上手くいかない。こんな関係は現在でもよく見られる。環境を打破する一つのやり方は “トップダウン”である。しかし、現場の当事者同士が納得しない“トップダウン”は失敗の基である。
 ではORの起源でこのような関係はどうなっていたのだろうか?先ずOR発祥母体のティザード委員会(5人)を見てみよう。委員長、ヘンリー・ティザードはオックスフォード卒業(化学)後ベルリン大学で研究員を終え欧州に滞在中第一次大戦が勃発、直ちに帰国して砲兵隊に入隊した後、空軍実験航空隊に転じて士官となり、ここで操縦術を学んでいる。つまり実戦経験は無いもののれっきとした軍務経験を持っている。次いで“ORの父”ブラケットはポーツマスの海軍兵学校出の職業軍人としてスタートしている。シュットランド沖海戦、フォークランド沖海戦に海軍少尉(砲術)として実戦体験をし、後に海軍からケンブリッジに派遣され、その後研究者(物理学)に転じている。この経歴から軍務を最もよく理解したOR専門家の一人といえる。また、この委員会のメンバーで既にノーベル生理学賞を受賞していたA.V.ヒルも第一次世界大戦で対空射撃実験部隊の士官として従軍し、その精度改善に貢献している。この他に二人のメンバー(ウィンペリス、ロウ)がこの委員会に属しているが、二人はともに空軍省の技術高級官僚でいわば事務方といっていい。つまりメンバーの中核を成す三人はいずれも軍務の経験があり、これがその後の防空諸政策(ORを含む)推進に大きな力になっていることは関連文献の中にも述べられている。
 ただこのような実務経験が必要条件か?と問われれば、それ以上に大切なのは意思決定者を納得させることのできる成果と信頼される人間性がより重要になってくるであろう。この好例は、国家保安省の依頼で爆撃効果分析を行ったOEMU(Oxford Extra-Mural Unit:大学内の戦争協力団体)のザッカーマンの経歴を辿ることで明らかになる。
 ザッカーマンは南ア生まれのユダヤ人で、現地のカレッジで優秀な成績を修めたことでオックスフォードへの奨学金を得て動物学・解剖学を学び、バーミンガム大学教授になる。ここまでの経歴では全く軍とは関わっていない。しかしやがて第二次大戦勃発後、オックスフォード時代の仲間の呼びかけで、爆撃効果分析(Bombing Census)の研究に関わっていく。この依頼主は軍ではないものの、そのレポートは各所で評判になり、チャーチルの科学顧問リンダーマン(後のチャウェル卿)に認められ、戦争会議(War Office)で報告などするようになる。やがてはマウントバッテンやテッダー(英空軍大将;連合軍司令部でアイゼンハワーに次ぐNo.2)などの司令官の下で知恵袋の役割を果たすことになる。彼の場合は、もともとの人柄やバーミンガム大教授に就くまでの苦労(なかなかいいポストが見つからず中国での就職なども取り沙汰されている。また結婚に際してもユダヤ人ゆえの苦労がある)が周辺への気配りを万全にさせ、強硬な意見を吐いても反対者に耳を傾けさせるようなところがあったようだ(特にノルマンジー上陸作戦の空陸共同作戦)。戦後はサーの称号ももらい、大学・学界でも高い評価を得て幸せな晩年を送っている(「Solly Zukerman-A Scientist out of Ordinary-」by Jon Peyton)。
 ザッカーマン同様、米国におけるOR普及のキーパーソンであった、モース(MIT;物理学)とキンボール(コロンビア大;化学)もこの仕事で海軍に加わるまで軍歴は無い。米国の場合は英国と異なり、ORがトップ(大統領)を通じて英国からもたらされたこともあり、最初からトップダウンで組織的に取り組まれたところに特色がある。強いて言えば英国におけるザッカーマンのケースと類似している。この二人の人格については現時点でほとんど調査していないが、彼らの著書「Methods of Operations Research」を見ると、ORマンが“現場を知ること・理解すること”の重要性を強く訴えていることから、軍人との良好な信頼関係構築のための気配りが十分うかがえる。
 そして最も重要な点は、英米両国においては、個々人の軍歴であれトップダウンであれ、背広(民間人)と制服(軍人)が対等の立場で議論し合い、ベストな対応策を考えようとする組織文化が存在したことである。これは第二次世界大戦中の日本、ドイツ、ソ連の軍事組織には見られない特色といえる。
 IT適用業務の理解・経験、そのための人材育成プロセス、新しい技術に対するトップの理解と支持、率直に意見を交わせる組織文化、はエクセレント・カンパニーの必要条件でもある。

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