2009年6月14日日曜日

決断科学ノート-11(教義・理念と決断(1))

 組織における意思決定の要素として、その組織が持つ教義(例えば宗教)や理念(経営理念など)がある。その組織が成り立つ根本原理と言っても良い。経験も感性も論理(数理)もこれと比べれば、一段低い決定因子ともいえる。ただこの根本原理は概して包括的であるから、細部はその時々の取り巻く環境(時代や社会環境)によって解釈の仕方に幅がある。高等教育(大学)の歴史を少し追ってみると、修道院や寺院の聖書・経典の解釈研究が一つの大きな流れを成しており(もう一つは、前者からは遅れるが、官僚の登用・育成)、教義・理念を日常的な出来事の判断基準に使うために、激しい議論が展開され、膨大なエネルギーがつぎ込まれてきた。ORが軍事技術(兵器)と不可分の生い立ちを持つことから、しばらくこの教義・理念と兵器の関係を考察してみたい。
 オリジナルは1975年に英国で出版されたJohn Ellis著の「The Social History of Machine Gun(機関銃の社会史)」と言う本がある。この本を読むと、機関銃ばかりでなく、爆撃機や核兵器など大量殺戮を伴う近代兵器実戦投入に関する、欧米の社会・宗教上の教義・規範に基づく考え方の変遷を窺うことができる。
 近代的な機関銃(互換性のある部品で構成、銃身にライフルが刻まれている)は1880年代に導入され(南北戦争;史上最初の近代戦)、その後第一次大戦に至るまでにほぼ現在の機関銃(自動的に作動し、人間が持ち運ぶことができる)へと技術的に進歩を遂げる。しかし、発明者のハラム・マキシムが「殺人機械」と呼んだこの驚異的な兵器が、すんなり社会・軍隊に受け入れられたわけではない。当時の欧州の軍幹部は、産業革命・近代化に取り残され、軍隊が唯一の働き場所だった貴族・地主階級出身である。その根底に民主主義とは異なる、階級意識に依拠する人間主義(キリスト教の教義に忠実な騎士道精神)があった。“科学および機械に対する新しい信仰”が及ぼす影響を最小限に留めることこそ、彼らの目指す軍隊だった(それを導入すれば戦いのやり方が変わってしまう。自分たちの特権が失われる)。一方の機関銃発明者・製造者は当に産業革命の申し子そのものである。
 ここで展開されるのが“人道主義”を建前とする組織防衛である。そしてこの建前が軍隊外の人たちの強い共感を受けるのである。同じキリスト教徒同士があんな卑怯な大量殺戮兵器を使っていいのかと。進歩の比較的ゆっくりした、単発銃や大砲にはこのような社会現象は生じていない。
 この辺の事情は、欧州と米国では些か異なる。米国は古い欧州社会の伝統に決別し、新しい自由な国づくりを目指すので既得権を守ろうとする特権階級は無い。人口も少なく、専門職(職人)は更に少ない。したがって、道具には標準化と大量生産で効率を追求する社会である。伝統的な常備軍も存在しなかった。南北戦争における機関銃はこのような環境で実現したと言っていい。一方、真の人道主義者・深い宗教心を持った人々はこの国にも多数いた。南北戦争の惨禍はこれらの人々の注視するところとなる。
 欧米人がこの宗教的制約を簡単に乗り越えるのは、異宗教・異民族との戦いである。欧州国家は植民地支配のためにはその使用を逡巡しない。英国はアフリカで、中東で、インドで、現地人の反乱鎮圧にこれを使い出す。フランスはサハラ制圧に、ロシアは日本との戦いに、アメリカではインディアン討伐に機関銃が威力を発揮する。あまり知られていないことだが1904年の英国によるチベット討伐は2丁のマキシム機関銃で約700人のチベット人が殺され、英軍の被害は一握りだったといわれている(日露戦争が戦われている時である)。革新兵器の殺傷効率は桁違いで、反対者もこれを使うことに惹かれていく。徴兵制が布かれ戦争が大衆化するとともに敷居を低くする。
 一旦麻薬の味を知った者には道義も宗教もなくなり、その呪縛から逃れられない。やがて始まる第一次世界大戦では、機関銃が主役となり今までの戦争とは桁違いの戦死者を出すことになる。
 宗教上の教義は、近代兵器出現のごく初期には抑止力となるが、普遍化すれば意味が無くなる。核兵器の拡散は同じ道を辿っているような気がする。

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