2009年8月15日土曜日

センチメンタル・ロング・ドライブ-48年と1400kmの旅-(16)

16.英国で運転した車 2007年連休明けから10月中旬まで5ヶ月強英国に滞在した。彼の地ではベストシーズンである。当初の予定では1年だったので、そうなれば中古車を購入するつもりだったが、ヴィザの関係で半年となり、レンタカーに切り替えた。滞在した町、ランカスターでの生活は一週一日郊外にある大学へ行くだけ。町の中心部と大学の間はバスが頻繁に走っているので、車の必要はない。結局車は旅をする時だけ、町唯一のレンタカー屋、エイヴィスでその都度借りることにした。
 最初のレンタカーは、渡英二日目マンチェスターからランカスターまでの移動で使ったプジョー307のオートマティックであった。これは航空券やホテルをこちらで予約する際、旅行社が「初めての英国でマニュアルは辛いでしょう」と手配してくれた。その時はフォード(英)・フォーカスと告げられていたが、現地ではプジョーが用意されていた。日本でも人気のある206より一回り大きいが、取り回しの良い車だったし、荷室の大きさが長期旅行者に十分な広さだった。マンチェスターの町はかなり大きいので、ちょっと道を間違えたりしたが、何と言ってもわが国同様左側通行、ラウンドアバウト(ロータリー)のような異なる交通システムもあるが、直ぐに慣れた。
 マンチェスター市街を出るとM6(高速6号線)を北上する。3車線の自動車専用道路(無料)は走りやすい。やがてあの英国の緑の田園風景が始まる。時々運河が併走する。初めての英国でいきなりこの景色。「(アーついに英国に来たんだ!)」と胸が熱くなった。
 この車は住まい(フラット)が決まるまで約2週間借り、ランカスターからは路線バスも出ている、英国を代表する観光地湖水地帯にも二度出かけている。短い期間に二度も出かけたのは、初回出かけた際に国際運転免許証を紛失、幸にも地元の警察署にそれが届けられていたからである(滞英記-1に詳報)。
 二度目にレンタカーを借りたのは6月中旬、ロンドン観光(これは鉄道)なども行い、英国生活にもだいぶ慣れてきたので、車であちこち出かけてみようと思ったからである。今度は英国ではスタンダードのマニュアルで予約を申し込んでおいたが、当日用意されていたのは前回同様プジョー307のオートだった。「マニュアルが用意できなかったのでこれを使ってください。料金はマニュアルと同じにします(安い)」と言うので借りることにした。この車で、「嵐が丘」(滞英記-5)や近隣のヨークシャデール国立公園への日帰りドライブでウォームアップした上で、スコットランドのエジンバラへ2泊の旅に出かけた。エジンバラは大都会だが、スコットランドはイングランドに比べ一段と荒涼感漂う地域で、車で走るとそれを身近に感じることが出来た。帰路はローマ帝国の北限、ハドリアヌス防壁に沿ったドライブも行い、ローマの道を現代から偲んだ(滞英記-6)。
 三度目に借りたのは7月中旬、1983年カリフォルニア大学バークレー校経営大学院で一緒に学んだ英国人ジェフをブリストルに訪ね、そこを基点にコッツウォルズ地方を巡る旅に出た時である。ジェフに依頼し用意してもらった車は、フォード(英)・フィエスタ(同じフォード・グループのマツダ・デミオとほぼ同じ)、プジョー307よりは一クラス下の“スモール”クラスである。当地へ来て初めてのマニュアル。やっと英国人と同じ車環境になった。この車でコツウォルズの村々を回りバフォードで一泊、翌日はチャーチル生誕の地、ブレニム宮殿を訪れ、そこからブリストルへ戻ったのだが二日目は朝から雨、ブレニム宮殿で早めの昼食を摂ってブリストルへ戻る時分には豪雨になっていた。寸断された道を避けながら水を掻き分けるようにして何とかブリストルに辿り着いた雨中の運転は、決して忘れることの出来ない、恐怖のドライブであった。この日はイングランド全土の交通が麻痺するような状態にあった事をその夜と翌朝のTVで知らされた(滞英記-号外)。 道路はいたるところ“駐車場”状態、帰り着いたのは奇跡と言えた。
 この旅の直ぐ後にヨークへ出かける旅を計画しており、そのためのレンタカーを予約しておいた。リクエストは「スモール、マニュアル」である。用意してあった車はルノー・クリオ(日本ではルーテシア)。これで城砦と大聖堂、それと国立鉄道博物館で知られたヨークへ出かけた。この車は8月初旬まで借り、娘とその友人が来宅した際、三度目の湖水地帯訪問にも使った。マニュアル車にも完全に慣れて、いずれも快適なドライブを楽しんだ。
 最後の車は、10月初旬帰国少し前帰国準備もあって借りた、フィアット・プントのディーゼルである。小型ディーゼルを運転するのは初めての経験である。振動・騒音、全く問題ない!ヨーロッパで小型ディーゼルが人気なのがよく分かった。惜しむらくはこの車で長距離ドライブをする機会がなかったことである。
 英国で乗った車は、いずれも“コンパクト”あるいは“スモール”でこれは英国の一般庶民の定番車格と言える、これらの車で自動車専用道路から田舎道まで約2000マイル(3200km)走った。ロンドンのような大都会を除けば、この国のどこでも走れる自信を持って帰国した。
 最後に、自分で運転した車ではないが、忘れられない思い出の車について書いておきたい。それは指導教官、モーリス・カービー教授の車である。「来週は勉強会のあと僕の車で出かけて外で食事をしよう」こう言って、翌週職員駐車場で見せられた車は、ブルー・メタリックのBMW-Z3、ソフトトップ2座のスポーツカー。この車でランカスター郊外のパブ兼イン(旅籠)の“The Stork”へ出かけ、私はビター(黒ビール)を彼はノンアルコールで昼食をした。帰りは彼が若い頃暮らしたフラット(アパート)などへも寄り道し、明るい午後のドライブを楽しんだ。
 彼によれば、人口当り一番この種の車(オープン可の2座スポーツ)が多いのは英国、一見イタリアやスペインのように明るい太陽の国が高そうだが、実は日差しが強すぎるのだと言う。ライト・ウェート・スポーツが戦前英国から生まれたことがよく解った。子育ても終わった彼は現在この車しか所有していない。フランスまで出かけたこともあれば、スーパーへの買い物も夫人とこの車で出かけると言う。
 仕事(ORの歴史研究)以外にもお互い共通の趣味がある。英国社会ではこれは大事なことだ。だからと言って、“仕事に役立つから”などと言う、さもしい動機で趣味を始めるとまともな扱いは受けられない。“日本人のゴルフ”を彼等はそう見ているのですよ!

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