2009年8月22日土曜日

センチメンタル・ロング・ドライブ-48年と1400kmの旅-(17)

17.終の車? BMW-320の5回目の車検を迎えた年、2006年この車を買い替えることにした。同時期所有していたMR-Sは楽しい車だったが、長期旅行には向かない。出来ればグランドツーリングに適した高性能車が欲しかったが、2台とも私好みとはいかないのでファミリーカーの中から選ぶことにした。
 1970年代から、前輪駆動(FF)大衆車の世界を切り開いてきたフォルクスワーゲン・ゴルフには惹かれていた。当時大衆車と言え外車は決して安くはなかった。「いつかはクラウン」はトヨタのキャッチフレーズだが、私の心には「いつかはゴルフ」があった。70年代に比べれば価格も国産車と接近していたし、性能も当然進化していた。しかし、問題はそのサイズ(特に車幅)である。年々欧州の安全規定が強化されるなかで、ゴルフもついに3ナンバーになってしまっていた。
 そこでゴルフと同じコンセプトで作られている、一段小ぶりの“ポロ”にかつてのゴルフファン(息子を含む)が移っている事を知り、この車に試乗したところ、取り回し、運転位置(特に高さ)、シートのつくりなどたちまち気に入ってしまい、一発でこれに決めた。特にシートの適度な硬さは高齢者に有り難い仕様(腰への負担が柔らかいものより軽い)であり、今でも高く評価している。この車では購入早々、福島県の三春へ天然記念物の“滝桜”見学に出かけたり、長野県の昼神温泉を拠点に、木曽駒や馬籠宿・妻籠宿などに出かけたりている。高速道路を利用した、これらの長距離走行にも全く不満はなかった。しかし、英国から帰国後MR-Sの後継として購入した、終(つい)の車(?)を得てからは街乗り専用になり、走行距離は一向に延びていない。
 英国へ渡る年、2007年6月にMR-Sの二回目の車検が控えていた。5月以降1年間この車をどうするか随分思案した。家族は誰も面倒を見ることに協力してくれそうもない。トヨタにも保管を含めて相談したが良い解決策が見つからない。実は、心の奥では前年から「この車を、渡英を契機に処分し、終の車にチャレンジしろよ」と悪魔が囁いていた。
 スポ-ツカー好きは誰でも、“一度はフェラーリやポルシェに乗ってみたい”と思うものである。これは決して日本だけのことではない。初めてフェラーリ、ポルシェに乗ったのはアメリカの東海岸で車好きの友人達が所有するものだった(フェラーリについては“篤きイタリア-1”に関連記事)。彼らは一様に、走り出すと車の特徴を自慢気に話し始めたものだった。ただこれらの車は欧米人でも簡単に手に出来るものではない。フェラーリはIBMの天才プログラマーであるイタリア人(当時はニュージャージに在住)の友人が、中古車を自分の手で丹念にレストアーしたものだったし、ポルシェ(最上級のカレラS)の方は同じIBMで本社の役員まで務め、ワシントン郊外のお城のような家に住む友人が所有する複数の高級車の一台だった。いずれのケースも私にとってそれは“夢のまた夢”の状態だった。現実は先に紹介したMR-Sで満足せざるを得なかった。
 幽かに“もしかして、いずれ”の感を抱くのはそのMR-Sを所有する数年前、ポルシェがエントリーモデルとして“ボクスター(Boxster)”を発表した時である。発売当初専門家の評価は今一で“プアーマンズ・ポルシェ”と揶揄されるような状態だった。これは多分にそれまでのエントリーモデル、968の影響と代表モデル、カレラとのデザイン上の違いにあったように感じる。968に積まれたエンジンは、ポルシェを代表するフラット・シックス(水平6気筒)ではなく一般大衆車と同じ直4だったし、パワートレインもFRだった(カレラはリアーエンジンのRR)のだ。
 しかし、ポルシェにはこのボクスターに期するところがあった。この時代ポルシェの経営は決して安泰ではなかった。技術的には優れていても、特殊な車ゆえ販売は伸びない。フェラーリも少し前に経営不振に陥り、フィアットグループ入りしている。ポルシェが単独での生き残りをかけたのがこの車である。エンジンはカレラと同じ水平のストレート・シックス(潤滑方式はオイルパンを無くしたドライサンプ方式;これはF1と同じ、水平対抗と言うエンジン構造と相俟って車の重心を目いっぱい下げられる;高速でのハンドル操作が安定する)、このエンジンを2座シートの後ろに配置したミッドシップ(F1と同じ;一番の重量物が車の中心に来るのでハンドル操作が安定する)。屋根はソフトトップでオープン可。しかもティプトロニックと言うトルコンを介したマニュアル(クラッチが無いのでATと基本的には同じ)操作を装備し、手ごろな価格設定もあって米国市場で大人気となった。ポルシェの目論みは見事に当たり、その後発表した四輪駆動のSUV、カイエンと共にポルシェの経営再生に寄与することになる。
 2007年にはボディ・デザインも二度のモデルチェンジ(マイナーはもっとあるが)を経て、カレラとのポルシェ・イメージ共通化が進み、評論家たちの評価も極めて高くなっていた。
 帰英するとMR-Sの後継車選びを開始した。オープン2座シートは必須。候補はこの他に、アルファロメオ・スパイダー(FF;見てくれはこれがベスト)、BMW・Z4(FR;前回紹介したカービー教授の車の最新型)が在ったが、MR-Sで体験したミッドシップの味は忘れられない。結局試乗まで至ったのはボクスターだけである。左ハンドルのマニュアル車から右ハンドルのティプトロニックまで、エンジン容量は2.7Lと3.2Lを試し、最終的に2.7L・右ハンドルのティプトロニックに決めた。あれほどマニュアルにこだわっていたのに、それを退けることになったのにはそれなりに考えた末である。
 ポルシェやフェラーリを所有したことのある人に話を聞くと(あるいは雑誌やWebで調べると)、この手のスポーツカーで素人がミスを犯しやすいのがクラッチ・シフト操作だと言う。クラッチ操作が上手くいかずエンジンを空吹かしして傷めてしまう例や未熟なクラッチ操作でクラッチ板をダメにしてしまうことを聞かされた。そしてその修理費が途方も無い額になると言うのである。実際これはエンジンが主として機械技術だけで動いていた時代の名残で、現代のように電子制御になると、エンジンの回転数とトルク(力)の関係がマイルド(専門的にはトルク-スピード・カーブがフラットになる;回転数で極端にエンジンの力が変化しない)になるとそれほど頻繁にシフトを切り替えなくてもいいのだが、名車だけに尾鰭がついて語られていたのかもしれない。かてて加えて、こんな高価な車は自分の歳(その時は68歳)を考えれば10年(いや運転できなくなるまで)は乗るはずだ。10年後は78歳である。そんな歳で、クラッチを踏みながら回転数をコントロール出来るだろうか、特に都市部では?と思い、ティプトロニックにしてしまった。今でもこの時の結論が正しかったどうか疑問に思いながら、それでもこの車の運転を楽しんでいる。去年このトルコンによるツー・ペダルは機械電子制御のPDKに変わった。終の車と思ったが進歩はまだまだ続きそうだ。

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