2009年10月5日月曜日

センチメンタル・ロング・ドライブ-48年と1400kmの旅-(25)

25.熊野三山-1(那智大社、速玉大社) 熊野三山とは本宮・新宮(速玉大社)・別宮(那智大社)から成る。本宮は二度詣でているものの、速玉、那智は今回が初めてである。本来の参詣順序は本宮→新宮→別宮ということになっている。これは京都を出発し海路で田辺に上陸、本宮に至った後は熊野川を舟で下ることからそうなったのではなかと推察する。我々は東から来たので伊勢同様ここでも参詣順序が逆になってしまった。ご利益は如何なものであろうか?
 昼食を摂った茶店の直ぐ脇から急な石段が続く。両側には何軒か小さなお土産物屋もあるが平日だからか、ほとんど客は居ない。途中分岐路がありいくつかの観光・参詣スポット選択の便を供している。これは急な階段のバイパスの役目も果たしている。それには目もくれず一気に大社への階段を進むと、それほど大きくない数棟の建物から成る境内へ辿り着いた。建物は皆朱塗りである。東方向、本殿とその他の建物の間から三重塔、さらに先緑の山肌の中に那智の滝が遠望できる。この頃には曇天も晴れて木々の緑、滝の白、三重塔の朱のコントラストが鮮やかだ。
 大社は一番高いところにあり、東側一段下がった所に青岸渡寺(せいがんとじ)の本堂がある。これは国の重要文化財で秀吉が再建したと言われている。神仏一体は三山共通で、他の神社に寺は付設していないものの、それぞれのご本尊(ご神体?)は、阿弥陀如来(本宮)、薬師如来(新宮)、千手観音(別宮)である。この寛容な(いいかげんな)宗教観を持った日本人は、世界の主流、一神教や無神論の政治イデオロギーでがちがちに固まった国々・人々とこれからどう共存していくのか?長閑な山中の神社に隣接する寺でお賽銭を投げ入れる時、フッと厳しい現実世界が過ぎった。
 三重塔や滝がよく見える展望台などを巡って茶店に戻るともう2時過ぎ。これから速玉大社、本宮を訪れるのでそれほど時間の余裕がない。カーナビに速玉大社の電話番号をセットしてルートを決める。ほぼ来た道を戻る感じなので最後の大社へのアプローチだけナビに頼ることでいいだろう。

 車は県道46号から国道42号へ出て新宮市内へ順調に往路を逆走する。しかし、街の中心部の大きな交差点でナビは右折を指示してきた。頭の中で「速玉は42号線の左のはずだが・・・」と思ったが「市内一の観光スポットだから何か規制でもあるのかもしれない」とナビに従った。やがて道は海岸に出て防波堤に沿って進んで行く、すると「左です」と言うので細い道へ左折し、しばらく進むと「目的地周辺です。これで案内を終わります」と言って黙ってしまった。ほとんど住宅街、周辺にそれらしきものはない。どうやら電話番号の最終4桁に間違いがあったようだ。
 何とか車が停められるスペースを見つけ、誰かに確認するつもりで車を降りると、少し先に何を扱うのかはっきりしないが一軒小さな店があった。近づいてみるとそれは酒屋で、店には誰も居ない。声をかけるとオバサンが奥から現れたので「速玉神社はどこでしょうか?」と尋ねると「(一体こんな所で何を聞いているの?)」という表情で「速玉?」と聞き返してくる。そんなところへ配達にでも行っていたのだろう、カブに乗ったオジサンが帰ってきた。「速玉神社やて。どう行ったらいいかの?」「駅の方やからな」 何やらここから行く道を言葉で説明するのは難しそうな雰囲気である。するとオジサンが「よっしゃ。わしがカブで案内してやるさけついておいで」と言ってくれた。忙しそうだが好意に甘えることにした。細い道を何度も曲がり、こちらがついてくるのを確認しながら街の中心部まで案内してくれ「ここを真っすぐ行けば直ぐ分かる」と言ってもと来た道を戻っていった。「有難うございました」と窓から叫ぶのが精一杯のお礼だった。
 速玉大社は前方は熊野川、背後に神倉山と言う巨石信仰の山を頂く平地に在るこじんまりした神社だが、街の中心部に在る事を忘れさせるような静かな佇まいだった。佐藤春夫記念館や宝物殿など見所もあるのだが、今日のメインエベント、本宮訪問が後に控えているので、お参りを済ませ記念写真を撮って早々に車を熊野街道へと進めた。
(写真はダブルクリックすると拡大できます

0 件のコメント: