2010年1月31日日曜日

決断科学ノート-28(迷走する工場管理システム作り-2;生産管理論争ー1;和歌山工場の考え方)

 このプロジェクトが迷走することになる背景には、種々の因子があるのだが、その中でも最大の問題点は“新しい生産管理方式”に関する考え方であった。
 生産管理とは、原料手当・保存方法、市場における製品需要・価格動向、プラント装置の性能や保全状態、製品の受注・出荷状況などを考慮して、日々のプラント運転に指示を与え、生産状況を把握・分析する機能である。当に製造業の経営を左右する最も重要な機能といえる。本社では製造部が、工場では製油管理課がこの経営管制塔とも言える役割を担い、効率的なプラント操業を実現する。当時既にこの分野へのコンピュータ利用は行われていたが、本社における大まかな方針設定(月次)が限度で、工場操業の細部はプラント運転や需給調整に精通したヴェテランが経験に基づいて決していた。そうして作られた月次生産計画(前月の実績分析を含む)は工場長や製油部長(石油化学では製造部長)などが同席する生産会議で最終決定される。
 高度成長の時期、1960年代後半、和歌山工場は第二工場とも言える有田計画を進めていたが、それに先立ち拡張後の生産管理方式について上層部に“将来の生産管理に対する不安”が持ち上がっていた。「更なるヴェテランの管理要員の確保をどうするか?」「新設備が旧に倍する工場になった場合、ヴェテランの経験が生かせないのでないか?」と言うものであり、それは「コンピュ-ターを使って新しい方式が出来るのではないか?」と言う声になっていった。
 これに応える形で、本社製造部・情報システム室と工場製油部の間で調査・検討チームが作られ(後に作られる制御システム課もこれに加わり、最終的には推進母体となる)、新方式案出、プロトタイプ作りやその試行作業が行われていく。根幹を成すのは、本社で大まかな生産計画を作成する際使われている“和歌山工場線形モデル(LPモデル)”である。工場のプラントを数千行の一次式で表記するモデルで、当時本社に在ったIBMの大型コンピューター(360)で数時間かけて解くような規模のものである。
 試行システムは、月一回の計画ばかりでなく、更に期間の短い計画検討にも和歌山からリモートでこのモデルを動かして、最適解を得て工場計画担当者の判断を支援し、更に短期の詳細なスケジュール作成に役立てようと言う試みである。
 1971年頃までには、これらの試行作業に基づいて、新しい生産管理システムの姿が見えてくる。その骨格は、①ひと月を三期(上・中・下旬)に分けて作る月次計画、②その計画を個々のプラント運転を日々の指示に具体化するスケジューリング、③プラント運転実績の収集・分析の三機能から成る。
 ①は前述のLPモデルが使われ、そこでは経済的な最適解(コストミニマム)が求められる。これを受けて②ではプラントと物の流れ(パイプラインやタンクを含む)のシミュレータを用いて担当員がその実現を図る。③ではプロコンや運転記録シートデータを収集し、データーの検証や計画との対比を行い、運転効率のチェックを行い、必要ならLPモデルやシミュレーションモデルの修正に反映する。これを、工場管理用汎用コンピュータで行う。基本的な考え方は従来方式と変わらず、あくまでもシステムは“支援する”位置付けであり、現場に受け入れ易い構想と言えた。
 これによる経済効果は、市場環境に合わせた原料(原油)利用の最適利用、エネルギーのコストの削減など運転効率改善と、ヴェテラン管理員やテータ収集・分析要員の増加抑制にあった。
 開発要員(主として社員)に関する費用を除けば、最大のコスト要因は工場用汎用コンピュータにあった。コストパフォーマンスの向上は著しいものの、大型LPモデルを扱える規模の高価なコンピュータを導入する例は当時エクソン・グループにも無く、工場トップを除いては、計画推進へ一歩踏み出す決断がなかなか下せない。更なる実現性(経済効果を含む)検証要求が次々と起こってくる(多くの関係者は先送りしたいのが本音)。
 和歌山工場がこんな状況にある時スタートしたのが川崎の工場管理システム計画。そして、そこで考えられていた生産管理方式は、和歌山案とはまるで異なるものであった。

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