2010年4月22日木曜日

決断科学ノート-40(迷走する工場管理システム作り-14;最終回;あれから30余年)

 1972年秋から’77年までプロジェクト迷走、それから3年間(’80年まで)見直し構想に基づくCOSMICSプロジェクトの立ち上げと推進。その後約10年このシステムが工場管理の中核として使われ、90年代初め和歌山システムも含めて、IBMの汎用機を基幹サーバーとしPCを端末とするIR(Intelligent Refinery)システムに置き換わった。さらに21世紀初頭、これをExxonダウンストリーム(精製・販売)ビジネス共通の、STRIPESと呼ばれる統合経営管理システムに発展的に移行、今日に至っている。38年の歳月が流れたことになる。
 当時の構想は、進歩著しいコンピュータと通信技術(今で言うIT:Information Technologies;情報技術)を駆使して、革新的な工場管理(今で言うBPR;Business Process Reengineering;省力化、省エネルギー、原料の有効利用、在庫圧縮、業務処理のスピードアップなど)を実現しようというものであった。
 現在のSTRIPESとそれを取り巻く周辺システム(例えば、プラント運転制御を掌るTCS;Tonen Control SystemやMOS、Laboratory Automation System)があの時の構想を実現した姿になっていることがわかる。しかし、そこまでに至る時間が30年近くあったことを考えると、当時の構想そのものが現実離れしたものだったともいえる。
 IT環境を見れば、電卓用のマイクロ・コンピュータは出現しつつあったが、PCはまだ世に出ていない。無論、簡単に持ち運び出来る端末装置(ディスプレイ+キーボード)も無かった。共同研究の過程で、富士通からプラズマディスプレイの紹介があったり、横河電機に液晶を使った指示計を見せてもらったりしたが、いずれも今から見れば試験研究段階の原初的なものであった。
 通信環境はもっと遅れており、汎用性のあるLANのようなものを求めたが、今のようなシステムは皆無だった。日本システム工業というヴェンチャー企業が開発した、データハイウェイと称する特殊な通信システムが唯一実用化されていたに過ぎない(それでも当時画期的な技術で、和歌山計画に採用)。
 ネットワーク技術の調査段階で知った、米国防総省のALPA(Advanced Research Project Agency)NETが今日のインターネットに発展するとは思いもよらなかった。
 ソフトの面での制約はもっと大きく、業務用アプリケーションパッケージは皆無、ワープロや表計算ソフトも無かった(タイプライターの延長線のような英文ワープロはあったが)。マイクロソフトの創設は1975年、オラクルは1977年である。
 工場中枢汎用コンピュータに関する共同調査研究の最大の課題は、工場プラントモデル(線形モデル)の処理能力にあった。当時の製油所モデルは2~3000の一次式からなっていた。これに非線形モデル加え、スケジューリングへ落とすために、一ヶ月を三期に分けるとその数は1万を超えることになる。和歌山のヴェンダーセレクションでは何とかIBMだけが要求を満たせたが、他(富士通、東芝)はハードルを超えられなかった。我々の評価でも“解ける”ことを確認するまでで、時間的には満足できるものではなかった。しかし、LP解法に関してはその後著しい進歩があり(CPLEXなど)、またコンピュータの処理能力(速度と記憶容量)も飛躍的に向上して、いまや数十万式のモデルがごく短い時間で解けるところまできている(三菱化学水島事業所)。
 つまりあの時は夢に近かった技術(計算機技術、数理技術、通信技術、ソフトウェア・パッケージ)が、その後20年近く経って次第に現実のものになっているのである。それも極めて安価に。
 しかしながら問題は“業務革新”である。あの時も社内の空気は完全に“総論賛成・各論抵抗”であった。BPRはSAPに代表されるERP(Enterprise Resource Planning;人・物・金の最適利用)パッケージと伴にやってきた。’90年代多くの会社がERP導入によるBPRに取り組んだ。つぎ込んだ金が100億円を超えるところも決して少なくない。だが、期待した業務処理プロセスの“革新”を起こしたところは少なく、良くて“改善”、ほとんどは既存システムの“置き換え”が実状である。
 国の政治・行政から工場経営まで、組織は守りを固め、既得権を手放そうとはしない。これを破れるのはトップのリーダーシップだが、不平不満を恐れる指導者は“合意形成;和”を旨としがちである。そこに“革新”が起こることは無い。
 著しい技術進歩と本質的に変わらぬ経営管理体制を見るにつけ、あの30余年前の構想が迷走した挙句、取り敢えず業務“支援”システムとしてこぢんまりまとまってしまったことを複雑な想いで振り返っている。果敢に“革新”に挑戦していればどうなっていたかと。当然技術や経済性の壁にぶち当たって、挫折していたかもしれないが、組織・業務改革に正面から取り組まずに、難所を迂回したことに忸怩たる思いが残る。

(完)

 長いシリーズにお付き合いいただき有難うございました。コメントをいただければ幸いです。

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