2010年6月8日火曜日

今月の本棚-21(2010年5月)

<今月読んだ本(5月)>1)明治37年のインテリジェンス外交(前坂俊之);祥伝社(新書)
2)原潜デルタⅢを撃沈せよ(上、下)(J・エドワーズ);文芸春秋社(文庫)
3)街場のアメリカ論(内田樹);文芸春秋社(文庫)

<愚評昧説>
1)明治37年のインテリジェンス外交
 日露戦争はわが国にとって勝算を期待できる戦いではなかった。日英同盟は在ったものの、軍事面でも経済面でも衰退する大英帝国がこれに積極的に加担する動きはなかった。独仏は三国干渉に見るようにロシア側についていた。唯一力になってくれそうなのはアメリカのみである。
 時の総理、伊藤博文が送った私設特使は金子堅太郎。彼の米国人脈を頼ろうとの考えである。これが功を奏し、戦時国債の引き受けを初め、世論も味方するようになってくる。
 ギリギリの局地的勝利停戦下での講和交渉、ここでも露全権のウィッテの巧みな外交戦略・戦術にややもすると米国メディアは親露的なトーンになりがちである。対する小村寿太郎(と言うより日本外交)はマスメディア対策が全く稚拙。これを何とか埋め合わせ逆転させるのも金子の力(長い滞米経験、それの基づく人脈、語学力、ルーズヴェルトの信頼)である。賠償金は取れなかったものの、樺太の南半分を獲得でき、“勝利”を手に出来たことは、彼の存在抜きには考えられない。
 この本の内容は二つの資料;金子が昭和になってから各所で行った講演の記録と、ウィッテの自伝、に基づいている。その点では客観性をやや欠く怖れもあるが、当然筆者はその部分を検証し、外交交渉の核心をニュートラルに抽出する努力をしている。歴史はかく表現されるべきである。
 ウィッテの手の内を見ていると、100年以上前の話だが、今に続く日本の外交下手は一向に改善されていない(否あの時より退化している)と感ぜざるを得ない。出でよ!第二、第三の金子堅太郎!

2)原潜デルタⅢを撃沈せよ
 3月の本欄で紹介した「U307を雷撃せよ」の作者、J・エドワードの第二作である。今度の舞台はカムチャッカとオホーツク海である。仕掛けは前回同様潜水艦と対潜イージス艦だが今回はそれに無人深海探査ロボットが加わる。
 ソ連の崩壊は幾多のロシア人の誇りを傷つけた。“あの栄光をいま一度!”と願うロシア人は現実にも多いと言う。カムチャッカ州知事もその一人。カムチャッカ半島ペトロパヴロフスクは原潜の基地である。多弾頭核ミサイルを積んだデルタⅢを武器にロシア・日本・アメリカに対して、独立さらにはソ連邦再興を目論み、ゲームを挑んでくる。
 一隻のデルタⅢはオホーツク海の厚い氷雪の下に隠れ、先ずアメリカを脅す。次いで米ロ日の潜水艦を全て浮上させるよう求めてくる。攻撃型潜水艦による撃破は出来ない。密かに氷海に分け入るイージス艦とそこに積まれた深海探査ロボットだけが頼りだ。
 筆者は前回紹介したように、イージス艦で長年対潜作戦に従事してきた技術兵(下士官)である。従って、海軍に限らず、空軍や陸軍の迎撃ミサイル戦に精通している。多核弾頭(7発あり、それぞれが別の目標を攻撃できる;ただし核軍縮で3発はダミーだがそれは迎撃する側には判別できない)の発射を検知しこれへの迎撃シーンは、精緻に描かれ臨場感に溢れているが、人間的な仕掛けが浅くテクノスリラー(落ち目になってからのトム・クランシー)の域を出ていない。

3)街場のアメリカ論  すっかりファンとなった内田樹の著書である。彼の視点に立つアメリカ論だが今までの本欄で紹介した「私家版・ユダヤ文化論」や「日本辺境論」より出版は古く、2005年にハードカバーとして発行されている。その時点でのアメリカ社会・国家の問題点を評論・解説しているのだが古さを感じさせないのはさすがだ。
 その理由の一つは「トクヴィルに捧ぐ」とあるように、1830年代アメリカ大陸を旅したフランス人、アレクシス・ド・トクヴィルの著書「アメリカにおけるデモクラシーについて」を下敷きにして現代アメリカを考察すると言う手法をとっているからである。
 トグヴィルが200年近く前に喝破したのは、アメリカが他国とは全く違う“人工的につくられた理想(を目指す)国家”であり、その政治システム(多数決民主主義、完全な三権分立)や社会システムが極めてユニークだと言う点である(マックス・ウェーバーはそれ以前を「身分社会」それ以後を「契約社会」と分けている)。そしてそれは今に続くと言うのが内田のアメリカ論である。
 中でも日米関係はその原点(ペルリ来航来)から異形で、その人口国家を強く意識しながら己(日本・日本人)の存在意義を考えることを重ねてきた。特に戦後の“ねじれ状態(例えば、反米の筈の左派が米国譲りの憲法を墨守したり、本来自主独立を唱える右派が米国との同盟を声高に叫ぶ)は酷く、わが国の対米関係は「発狂ソリューション」(そう言われれば普天間問題などその典型か?)に陥っていると説く。
 そして、「米国はいまや衰退の道をたどりつつある」と認識する内田は、「それに追随するだけで良いのか?」と問いかける。
 歴史を踏まえた、含蓄のある日米関係論に啓発されると大であった。

 晴耕雨読ならぬ晴走雨読の私にとって3月・4月の天候不順は“雨読”の毎日に等しかった。連休からやっと平年並みに戻ったものの、5月中旬から再び雨の多い天気となった。この雨の中、東北地方を1500km走り、晴走雨走で5月が終わった。そんな事情で今月は本棚に並んだのは3冊に過ぎず、それも比較的軽いものだった。その中で「街場のアメリカ論」は奥の深い読み物であった。

以上

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