2010年10月16日土曜日

決断科学ノート-47(トップの意思決定と情報-7;経営者と情報システム部門-2)

 担当役員(副社長)と情報システム部門の日常的なコミュニケーションが薄かったからと言って、役員がコンピュータに無関心であった訳ではない。むしろ関係はそれぞれの立場で、当時のわが国企業人としては極めて深かったと言っていい。切っ掛けは、資本・技術提携していたExxon・Mobilからのグループ内利用情報や米国出張・留学で間近に見知った活用事例である。
 初代の情報システム部門(機械計算室)主管役員は副社長のMTYさん。TIGER(経営者情報システム)はこの人のあだ名に由来する。本人がコンピュータと直接関わることは無かったが、このポジションに着く前に、コンピュータ施策に関し難しい決断を行っている。それはグループ初のプロセスコンピュータ導入に関するものである。
 昭和41年、当時プラント運転制御用コンピュータはグループのいずれの工場にも導入されていなかった。丁度和歌山工場大規模拡張工事OG-1プロジェクトと石油化学の中心装置第二スチームクラッカーの建設が終わり、両工場は次のステップとしてそれら新設プラントでコンピュータ最適化制御計画を立ち上げていた。和歌山ではナフサ改質装置(HF)、石油化学ではナフサ分解装置(SC)がその対象だった。
 グループ初のコンピュータ・コントロールを二つ併走するにはあまりにもリスクが多い。一つに絞りそれを成功させてから次に移る、というのが経営陣や本社部長の基本的な考えであった。どちらにするか?和歌山を代表する実務計画推進者はOG-1のプロセス主任設計技師格のOHBさん、石油化学はこれもプロセスエンジニアからSEに転じたISDさん。入社は1年違い。二人とも典型的な闘将タイプで、話し合いで簡単に片付く状況ではなかった。そこでこの問題をSE委員会に諮ることになった。この組織は、それまで主としてSE施策(機械計算室が行う汎用機運用管理を除く)に関する調査・研究、教育・啓蒙を主務としており、それほどややこしい経営問題を取り扱っていなかった。委員長は東燃技術担当取締役(機械・材料が一応専門だが新技術を勉強しておらず、先輩エンジニアから陰でバカにされていた)、石油化学の技術担当が副委員長、本社・各工場の技術部長が委員で、本社技術部計装技術課が事務局を務めていた。議論は紛糾、非力な委員長の下で決着がつくはずもなく、石油化学の副社長も務め、東燃副社長になっても非常勤として残っていたMTYさんに最終決定を委ねることになったのである。結果はSC計画優先であった。今でもこれは正しい決断だったと思う(HFの最適化制御は経済効果も含めると成功例が少ない)。
 OHBさんはこれが理由で退社し、のちに自ら起こした情報サービス会社を店頭市場に上場させている。コンピュータ利用を巡る大事件として、和歌山工場勤務時代の忘れ難い出来事である。
 このSE委員会はその後間もなく解散。汎用機からプロコンまで全てをカバーする電算機情報システム委員会がそれを継ぐように昭和44年5月に発足し、MTYさんが初代委員長となっている。
 二人目の担当副社長は、製造畑出身のTIさん。本格的にコンピュータに関心を持ったのは昭和34年米国で開かれた、スタンダードヴァキューム(SVOC)主催のOperations Evaluation & Planning Courseに参加してからのようだ。しばらくすると本社製造部内にLP研究グループが発足し、やがてそれが数理計画課に発展していく。TIさん自身はLPモデルを構築したわけではないが、LP利用には極めて積極的で、自分の納得できる答えが出るまで何度も条件を変えて最適計算を行わせ、それをもって取引先との交渉に当たったという。
 コンピュータ利用に関する考え方も一本筋が通っており「先ず上の、大きい問題解決にコンピュータを利用し漸次下に下ろしていく」ことを主張していた。工場に居る時分はこの考え方に強く抵抗を感じたものであるが、“考え方があること”には瞠目した。
 三人目の副社長は、企画・経理・財務畑を長く担当したNKHさんである。それまでの二人が実務を通じてコンピュータに関わってきたのとは異なる背景を持つ。世代も遥かに若く、昭和30年代半ばにバーバード大経済学部大学院修士課程で学んだNKHさんは、経営をシステムとして捉えその中でコンピュータの役割が重要性を増してくるとの信念を早くから持っていた。従って情報システム部門が狭義の技術偏重になっていることに不満もあったようである。ただ、副社長になるまで管轄下になかったので、そのような声が直接我々に伝わることはほとんどなかった。
 また、早くから新事業の一環として、情報サービス部門の分社化に関心を持っており、SPIN誕生は彼がいなければ実現していなかったであろう。
 以上見てきたように、三者ともコンピュータ(のちのIT)に深く関わってきた背景を擁しているのだが、それでも情報システム部門間との意思疎通が上手く行っていたとは言い難い。ITとは経営者にとって何か特殊なものなのだろうか?何が特殊なのであろうか?部門の側に何か問題があるのだろうか?のちの時代に話題になってくるSISやCIO(Chief Information Officer )などと合わせて、そんな疑問が拭い去れず、“OR起源研究”への思いが募っていく。
(つづく)

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