2010年12月16日木曜日

決断科学ノート-53(ドイツ軍と数理-2;電撃戦と兵站-1)

 英米で戦略・戦術に次いで数理が使われたのは兵站(調達・輸送・集配)の分野である。どのような資材を、どの程度の量、どのような手段で、どのようなルートで運ぶか?最前線とこの兵站線が切れ目なくつながってはじめて作戦(戦略・戦術)が実現される。
 科学戦のはしりといえる第一次世界大戦に登場した新兵器、戦車は塹壕を無力化する点で画期的な兵器だった。この運用方法は当初歩兵の支援兵器と考えられていたが、英国のフラーやリデル・ハートはこれだけを集団運用する専門部隊を作り、高速度で敵陣深く侵入する戦術を提唱した。しかし、彼等の母国でこの考えが容れられることはなかった。それに注目したのは、大陸軍国であるドイツとソ連であった。敗戦国ドイツでは自動車輸送部隊に居たグーデリアン(歩兵)がフラー等の考えに触発され、装甲車両による新兵種を模索することになる。やがて彼の考えは装甲師団さらに装甲軍として発展していく。この装甲軍と急降下爆撃機の協調は従来にない三次元作戦を可能にし、防御側を大混乱に陥れ、圧倒的な勝利を短期間で獲得するようになる。のちに電撃戦(フリッツクリーク)と呼ばれることになるのがそれである。
 今次欧州大戦で大規模な電撃戦が行われたのは、1939年9月開戦時のポーランド侵攻、翌1940年5月の西方作戦(フランスの戦い)それに1941年6月に始まる独ソ戦。この三つが代表的なものといえる。電撃戦はそれまでの作戦とはスピードが違う。その兵站システムもそれに応じたものが必要となる。ここで数理的な検討が行われた痕跡はあるだろうか?
 装甲部隊の主役は戦車であるが、その他の支援車両;偵察用装輪装甲車、対空機関砲搭載ハーフトラック(半装軌車)、支援戦闘工兵・歩兵輸送ハーフトラック、食料・燃料・弾薬・修理部品を運ぶ貨物トラック、通信車、野戦救急車、炊事車など多種多様の車両で構成されている。これらの内一般道路を長距離自走できない戦車や半装軌車は作戦発起点近くまで鉄道で運ばれ、そこで自走組と部隊集結が行われて作戦活動に入る。ここには各種補給品の集積基地も作られる。戦闘に入ると敵の抵抗力が強い場合は侵攻速度が遅くなり、距離は捗らないので燃料は少なくて済むが、弾薬の消費は高くなる。抵抗が弱く、長躯進出する場合は逆になる。こんな単純化した例にも、交通手段(鉄道・道路)の組合せ問題、補給物資の積み合わせ問題など種々の数理的課題が存在する。
 ドイツ軍の場合、作戦“発起時”の資材計画・輸送計画は、作戦計画の兵棋演習の中で行われているのだが、 “作戦”(兵器の量と質を基本にする戦闘)に優先度が置かれ兵站は付け足しの感が否めない。つまり作戦を作りそれに従って必要資材の種類・量をはじき、次いで輸送手段を決めるという手順になる。逆に言えば、多様な輸送手段の可用性をベースに作戦を組み立てるようなスタディが行われた形跡がない(普墺・普仏戦争では鉄道を作戦の中枢に据えているのに)。
 陸上の作戦の場合、兵站組織の中にも問題があった。陸軍総司令部(OKH)の輸送局長と戦域内自動車輸送に責任を持つ兵站総監がその役割を分けていたのである。前者は鉄道および国内運河輸送を、後者は各戦域内輸送とそこで戦う組織(軍、軍団、師団等)が必要とする資材をまとめ、これを出発点まで運ぶ任を負っていた。つまり補給パイプの両端と中央部が別々に管理されていた。さらに悪いことに、このパイプの中央部を握る輸送局長の権限は空軍や海軍には及ばないので、空輸や海上輸送を効果的に使うことは全く出来なかった。
 このような制約の下で、それぞれが最善の努力をし、何とか部分最適化を図っていたのがドイツ軍兵站の実態であった。そんな訳で作戦開始時の数量計画策定はともかく、その他の面で数理が活用される場はなかったのである。
(次回:電撃戦と兵站-2;三つの電撃戦)

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