2010年12月21日火曜日

黒部・飛騨を駆ける-4(五箇山・白川郷)

 宇奈月駅前の駐車場を出たのは丁度1時。北陸自動車道の黒部ICに入る前に、事前調査では無かったモービルのSSが在ったので給油した。自宅からの距離は410.5km、給油量は37L、11km/Lは起伏の激しい糸魚川街道を走ったわりには悪くない数字である。
 黒部ICで自動車道に入ることは予定通りだ。この日の午後はここから二ヶ所の合掌造りの村落を観て、6時には高山のホテルにチェックインすることにしているので、時間が勝負。41年前はブルーバードSSSで神通川沿いの国道46号線を北上、帰途は砺波から五箇山に至る国道156号線をとって山深い地方道ドライブを満喫したが、今回は運転を楽しむことは二の次にしなければならない。
 北陸自動車道を走るのは今回が初めてである。富山平野の中は道も平坦、交通量も少なく、追い越し車線はほとんど空いており、すこぶる走りやすい。その反面、景観は全く刺激が無く、専ら先を急ぐ気分にしかならない。注意すべきは速度違反の取締りだけだ。約1時間で礪波JCTに到着、東海北陸自動車道へ分岐する。ここからはセンターラインにオレンジのポールが打ち込まれた対抗二車線になる。運悪く前を走っているのはバス、しばらく追従運転が続き苛々してくる。これを登坂車線でかわすと、やっとマイペースで走れるようになる。最近の道路は、いずこも嘗ての山道を一気にトンネルで抜ける味気ないものに置き換わっているが、ここもその例に漏れない。城端トンネル・袴腰トンネル(両方で約9km)を越えると直ぐに五箇山ICがあらわれた。少し156号線を富山のほうに戻り、合掌造りのある菅沼集落広場駐車場に停めたのは2時半であった。江戸時代まで加賀前田藩の最奥部、流刑地でもあった隠れ里である。
 広場駐車場は高い所にあり、木々の間から下方に合掌造りの家々が見える。何とそこへ下りるエレベーターまであるではないか!それは避けて国道からつながる山道を歩いて降りる。山間の曲がりくねった狭い平地にある数十戸の集落だが、広場駐車場から下りた周辺だけは純然たる住居に観光向けに何か商いをしている家屋が混在している(ここ以外は廃屋もありほとんど観光客は来ないようだ)。ただ、白川郷と違いアクセス道路は156号線のみ、富山からも岐阜からも遠いので、観光客で混雑するようなことは無く、比較的集落全体に昔の風情がそのまま残されている。
 ここで最も興味深かったのは、塩硝(火薬の原料;、人間の糞尿を草木とともに醗酵させて硝石を得る技術;硝石が存しないわが国ではこの方法しか原料はなかった)作りの道具や工程を知ったことである。幕府の目が届かない秘境の地で長い時間をかけて作られた塩硝は農作物に代わる年貢として、前田藩の財政を潤してきたのだ。
 菅沼集落を出たのは4時少し前、再び東海北陸道へ戻り15kmも走ると白川郷に至る。この間もほとんどトンネルだ。4時10分頃に白川郷の駐車場に着いた。駐車場に入る際「ここは5時に閉まりますがいいですか?」と問われた。もう観光客は帰る時間帯に入っているようだ。急いで周らなければならないが五箇山に比べ、駐車場も集落も桁違いに広い。多数のバスツアーが引きあげ時、西欧人・アジア人も多いし、立派な観光案内所もある。平日のこんな時間でも、これだけ観光客が集まっているところを見ると、ここは観光産業が成功しているに違いない。
 平地の真ん中を庄川が流れており、駐車場から集落まで橋を渡ってしばらく歩く。夕闇が迫りつつあり、とにかく早足に有名な茅葺屋根の本堂がある明善寺とその周辺の合掌造りを観て歩く。五箇山に比べると集落も個々の合掌造りも何か活気と生活臭を感じる。本来なら集落北端の萩町城跡展望台からみる眺めが売り物なのだが、残念ながらその時間は無かった。広い駐車場に残る車は10台程度。ヘッドライトを点灯してそこを離れたのは5時。白川郷ICに戻ると待ち構えていたのは、わが国第3位(1位;関越、2位首都高山手)、世界12位の自動車用トンネル、飛騨トンネル(10.7km)だった。
(次回;高山)
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