2011年5月22日日曜日

決断科学ノート-75(大転換TCSプロジェクト-12;比較調査への取り組み-1)

 EREでの議論は、ハネウェル新システムとACS+横河DCSを同列で比較対象とすることに同意を取り付けたことで大任を果たせた。その後は、ヒューストンのエッソ・イースタンとパロアルトのヒューレット・パッカード本社訪問があったが、これらは表敬あるいは顧客としての情報交換で気楽なものであった。二週間強の二度目の米国出張を滞りなく終え、5月19日サンフランシスコを発ち帰国の途についた。忘れられないのは第二次石油危機で、米国でもガソリンが市中でも不足気味。スタンドはどこも長蛇の列。挙句JAL-001便はジェット燃料を当地で満タンに出来ず一度北上、バンクーバーで給油しての帰国となった。
 出張報告は、Foxboro、イースターン、HP訪問なども含めたものの、重点はTCC参加とEREでの議論に大半を費やし、特に次世代制御システムについては私見も盛り込んで詳細にまとめた。この骨子は、これからの標準システムは、今までその時々のベストを主に国産メーカー中心に選んできたが、Exxonの取り組んでいる二つの新システムに絞り込むこと、ただしDCSはFoxboroの採用は適当でないことから、横河の製品を東燃の責任でACSと組み合わせる案を具体化すべきこと、二つの新システムの比較検討はEREも含めて行うこと、比較検討のためにシステム部門(計装を含む)とプラント運転部門合同チームを作り、海外系列会社で最新システムを導入中の製油所・石油化学工場を訪問調査すること、というものであった。
 工場の一課長の報告ながら、この提言は全面的に受入れられ、夏が過ぎる頃には石油精製・石油化学本社・工場メンバーを含めたチームが構成され、国内を皮切りに調査活動が開始された。メンバーは本社情報システム室次長のMTKさんをリーダーに、プロコン・システム基幹技術の第一人者TKWさん、技術部で計装・DCS専門管理職のSGWさん、石油化学のPSEで滞米経験もあるHRIさん、石油化学川崎工場のプラント運転課長NZKさん、和歌山製油所のプラント運転課長MEDさんなどがその中核となった。
 国内の対象システム・ヴェンダーにも当然声をかけた。当時ハネウェルは山武の筆頭株主だったから、新システムへの取り組みも山武が全面的に窓口になり、国内での情報交換も問題なく開始できたが、ACS(IBM)と横河は当初問題だらけであった。ACSは、販売権がIBMにあるものの国内では全く専門家がいなかった。従来の国内営業が窓口にはなるものの話にならず、ACS専任部門作ってもらい、そこの責任者にMTIさんが決まるまでは随分苛苛させられた。また横河電機は東燃との関係は極めて深く、国内ではIBMシステムとの結合システムも数々経験しているものの、グローバルに会社として協業することなどまるで経験が無く、やる気はあってもどうこれを進めていいのか右往左往していた。EREの懸念は決して脅かしではなかった。
 このIBMおよび横河の体制を何とか整理し、一体システムとして対応出来るようにするための仕掛けは、ほとんどMTKさんが親しい両社のトップと膝を突き合わせて作り上げていったものである。
 1979年秋の段階では、ビジネス対応と言う点においては明らかにハネウェル勢が一歩リードしていた。
(次回;比較調査への取り組み-2)

注:略字(TCC、ERE、ECCS、SPC等)についてはシリーズで初回出るときに説明しています。

0 件のコメント: