2011年7月29日金曜日

道東疾走1300km-4;フェリーの旅

 一昼夜を船で過ごすなど、1946年9月(つまり60年以上前)日本への引揚のため中国の葫蘆島から博多まで乗ったリバティ船(アメリカの戦時標準型輸送船;総トン数約7千トン)以来である。この時は黄海から玄界灘を経て数日かかっている。それ以外の乗船体験は数時間の湾や内海を行くフェリーだけである。しかし今度の船は商船三井の“さんふらわあ・さっぽろ”、758kmを19時間かけて航海する、1万3千トンの堂々たる外洋船である。ほとんど未知の乗物といっていい。
 予約段階で調べると、この航路には毎日2便運航しており、夕方便(午後6時半発・午後1時半着)と深夜便(午前1時45分発、午後7時45分着)があり、船の大きさが深夜便はやや小さい(1万1千トン)。そこに各種の部屋が用意されており、値段はこれで決まる。最も上等なのがスウィート、これは一室しかない。次のクラスはデラックスで和洋あり、人数も2~4人と選べる(シングル利用も可能だが割高になる)。その次がスタンダードでほぼデラックスと同様の種類があるが、違いはバス・トイレの有無(スタンダードも洗面はある)と部屋の広さだ。この下にカジュアル(二段ベッドの中部屋)、エコノミー(大部屋で寝具のみ)となっている。風呂は展望の大浴場があるので、ビジネスホテル同様の狭いバスよりこの方が快適だ。食事も最上階のレストランをどの部屋も共通に利用できる。しかし、若い人(主にカジュアル、エコノミー利用者)は、自前の食事を乗船前に準備してロビーやプレイルームなどで食している人もいる。
 我々は、往きはスタンダード、帰りはデラックスの洋室にしたが(帰りの船にはスタンダードツウィンが無いので)、大半を寝て過ごすのでスタンダードでもそれほど不自由とは思わなかった(トイレは自室に欲しいが)。
 乗用車100台、トラック180台を三層の車両デッキに積むのだが、トラックはほとんどトレーラーの荷台部分を切り離して積み、運転台のある牽引車部分は乗らないので、乗船客の大部分は乗用車の運転者と同乗者に限られる。従ってレストランや風呂も混雑しない。
 夕食は出港前のまだ明るい時間、午後6時から始まる。内容は中華中心のビュッフェで、格別のご馳走ではないが、朝食とセットで2300円はリーズナブルである。アルコールは別売で生ビールが500円。日本酒(冷酒)やウィスキーの水割りもある。幸い往復とも海は穏やかで、これだけ大きな船ともなると、地上のレストランとあまり変わりのない状態(ゆっくりした前後・左右の揺れはあるが)で食事が出来る。
 食事が終わる頃には夕闇に包まれ、陸の灯台や漁船の集魚灯の明かり以外は何も見えなくなる。8時からは映画小劇場(20人位)がオープンするし、ゲームセンターは常時開いているので、しばしそこで過ごす人たちもいる。
 難点はTVで、アナログとBSが一応受信できるが映りが悪く、とても長時間観る気にはなれない。携帯も圏外となってしまう。
 早々に大浴場に行くとこれが広い。20人分位洗い場があるが数人しか居らず、のんびり汗を流し、浴槽で寛ぐことができた。浴槽は揺れ(前後)の影響を減じるために真ん中に敷居が入り、二つに分かれている。
 船での就寝はさすがにチョッと揺れを感じる。往きの部屋はベッドが進行方向横置きになっているので横揺れでしばらく寝付けなかったが、それもいつのまにか慣れて、窓が明るくなるまで熟睡した。夜明けは岩手県の沖合い、朝靄が立ち込め視界は悪かったが、相変わらず穏やかな海で、白い波頭を見ることもなかった。
 靄は時間が経つに従い薄くなっていっき、苫小牧港入港時には日差しに強さは欠くものの、好天になっていた。入港(接岸)は予定時刻ぴったりの午後1時半であった。

(次回予定;富良野へ)
 (写真はクリックすると拡大します。もう一度クリックするとさらに拡大します)

0 件のコメント: