2011年9月8日木曜日

決断科学ノート-87(大転換TCSプロジェクト-24;派米チームの苦闘-2)

 派米チームの仕事は、次世代プロセス・コントロール・システムを構成する二つのシステム、ACS(IBM製品のSPCシステム;Supervisory Process Control)とCENTUM(横河製品のプラントに直結するDCSシステム;Distributed Control System)を統合したシステムとして動くようにすること、新システムのアプリケーション基盤を細部まで理解し、場合によって第一世代で使われてきた各種の約束事を次世代でも動くようにACSの標準ソフトに手を加えることなどであった。
 SPCとDDCを一体化することは第一世代でも行われていたが、その一体化機能はかなり制約が多く、日進月歩するより高度なコンピュータ利用のためには多くの改良が必要だった(第一世代ではDCS(分散型)ではなく、DDCと呼ばれる集中型のディジタル制御システムを使用)。その要は二つのシステム間の通信機能である。
 これは、SPCとDCSと言う言語の違う二人の人間の間のコミュニケーションを取り持つようなものだが、第一世代が辞書を用いる初級通訳なら、第二世代は人の顔色まで読みながら行う同時通訳ほどの違いがある(速さ、情報の種類・量、状況変化への対応など)。それ故に二つのコンピュータの内部の仕組み・動きを完全に理解していなければならない(通訳なら単語(とその使い分け)・文法・発音など)。これだけでも大変な学習を要するのに、さらにアプリケーションの内容を確り理解していないと実用にならない(専門用語の分からない通訳では困る)。
 この機能はどちらかのコンピュータ(SPCまたはDCS)に全て任すことも理論的には可能だが、こうするとその機能を引き受ける方は、本来の標準機能処理に影響を受けるので望ましいやり方ではない(第一世代ではそうせざるを得なかったが)。幸い、IBMは当時の世の流れ(ミニコンピュータの普及)に合わせて、シリ-ズ1(S/1)と言うミニコンを発売していた。これを二つのシステムの間に挟み、同時通訳の役割を負わせることにした。これで二つのコンピュータは標準機能で動き、通信のための特殊な機能はS/1が受け持ち、全体が効率よく動けるようになる。
 S/1上の通信ソフトはACS(汎用機の上で動く)の手足となる部分はIBMが、CENTUMとのインタフェース部分は横河がプログラム開発を行ったが、一体化システムとしての全体開発責任は東燃にあった。またこの時期、同じようにS/1を介在してACSとDCSを繋ぐ二つのプロジェクト;カナダのサーニア製油所向け(ハネウェル製DCS)、ヴェネズエラのラゴベン製油所向け(フォックスボロー製DCS)がEREで進められていたので、三つグループの設備利用の調整も仕事に加わることになる(それぞれが競い合い、派米チームから“ACSオリンピック”と伝えてきた)。従って海外での自社向け環境整備とプロジェクト・マネージメントを併せて行わなければならない担当者、特にチーム・リーダー、TKWさんの苦労は並大抵のものではなかったようだ。
 3月頃だったと思うが、滅多に弱音をはかないTKWさんから「なかなか思うようにことが進みません。まるで孤軍奮闘の駆逐艦長のようです」と言う私信をもらった時、「随分追い詰められているな!」と痛感し、プロジェクトリーダーのMTKさんに報告したくらいである(因みに、TKWさんの父上は駆逐艦電(いなづま)艦長、1944年5月セレベス海で米潜水艦ボーン・フィッシュの雷撃で沈没、戦死されている)。
(次回予定;“派米チームの苦闘”つづく)

P.S.;派米チームの活動については直接関係する立場にはなかった。従って同チームに関わる話題は、派米メンバーが送ってくれた公私信(手紙)や中間で訪米し現地での課題整理・慰労に当たったMTKさんらの話しに基づいています。年月も経ち、記憶が定かでないこともあって、不正確な点(特に、時期・人名・所属・役職)が多々生ずる恐れがあります。本ブログの読者でこれに気付いた方は下記メールアドレスに修正情報をいただければ幸いです。逐次記事の中でそれを正して行きたいと考えていますので、よろしくご協力をお願いいたします。
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