2011年9月15日木曜日

決断科学ノート-88(大転換TCSプロジェクト-25;派米チームの苦闘-3)

 日本初のACSの導入、それとCENTUMとの結合を5月中に完成させると言うミッションの他にも派米チームを煩わせる仕事があった。最初のシステムの適用先は和歌山の石油化学プラント、BTX(ベンゼン・トルエン・キシレン)製造装置になるが、ここへの設置とその後の運用・メンテナンスは、中央サポートチーム(派米チームとメンバーと重なる)の他に、これらプラントや既存(第一世代)システムをよく知るメンバーが日常的に当たることになっていた。その保守要員の教育訓練を、スケジュールの関係で、EREで行うことになった。派米チームは自ら新技術を学びながら一体化システムを開発し、さらに彼らのサポートもしなければならないのだ。
 この計画がいつどのように決まったのか記憶が定かではない。しかし、5月帰国後実機の結合テストを横河(三鷹)で行い、それを和歌山に移して現場設置・繋ぎこみとテスト。それが済むとアプリケーション・エンジニアによる個々のアプリケーションの新規システム組み込み・既存システムの移設(ロジックは同じでも書き換えが必要)、プラント運転員の操作訓練を終え、9月には新システムでスタートアップしなければならない。また日本IBMすらACS専門家養成のため、要員を派米していたくらいだから、国内での教育コースなど開ける状況に無かった。トレーニングはこの時期に米国で行うしかなかったと言える。
 メンバーとして選ばれたのは、当時SPCの面倒を見ていたMYHさん、計装でDDC保守を担当していたKTAさん、工場生産管理システム開発に従事してIBM汎用機に詳しいYSKさんの三人である。これらの人たちは、もともとプラントの運転員や計器の保守員として採用され、適性を認められコンピュータ関係の職種に転じた経緯を持つ。従って、コンピュータ言語については詳しいものの、日常的に英語に触れる機会はほとんど無い環境で過ごしてきた。突然長期(確か二ヶ月くらい)米国出張を命じられ大いに戸惑ったに違いない。
 教育はIBMのACS専門家によって行われる。言葉は当然英語である。内容によっては先発の派米チームや日本IBMの担当者も同じクラスに参加して講義を受ける。つまり中身もきわめて高度なものである。少々の英語に関する知識・経験があったとしても容易に理解できるものではなく、その苦しみは想像に難くない。多分それは教える方にもあったのではなかろうか?やがてこの和歌山チームは“Wait(Stopだったかもしれない)”と言う看板を用意し、分からなくなるとこれを掲げて講義を止めて、先発メンバーの力を借りながら、その不明を質したという。
 こうした場面での負担は主に、TKWさんとYNGさんの二人にかかってくる。この時期の滞米メンバーの中で、英語力が抜きん出ていたからである(無論専門分野でも優れているが)。TKWさんは高校時代一時AFS(アメリカン・フィールド・サービス;高校生版フルブライト留学)に応募することも考えたほどだし、YNGさんはこれに先立ちプロセス・エンジニアとしてEREに長期派遣(確か2年)されている。
 この苦労はトレーニングに限らず、当然日常生活にも及んでいる。買い物、食事、偶の息抜き。送られてくる手紙の端々に、精神的に張り詰めている状態が伝わってきた。現地ではもっとピリピリしていたに違いない。
 これは後日談になるが、TCSを主力製品・サービスとする新規事業を立ち上げ、展開する中で、先発派米チーム、和歌山チームの面々が大活躍することになる。この時の苦しい局面を耐え、突破できた体験がそれに生かされていると確信させられた。

P.S.;派米チームの活動については直接関係する立場にはなかった。従って同チームに関わる話題は、派米メンバーが送ってくれた公私信(手紙)や中間で訪米し現地での課題整理・慰労に当たったMTKさんらの話しに基づいています。年月も経ち、記憶が定かでないこともあって、不正確な点(特に、時期・人名・所属・役職)が多々生ずる恐れがあります。本ブログの読者でこれに気付いた方は下記メールアドレスに修正情報をいただければ幸いです。逐次記事の中でそれを正して行きたいと考えていますので、よろしくご協力をお願いいたします。

メール送付先;hmadono@nifty.com
(次回予定;“派米チームの苦闘”つづく)

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