2012年3月18日日曜日

決断科学ノート-110(自動車を巡る話題-4;フォルクスワーゲン)



 
少し古くなるが、38日の日経朝刊に世界の自動車大手12社の2011年度の業績が取り上げられ、“収益の二極化が鮮明”との見出しが大書きされている。好調は米・独・韓、不調は独を除く欧州と日本である。収益トップはフォードの1.56兆円(570万台)、二位はフォルクスワーゲン(VW)の1,54兆円(820万台;2位)、三位はGM58百億円(販売台数トップ;9百万台)、日本勢トップの日産(ルノーは含めず単独)は7位;29百億円(470万台)、トヨタは10位;2千億円(7百40万台)である。
記事によればフォードとVWは会計上の一過性の処理があり、数字が突出したとあるが、VWの営業利益は前年比58%増、1兆円の大台を超えた唯一の自動車メーカーになっている(嘗てトヨタもこの数字を実現しているが・・・)。本稿-1でも述べたようにヒュンダイ(53百億円、660万台)が「いまやトヨタはライバルで無く目標はVW」と語るのもこの辺のところにあるのだろう。両社とも成長著しい中国で大きな伸びを示し(ヒュンダイ27%、VW17%)、競い合っていることもそれに拍車をかけているに相違ない。
VWの好調はどこからきているのだろうか?ここからはデータをベースにした経営分析から離れ、一自動車ファンとして考察を試みてみたい。
VWと言えばドイツ語で“国民車”、中国でのブランド名は“大众(大衆)”である。当に一般庶民向けの車にビジネスを集中してきた会社とのイメージが強い。初代ビートルはその狙い通りの成功を収めた車として自動車史に残る名車である。しかし、名車ゆえに後続モデルにヒット作が出現せず、中興の祖、ゴルフ誕生(1975年)まで苦難の時代を迎える。今やCセグメント(スモール・ファミリーカーあるいはミディアムカー)の代表選手となり、他社の新車開発では常にベンチマークとなるこの車の存在が、単一車種(亜種;ワゴン、スポーツカー、新ビートルなど)大量生産の効果を極大化し、今日の好調をもたらしていると言える。加えて、初代の成功とその後の失敗(次期モデル開発)に学び、市場や規格の変化にも機敏に対応、上位にパサート、下位にポロ、さらにはアップ(1リッター3気筒エンジンの小型車;昨秋欧州で発売)などを取り揃え、世界の“大衆”の期待に応えられるラインアップを着々と整えてきていることも見逃せない。
しかしながらVWには、“大衆車”メーカーとしての成功が大きいほど困ることも起こってくる。どんなに品質が良くても“高級車”とは無縁のイメージが強くなってしまうのだ。先の日経記事ではダイムラーは210万台で57百億円、BMWは百70万台で5千億円の純利益を上げている。VWの一台当りの純利益はこれらに比べ半分以下と言うことになる。イメージだけでなく儲けもまだこれらに比べると薄いのだ。
これに対する対応策は意外と早くから手を打たれている。1965年におけるアウディ社の買収がそれである。アウディは戦前のアウトウニオンにつながる名門、ネームバリューに不足はなかったし技術的にも前輪駆動では一級のものを持っていた。ただこの時期アウディも経営が苦しく、VW自身がビートルの次を求めて呻吟していたこともあり、相乗効果を発揮するには程遠い経営環境だった。これが生きてくるのは先ずゴルフ開発(VW初の前輪駆動)、80年代から90年代にかけてのアウディ・クワトロ(4輪駆動)による世界ラリー選手権での大活躍、更にはその後のル・マン24時間レースにおける圧倒的な強さに待たなければならなかった。
確実に御三家の一角を占めるまでの地位を得たアウディは、1999年フェラーと並ぶスーパーカー、ランボルギーニを傘下に収めている。
もう一つはポルシェとの経営統合である。初代ビートルはナチス時代にフェルディナント・ポルシェ博士がヒトラーの“国民車”として設計・開発したものである。戦後博士がビートルの生産やVW社の経営に関わることは無かったが、息子のフェリー・ポルシェがポルシェ社を立ち上げ、VWとの共同開発スポーツカー、カルマンギアをアメリカマーケット中心に成功させるなど、緊密な関係を保っていた。2005年頃からビジネス好調なポルシェがVWの買収に動くが、資金が続かず逆にVWに買収され、経営統合に向けて動き出している(2011年末を目指したが、種々の制約をクリアーできず未達成)。これに深く関わったのは当時のVWCEO(現監査会会長)、フェルディナント・ピエヒ、ポルシェ博士の孫(娘の子)である。
高級車と言えば何と言ってもロールスロイス(R&R)。そのR&Rの倒産(1971年)と国有化、ヴィッカースへの売却を経て1998BMWと買収合戦が起こり、結局R&RブランドはBMWへ、ベントレーはVWのものとなった(W12気筒エンジンはVW開発・供給)。英国の超高級車のインテリアは独特の風格があり、今でもこれを愛でる人は多い。
ブランド戦略の留めは、往年(戦前)のフランスの名車ブガッティを買い取り、それを復活させたことである(ヴェイロン;W18気筒+4ターボ・エンジン搭載(1015馬力)、最高速度400km/h以上、1.8億円!)。もっともこれは失敗だった気がするが・・・
こうして嘗ての“大衆車”メーカーは、王侯貴族のステイタスシンボル、ブガッティ、ベントレーからスーパーカーのスター、ランボルギーニ、ポルシェ、ベンツ・BMWの量産高級車に対抗できるアウディ・シリーズまで、“高級車”も扱う、史上比類無き幅の顧客を対象にする一大自動車メーカーに変身してきているのである。そしてこの上級マーケットへの挑戦が収益改善に結びついてきているのではなかろうか。

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

日本の中古車って海外では人気があるから、もしかしたら高い査定額がつくかも...でもそれは愛車が海外ではどれぐらい人気が高いかで決まります。
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finalcake さんのコメント...

いつもお疲れさまです!
ところでルマンズもそろそろですし、
この動画を見てみませんか?
面白いですよ!

youtube.com/watch?v=vzDJrZNSwNs