2012年8月3日金曜日

今月の本棚-47(2012年7月分)



<今月読んだ本>
1)オーディション社会 韓国(佐藤大介);新潮社(新書)
2)フェイスブックが危ない(守屋英一);文芸春秋社(新書)
3)The QuestDaniel Yergin);The Penguin Press
4)2050年の世界地図(ローレンス・C・スミス);NHK出版
5)チャーチルの亡霊(前田洋平);文芸春秋社(新書)
6)快楽としての読書[日本編](丸谷才一);筑摩書房(文庫)

<愚評昧説>
1)オーディション社会 韓国
私はゴルフはやらないがそれでも韓国女子選手の圧倒的強さはいやでも目に付く。これは日本ばかりでなく数年前アメリカでも同じような状態で、女子プロ協会が「英語の試験を課す」と言い出し、社会問題になったほどである。一方でこの本の中にも出てくるが、フィギャーのキム・ヨナ選手が「韓国では2位になっても誰も褒めてくれない」と嘆いている。とにかく“No.1”でなければダメなのだ。多分今度のオリンピックでも日本はメダル数で彼らに圧倒されるだろう。豊かになった今の韓国、単純に「彼らはハングリー精神が旺盛だから」で片付けられない、独特の競争社会・ブランド志向社会がそこに存在するからなのだ。そんな特異な価値観とそれに因る歪を、長く韓国に駐在した新聞記者(韓国語に精通)が多面的に調査・分析したのが本書である。
書き出しはTVで圧倒的な人気を誇る、歌謡オーディション番組の紹介から始まる。ここでは歌の上手さばかりでなく(いやそれ以上に)ルックス、そして自らを売り込むための生い立ち・生活に関する自己紹介(如何に聴衆の同情・共感を得られるか)が重要な採点因子になっている。就職も結婚も容姿と“スペック(結婚相手を選ぶ場合は特に、出身大学、勤務先、役職)”が決め手になる。女性は整形美容に励み、男性は一流校から一流会社を目指す。
その結果どのようは社会現象が起こるか?先ず受験競争の過熱、一流校を目指して塾通い、家庭教師による指導に、多大の時間と費用がかかる(一例として、40歳代前半のサラリーマン・娘二人の家庭で、私教育費が140万ウォン(約9万円)、これは月収の4割に相当)。更に、「高い英語力が必須」との考えが徹底しており、高校進学前に英語修得のために、英語公用国(最近はフィリピンや豪州、シンガポールが多い)に母親と伴に留学するケースが増えており(半年以上留学経験のある“小学生”;2000705人、200712000人(中学生;27000人))、この場合さらに教育費は増加して、国内で働く父親はかつかつの生活を強いられる。
受験戦争の勝者は一流大学に入っても、一流企業の正社員(1997年のIMF(通貨)危機後、正社員採用は著しく少なくなり、派遣・契約社員が圧倒的に多い)や公務員への入り口は狭い。勉強とコネ作り(政治家などへの)が必須だ。運良く大会社に入社できても、そこでの競争も激しい(社内試験、特に英語力や営業成績)。日本に比べ遥かに実力・成果主義が徹底している(いわゆるリストラ(実質上の馘首)も多く、定年は45歳とも言われている)。
行き着く先は格差の拡大である。子供を塾通いさせ海外留学に出せる家庭は当然収入の多い階層になる。一流大学を出て一流会社に就職した者と、派遣・契約社員では経済レベル(正社員の6割)が違うだけでなく、生活の安定度・将来性も違ってくる。順風満帆の人生をおくれる人は限られる。グローバル企業と中小企業の格差も日本の比ではない。現代・サムソン・浦項・SKなど大手企業56社の売り上げだけでGDP56%を占めるのだ!
日本を上回る少子化率(1.15人、日本1.37人)、それにOECD加盟国中1位の自殺率(10万人当たり21.5人、日本19.1人(3位))と言う現象が、このオーディション社会の自己評価なのである。
本書で不満なのは、凄まじい競争社会の実態は丁寧に説明されているものの、「何故そのような競争社会がもたらされたのか?」が明解でないことである。IMF危機はそれに輪をかけただけであり、その本質ではない。歴史的背景(例えば、同民族で複数の国家が覇権を争ってきたことや儒教の影響)、地政学的(例えば、大国の存在・利害と半島の位置・地形)分析に全く及んでいない。評者としては、これらにこそ問題の根源があると考えるのだが・・・。
韓国との付き合いは長い(1988年から)。親しい友人も何人か居る。IMF危機以降、韓国企業が勢いを回復したある時「最近の韓国は元気だなー」と言うと、すかさず「日本企業は日本一を目指す。韓国企業は世界一を目指す!」と応じて、ニヤッとした。しかし、しばらく置いて「でも日本には同じ業種に必ず何社かあるよな」と続けた。そこには、2位以下が存在でき、選択肢のある社会を羨む含みが確実にあった。
蓮紡議員の「何故2番じゃいけないんですか?」には困ったものの、ジャイアンツだけがプロ野球界で突出した強者になるのも健全ではない。地元・弱小球団(横浜ベイスターズのファンです)を応援し、金メダルを期待されながら、銀・銅で終わった選手にも拍手を送ろう!

2)フェイスブックが危ない
3,4年前国際的に活躍する人からフェイスブック(FB)に誘われた。その人は“友達”に私のことを紹介したので、外国から沢山“友達”になることを依頼するメールが送られてきた。しかし、いまさら縁もゆかりも無い外国人と知り合いになりたいと思わなかったので、一切返答しなかった。それでFBとの縁は切れていた。今年4月初め、東燃時代の後輩から「FBの“友達”になってほしい」とのメールが届いた。以前と違いSocial Network SystemSNS)としてツイッターとともに存在感を増していることもあり、「勉強をしてみようか」との思いで“承認”し、プロファイル(名前・写真・生年月日・出身校など)を登録し、公開した。直後に「もしかして友達では?」とのリスト(名前と写真)が示された。「エッ!何故こんな人と知り合いであることが分かるんだ?」「知りもしない人が何故友達?リストに入っているんだ?」 第一印象は「気持ちが悪いなー」である(この辺は“おじさん感覚”なのだろう)。直ちにプロファイルから名前(FBでは本名が原則)、写真、メールアドレス以外の情報を削除した。“友達”として承認したのは、既にその人をよく知っている人に限定した(約50人)。従って友達の輪は広がらない。これは本来FBが目指すものとは異なるようだが、それでいいと思っている。
インターネットによる個人(企業などの組織もあるが)情報の開示は、ホームページ(HP)、ブログ(Web Logの略)、SNSと移ってきた。作るための技術が容易になるに従い、プライヴァシーの保護が甘くなってきている。特にSNSは気楽に他人とつながること(同窓会・友達作り・恋愛チャンス・仕事探し・同好の志交流など)を売り物にしているので、その感が強い。そこがこれを悪用(例えば、他人に成りすまして悪事を働く)あるいは商売に利用しようとする者にとって付け目なのだ。
本書はFBを始めとするSNSの利点を分かり易く紹介すると伴に、その陰の部分を多数事例で示し、システムの持つ特質からその原因を探り、被害防止策を具体的に教授するものである。
著者はIBMの不正アクセス防止の専門家、インターネット安全活用マニュアル(あるいはガイドライン)と言っても良い性格の本で、決して読んで楽しいものではないが、大変役に立つものである。(スマートフォーンなどを含む)通信に関して、プライヴァシー保護、セキュリティに少しでも不安を感じたり、関心のある方には是非手にとってもらいたい。

3)The Quest
2月に会社同期の飲み会があった。その席でF君から「Yargin読んだか?」と問われた。Yarginは知っていたが本書のことは知らなかった。4月日本経済新聞から訳本「探求(上、下)」が出版された。二巻で5000円近くする。円高もあるので最近は洋書が安い。原書は半値であったので挑戦することにした。届いた本はわが国の標準的なサイズよりひと回り大きく、ページ数は800、訳本が二巻になるわけである。読破するに3ヶ月近くかかっているが、これは本書に集中したわけではなく、他の本と併読したことや、6月から仕事を始めたことも影響している。興味深いテーマ(エネルギー)、小説のように起伏のある筆致、平易な英語、これだけ読んでいれば一ヶ月位で終えることが出来ただろう。
訳本が出版された際の新聞広告に、“「世界の指導者のすべては本書を読むべきだ」ヘンリー・キッシンジャー”と言うのがあった。読んでみて、“指導者”に限らず、多くの人が、エネルギー問題を自らの問題として考える一方で、それが世界の政治・経済、さらには人類の将来と如何に複雑に絡み合っているのかを理解する手引きとして、優れた本であることを確信した。
On March 11,2011, at 2:46 in the afternoon Japan time, ・・・. At the Fukushima Daiichi complex ・・・” 本書の書き出しである。大震災はわが国に歴史的大災害をもたらしたばかりでなく、これからの世界に多種多様な問題を提起している。つまり原発事故は、核・放射能問題ばかりではなく、拡大する新興国のエネルギー需要、地球環境問題、旧ソ連や中東の統治体制、再生可能エネルギーや代替エネルギー開発、輸送システムの変革、発送電や電池の効率向上技術、一層の省エネルギーを可能にする社会システムの追求、そしてエネルギー資源を巡る利権・覇権争いの危険、を論ずる引き金となったのだ。
6部(1.The New World of Oil2.Security of Supply3.The Electric Age4.Climate and Carbon5.New Energy6.Road to the Future)・35章の構成は、上述の各種問題とエネルギーの関係を丁寧に解説した後、最終章;A Great Revolution(大変革)で終わる。我われはエネルギー革命の真っ只中にあることを自覚し、大変革を成し遂げないと人類の未来が危ないと。
この本を多くの人に薦めるのは、スケールの大きなテーマながら、特定な思想や学問としての論理などに縛られた固いものではなく、かなり専門分野に立ち入りながら、一般人が惹かれ読み進みたくなる書き方にある。特に、現代の最新技術を、歴史を遡り、解説していく件など、思わず少年時代読んだ英雄伝を思い起こさせたりした。フォードとエディソンが協力して電気自動車開発に取組むところや、アインシュタインがスイスの大学を出た後、適当な就職口が見つからず、父親の縁で特許事務所に勤めているとき発表した太陽光による発電(太陽電池)の話などがその例である。
また、政治・経済問題が中心になる内容でも同じように興味を惹くよう工夫されている。第一章は、Russia Returns(ロシアの復活)だがここではソ連時代国有財産であった油田を含む石油施設の民営化とマフィアの暗躍が、まるでサスペンス小説のように語られるのがその一例である。
エネルギー問題は経済性を含む“効率”の問題である。この効率の良し悪しを考えるところでも技術や経済に疎い人への配慮がある。例えばバイオ燃料。石油と比べた場合、同じ発熱量を得るのに、玉蜀黍や砂糖黍畑に極めて広大な面積を要し(つまりそこでエネルギーを消費する)、其処から精製設備までトラックで輸送するために消費されるエネルギーも大型タンカーやパイプラインに比しはるかに高い、と言うようにである。
原発に限らず“日本”もしばしば登場する。中でもエネルギー問題で重要な部分を占める省エネルギーでの努力を高く評価している。その中で一項を設けて“Mottainai(もったいない;「この言葉を英語にするのは難しい。強いて訳せば、“Too Precious to Waste(捨てるにはあまりに貴重なものだ)”」)”の説明を行い、家庭から企業まで、あらゆるセクターで継続的な省エネ活動が必要なことを訴えている。
このような“読み易さ”は、著者がエネルギー研究のシンクタンクを主宰し、ハーバード大学ケネディ行政大学院教授であることから“学者”と紹介されることが間々あるのだが、1980年代「石油の世紀」でピュリッツァ賞を受賞し、金融財政に関する「市場と国家」を出版していることからも分かるように、本質的にはジャーナリストであることと無縁ではなかろう。
「探求」の翻訳は冒険小説などで評価が高い伏見威蕃が行っている。大先生の“監訳”などにしなかった編集者の見識に期待したい。

4)2050年の世界地図
地球温暖化によって、極地や氷河の氷が融け出し、海面の水位が上がって、多くの陸地が水没する。今や環境問題の定番である。しかし、海に浮かぶ氷山が融けても水位が上がらないことはアルキメデスの原理、コップに氷を入れてみれば分かることであるし、温度が上がれば海水の蒸発量も増えるはず。それに、地球の歴史を見れば氷河期もある。本当はどうなるんだろう?地球物理の知識はこの程度である。
新聞の書評で本書を知り、どうやらこの疑問に純粋に科学的(環境信者による似非科学ではなく)に答えてくれるような内容ととれたので読むことになった。期待通り極めてニュートラルで科学的なものだった。
著者はUCLAの地理学教授。特に極北地帯の研究を専門にしている人である。気象・気候学(これは天候と違いかなり長い期間の変化を対象)を基盤に、地質学、動植物学のような自然現象ばかりでなく、人類学(特に北方民族)、経済学や社会学などを動員した、総合的な極北研究で、文中から推測するに夫人は、この研究を通じて知り合った北欧系北方少数民族の人らしい。そこまで入れ込んだ研究成果の一端が本書として結実した。“人類にとって「北」の重要性が増している”と。
カナダ北極圏高緯度での北極熊ハンティングは、大物狙いのハンターにとって憧れの狩である。限られた人が45千ドル払い、一頭を仕留める権利を買い取る。2006年米国人の一人が運よく北極熊と思しきものを射止める。しかし、そばに寄って見ると、それは純粋の北極熊ではなく、北米大陸に広く生息する灰色熊(グリズリー)の特徴を多く備えた混血種だった。当初は単発的な奇種とみられていたが、やがてこの混血種が繁殖していることが明らかになり、地球温暖化との関係が取り沙汰されるようになる。少し振り返って動植物の生息域を調査・分析すると、世界各地で緯度のより高い地域に移動していることが分かってくる。定量的には平均10年毎に6km両極寄りになり、山岳地では高度が6m上昇しているのだ。これが40年後(つまり2050年)にはどうなっているか?単純に計算すれば、南北両極へ24km、高度24m、地球規模で見れば大した変化ではない。
しかし、経済発展の広がりと度合い、各種資源需給などの変化率を考慮すると、ことはそれほど単純ではなさそうだ。北極海は?ツンドラ地帯は?領海・領土は?資源は?そして人間の居住域は?そこに住む人々の生活は?現地調査とコンピュータ・シミュレーションでその姿を予測(本書では“思考実験”と名付けている)して、これらの疑問に答えていくのが本書の内容である。
この思考実験のルールとして著者らは以下の前提を設定して、これに臨む。1.「打ち出の小槌は無い」(科学技術の進歩は緩やか)、2.第三次世界大戦は起こらない、3.隠れた魔物はいない(長期大不況、致命的な伝染病大流行など)、4.モデル(気候、経済)が信用できる(ただし、条件を変えて幾つかのケーススタディを行い、楽観論・悲観論などを明記する)。
結論は、低緯度地域の一部で一層の乾燥化が進み、海面水位がやや上がるものの、対応策はあり、北半球北部が今世紀の間に大変な変化を経験して、現在より人間活動が増え、戦略的価値が上がり、経済的重要性が高まる、と言うことである。具体的な国・地域としては、アメリカ(アラスカ地方)、カナダ、アイスランド、グリーンランド(デンマーク)、ノルウェイ、スウェーデン、フィンランド、ロシアの8カ国である(これらを著者は「環北極圏(ノーザン・リム)」またはNORCs(Northern Rim Countries)と名付けている)。
本書の特徴は、単なる自然科学を中心とする環境問題の研究書に留まらず、先にも述べたように、社会科学面からの考察を加えていることである。例えば、先住民(イヌイットなど)の人権・諸権利(土地所有や自治)回復の動向(米・加・グリーンランドでは進んでいるが、北欧は無関心、ロシアはむしろ差別されている)やそれに基づく経済活動の盛衰(東シベリアは人口減少が止まらない)も併せて“思考実験”を行っている点である。さらにこれら社会活動変化を資源問題や領土・領海問題に波及させているので、40年後の世界が現在の我われに身近なものとなってくる。
研究対象域を広げることにより、専門分野を一般人に理解させる好例の書として高く評価する。

5)チャーチルの亡霊
ヨーロッパ連合(EU)の前史は1951年フランス外相ロベール・シューマンの提唱した欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)に遡る。それが欧州経済共同体(EEC)、欧州共同体(EC)と発展し、現在のEUに至るまでに半世紀を要している。ポイントは各国の国家主権をどこまで統合上部統治機構(欧州大統領、欧州会議・欧州中央銀行など)に委ねられるかにある。もし、この上部機構が欧州全体を統治することになれば、EUは欧州連邦(USEUnited States of Europe)に変ずることになる。しかし、連合が連邦になる可能性はあるのだろうか?この疑問に深く関わるのが“亡霊”なのである。
この欧州各国政治指導者が関わる、統合のアイディアを彼らに先駆けて披瀝した人物にリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー(日本名;青山栄次郎;オーストリア外交官と青山光子の次男)が居る。彼が1923年出版した「汎ヨーロッパ主義」は第一次世界大戦で荒廃したヨーロッパ人の間にセンセーションを巻き起こし、有力者にシンパが続々と現れる。しかし、この考え方は勃興するナチズムとは真っ向から対立し、最後はアメリカに難を逃れる。
戦後欧州に戻った彼は、平和なヨーロッパを実現するために、この汎ヨーロッパ主義が必要なことを各国指導者に訴えていく。彼の目指すものは“連邦”。これに注目した一人がチャーチルである。
連合国の指導者の一人として大戦を勝ち抜いた英雄にも拘らず、戦後の選挙戦に破れ野に下ったチャーチルは捲土重来を期すべく、国際社会激変の中で、自己と大英帝国のイニシアティヴ回復に向けて、精力的に政治活動を進めている。バラバラで貧しい欧州はやがて共産主義に席巻されてしまう恐れがある。一つにまとめる役割を英国が引き受け、アメリカの援助(マーシャルプラン)を効果的に投入出来る環境を整える。併せて大英帝国の維持のために、統合された欧州に英国自身は、主導権は残しつつ、距離を置く。老獪な国際政治家の本音は“連合”まで。国家主権を上部機構に預ける考えは全く無い。
チャーチルからの手紙で汎ヨーロッパ主義を称えられたクーデンホーフは、これ以上の支援者はいないと全面的な協力を約束する。チャーチルが先ず知りたかったのは、汎ヨーロッパ運動に同調する各国の政治家、特に英国国会議員である。目的を明確にせずクーデンホーフの持つ支援者名簿を入手する。これをもとに自分の考えを実現する政治工作を進めようというのだ。両者を繋ぐ役割は専ら娘婿に任せ、チャーチルはクーデンホーフとの直接的な接触を避けるようになっていく。いつまで経っても前へ動かない統一運動。クーデンホーフの不安は、不信へと転じていく。
クーデンホーフが一民間人として進めてきた活動は、別次元で政治家によって、密かに進められていた。195058日、丁度ドイツ降伏から5年目の日、仏外相の密使が乗った列車が西ドイツに向かう。アデナウァー西独首相に宛てた書簡はECSCの提案書である。アデナウァーは直ちに賛意を示す。59日これが全世界に知らされたが、英国は蚊帳の外であった。
1951年チャーチルは首相に復帰する。しかし、体力気力は衰え、ECSCをぶち上げられた今、欧州統合に向けてのチャーチルの出番は無かった。
19469月、チャーチルがチューリッヒ大学でヨーロッパ統合に関する演説をして以来既に半世紀を越す時間が過ぎた。一見ヨーロッパの復権を窺がわせたEUは加盟国の財政破綻を契機に、各国の思惑が食い違い、国家主権と統合統治の関係が問われている。当にチャーチルの亡霊が蘇り、ヨーロッパを徘徊し始めたと言って良い。
本書は“チャーチル研究”(修士論文)からスタートしたもののようだが、ヨーロッパ統一とチャーチルの関係を取り上げた本は寡聞にして見たことが無い。チャーチルの周辺に興味を持つ者として、新しい発見が多々あった。ただ、EUとクーデンホーフ(“EUの父”と称される)と言う視点では、系統立てた理解はし難い。

6)快楽としての読書[日本編]
作家?丸谷才一の名前は知っていたが、全く読んだことはなかった。偶々5月に音楽評論家の吉田秀和氏が亡くなった時、新聞に追悼文が記載され興味を持った。NHK FMで毎土曜日放送される「名曲の楽しみ」のファン(聴き流すだけだが)だったからである。そんなときAmazonから本書([海外編]も併せて)の知らせが来たので読んでみることにした。本欄執筆の参考にもなると思ったからである。
そして大変勉強になりました!
先ず50ページにわたる書評に関する三つのエッセイ。ここからわが国書評史が如何なるものかを知った。著者に言わせれば「戦前は書評など無かった」「小林秀雄の書評なども酷いものだった」と言うことになる。まともな書評が現れるのは19512月週刊朝日に登場した「週間図書館」から、この時の書評委員の浦松佐美太郎(没個性的)と中野好夫(個性的)の評は両者とも英国雑誌・新聞の書評スタイルを取り入れ、これがその後の書評モデルになったのだという。当然のこことして両者はよく衝突したらしい。こんなものまで外国から学ばなければならなかったとは、この本を読むまで全く知らなかった。
次いで書評の要点;しっかりした文章、芸のある話術、該博な知識、バランスのとれた論理、才気煥発の冗談などを駆使し、紹介と批評を行う。ダイジェストと主観的“読後感”を書き連ねる本欄はとても良質な書評とはいえないことを、はっきり思い知らされた。
さて、著者の書評である。主に「週間図書館」と毎日新聞の「今週の本棚(ここからヒントを得たわけではありません)」などに記載された122編が選ばれている。現代小説あり、古典あり、詩歌あり(これがかなりある)、伝記あり、辞書あり!随筆あり、紀行文あり。執筆年代も1970年代から2003年位まで及ぶ。しかし読んだことのある本は一冊も無かった(広辞苑は利用するが、こう言うものも批評の対象だから驚く)。
率直に言って、興味の持てない本のオンパレードなので、書評も今ひとつ面白く読めなかったが、「こう言う読み方をするのか!」「こう言う書き方をするのか!」「こう言う批評をするのか!」を学ぶためには得難い本といえる。
最も辛かったは全文旧かな遣いで書かれていることで、今時こんな本は珍しい。これも大変勉強にはなったが・・・。
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