2012年8月6日月曜日

決断科学ノート-107(メインフレームを替えるー1;メインフレームとは)



ダウンサイジング、ネットワーキング、サーバー、クラウド、etcITInformation Technology;情報技術)の世界は横文字・略字のオンパレード。そんな中ですでに死語となった“メインフレーム(以下MFと略す)”と言う言葉をどれくらいの人が知っているだろうか?今なら、会社の中核業務を扱うサーバーで、既にクラウド化され自社内には存在しない、基幹システムとでもでも言えばいいのかもしれない。しかし、最近の中核サーバーは機能や業務別に分散されていることが多いので、さらにこれらを統合した情報システムをイメージすれば、ほぼ近いものになる。会社を象徴する汎用大型コンピュータシステム、これがこけると全社の業務処理に著しい障害が出る、最重要の情報処理システムのことである。
2000年代までは、大企業は自社内にこのメインフレームを持ち、これに支店や工場の中核システムをつなげて、全社の経営・業務管理を行うのが一般的だった。現在ならばPCや分散されたサーバーで簡単に処理できることもそこで集中処理するのだから、性能も価格も他の社内システムとは比較にならぬほど高かった。提供できるメーカーも限られ、IBM、富士通、日立、それに東芝・NEC(両者は共通のメインフレームを扱うようになる)と一部外国メーカー(ユニバック、NCR、バロース)くらいしかなかった。
オープン性(自在に他社システムとつなげる自由度、アプリケーションソフトの互換性・移行性)のほとんど無かった時代、このMFに何処のものを採用するかは、メーカーにとってもユーザーにとってもきわめて重要な経営課題で、トップセールスが繰り広げられるが、社長といえども軽々しく決定できることではなかった。また、他社のシステムに乗り換えることなど、危険がいっぱいで、一度メーカーを決めたらそこの後継機に移行するほか選択肢は無いと言ってよかった。
東燃のコンピュータ導入の歴史を辿ってみると、1958年のパンチカードシステム(PCS)から始まる。資本・技術提携先のエッソ(後のExxon)・モービルの影響もあり、機種はIBM420統計会計機に決まった。これは会計処理や給与計算などには効力を発揮したものの、所詮会計機、広範な事務機械化は無論、技術計算や製油所(数学)モデルによる生産管理などへの展開力は無く、それらのための手段は1963年の事務用計算機、IBM1401の導入と日本IBMの計算センターに在ったIBM7090利用、それに米国エッソ・エンジニアリング・センター(ERE)の機械(これもIBM7090)を利用してしのぐ他なかった。
東燃が自前のMFを持つのは、IBM1964年発表したS/360汎用機(同社初のICコンピュータ)を19675月に稼動させたことからはじまる。その後このシステムはS/3701974年)、S/30311979年)と機能を強化しつつ、より高性能の新型モデルに移行して行った。
また、工場においても時代の要請に基づき、工場管理システムが導入されていたが、和歌山工場はS/370の比較的小さいものを1970年代末期に導入していたし、プロセス制御システムにも全社的にIBM汎用機の利用が進められていた(本ノート;TCSプロジェクト参照)。
そんなわけで一部工場管理システムに東芝やHPが使われていたものの、東燃グループはIBMの模範的ユーザーと内外から認められていた。
陸軍の組織では中隊と連隊が特に意味を持つ。中隊は戦闘の中核組織、士官学校の卒業生は先ず中隊配属となる。連隊は駐屯地があり、それがある町は城下町、それぞれの連隊にはその象徴として連隊旗がある。旧陸軍では連隊旗は天皇から親授され、攻撃に際してはこれを押し立てて進み、負け戦で壊滅するときは、敵に奪われぬよう焼却して玉砕する。システム屋仲間ではMFを“連隊旗”と呼ぶことがあるが、東燃の連隊旗はIBMであった。
そんなグループに1982年、次世代MF検討の動きが胎動、1983年末それが実施されることになる。今回の“メインフレームを替える”はその顛末を明らかにするものである。

(次回;非IBMという考え方)

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