2013年1月12日土曜日

決断科学ノート-132(メインフレームを替える-26;FACOMへの決断)




今当時の手帳で19836月を振り返ると、月の後半は頻繁に富士通との会合が開催されていることが記されている。日立・富士通の国産二社はいずれも真摯にこちらの求に応えてくれていたことは確かなのだが、いくつかの理由でOPXプロジェクトチームの関心は富士通に傾きつつあったのだ。
先ず、国産機では実績ナンバーワンであること、それも国内実績ではIBMを追い越す勢いであること、特に石油や化学での実績が高かったこと。OSと一体化されJEFと言う日本語処理システムが、本社事務合理化により適していること。日立に比べIBMからの切替を短時間でできること。これまで採用はないものの、いくつかの先行プロジェクトで交流があったこと。一方で、日立には主力銀行(富士銀行:現みずほ銀行)を核とする財界グループ(芙蓉)を伴にするメンバーではあったが、米国におけるオトリ捜査事件によるマイナスイメージが未だ払拭しきれていないことも、プロジェクトメンバーから積極的支持を得られない理由の一つだった。
メンバーは二つの課(数理システム課;技術系アプリケーションおよびコンピュータ・通信技術、機械計算課;事務系アプリケーションおよび本社事務合理化プロジェクト)から出ていたが、アプリケーションを単なる計算領域から文書処理を含む総合的な情報領域に広げることを期待される機械計算課メンバーに国産機、特に富士通を推す声が強かった。これに対して私を含め数理システム課に属する者は、それほど国産メーカーに傾斜していなかったが、“ジャパン・アズ・No.1”が喧伝される時代、その技術力がついに世界の巨人IBMを捉えつつあるところに惹かれていた。私自身はこのようなメンバー全体の意向も勘案して「国産機を入れてみようか」と言う気持ちになってきおり、そのことを情報システム室長であるMTKさんに告げると、「わざわざ連隊旗を変えることなどない。IBMのままでで良いと言ってたじゃないか!」とやや気色ばんだ様子で返事が返ってきた。グループ全体の情報システム責任者としては、当然簡単に受け入れられることではなかった。
しかし、私がMF入れ替えに関して発言したのは2年前。今回の次期システム検討プロジェクト、OPXが動き出してからは適宜報告も行い、時にはMTKさんを含めて議論をする機会もあったので、この発言は国産採用否定と言うよりも、私の考え方の変化に対する驚きと、こちらに覚悟の程を確かめるものだったに違いない。と言うのもIBMMFを使うプラント運転・制御システム(ACSAdvanced Control System)を強力に推し、この年の初めから東燃テクノロジー(TTEC;エンジニアリング会社)でそのセールスをIBMと一緒になって行っていたことから、前言と併せて周囲からはメンバーの中で最も親IBM派と見られていたからである。
確かにその点では私は心変わりしていた。2年前、まだ本社事務部門合理化計画など存在しない時、日本語処理がそれほど重要とも思っていなかったが、本社転勤後経営者向けシステム(Tiger-Ⅰ)に取組んで、その必要性を痛感したこと、それに和歌山工場には工場管理用とTCSTonen Control System)用として更に一台、計2台のIBMMFが入っており、近く川崎地区(石油精製・石油化学・関係会社)をカバーする、大規模なTCSMFの採用も決まっていたので、全てをIBMにしてしまうより、目的(本社合理化)に適った互換機導入は、IBMを牽制する上でむしろ望ましいのではないか、と考え始めていたのである。
こちらの意思を確認したのち、他のメンバーも富士通導入に賛成だったのでMTKさんはそれ以上この問題を蒸し返すことはなく、情報システム室内の次期システムに対する考え方は決まった。
しかし主管部門が意思統一して決めたからと言って、“連隊旗”取替えがそのままスムーズに進むとは誰も思っていないのも確かであった。

(次回;創立記念式典の後で)

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