2013年1月17日木曜日

決断科学ノート-133(メインフレームを替える-27;創立記念式典の後で)




次期システムとして富士通MFが具体化するに連れて、OPXプロジェクトメンバーの頭に共通して在った大きな問題は「多分あの人は反対だろう」と言うことである。
“あの人”とは当時最年少役員で経理・財務と新規事業開発を担当していたNKH常務である。東大の経済を卒業後ハーバードの経済学部大学院に学んだ彼は、コンピュータの専門家ではなかったが、彼の地で早くにその将来性に開眼しており、東燃への最初のコンピュータシステム(IBM1401)導入でも主導的な役割を果たした人と聞かされていた。
また、日本IBMはわが国を代表する官・学・民の論客を集め“天城会議”なる知的エリートによる広範な社会・経済・国際・科学・文化など問題を論ずる場を設けていたが、そのメンバーの一人でもあったし、日本IBMのアドバイザリー・ボードも務め、SIN社長とは極めて近い関係にあった。
そんな背景と、情報システム室の母体の一つ機械計算課は当初経理部に設置されたこともあって、その課長は歴代彼の息がかかった経理畑出身者が務めていた。つまり主管ではないものの、情報システム部門の動きに大きな影響力のある人だったのである。
加えて会長、社長、副社長は全てNKHさんの父親に仕えた戦前派、成熟した石油業の現状打破を図る新規事業開発に熱心な彼は、これらのトップ層とは微妙な関係にあり、特に副社長主管の情報システム室の施策には一家言あった。
75日は東燃の創立記念日、前日の4日は本社講堂で式典があり、簡単なパーティが行われる。OPXの検討内容は関連する本社ユーザー部門の部課長にもある程度情報が伝わっていることもあり、ここで私はNKHさんにその概要を話して、反応を確かめることを試みた。最初はこの年の初めにスタートしたTTECシステム部のビジネス(IBMのプラント運転・制御システム;ACS販売協業)の話から入り、次いで次期システムとして富士通のMFに話題がおよぶと「そのことで話したいことがある。MYI(機械計算課長)君とTKW(コンピュータ技術専門家)君も一緒に、パーティが終わったら部屋に来てくれ」との返事。本来は室長であるMTKさんに同道してもらうべきと思ったが、自分より年上の部長を飛ばして、ヒアリングすることはしばしばあるので、MTKさんに了解を得て部屋へ3人で伺った。
一通り次期システム検討の現状説明を聞いた後、案の定「止めておけ」との返事。NKHさんはその理由として、コンピュータビジネスにおけるIBMの強さがとても国産勢の及ぶものでないことを縷々説明されたが、こちらもSTIIBM研修旅行)や現在進めている国産各社の日本語処理技術や先端技術研究などでそれに対抗してみた。
簡単に引き下がらない我々に止めを刺す必要を感じたのか、「君たち、情報システム部門の分社化の話を聞いているか?」と突然話題が変わった。3人とも一瞬黙り込んだ。実は皆MTKさんからそれを聞いていたのだが、これはNKHさんがMTKさんだけに話し「他言無用」と言われていたことだった。しかし、そうは言われても「一人よりは内々の仲間で、知恵を集めて」と考えたMTKさんは我々に打ち明けていてくれていたのだ。NKHさんがこれを持ち出したのは、分社化の協力をIBMに求めている(あるいは先方から持ちかけられた)と読んだ私は、ここで引き下がると富士通の目は無いと思い、「聞いています。しかし、富士通との協業も考えられます」とやってしまった。MTKさんはNKHさんの命令を、私はMTKに釘を刺されていたことを破った瞬間である。取り返しのつかないミスである。特にMTKさんにかけた迷惑は今でも悔やんで余りある。

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(次回;稟議書提出前後)

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