2013年3月16日土曜日

遠い国・近い人-20(友朋自遠方来、不亦楽乎ー1;シンガポール)



 チェー・イッチェンと初めて会ったのは
198410月末シンガポールだった。その彼から今年1月半ばメールが届いた。「娘が日本旅行に招待してくれたので2月初旬そちらに行く。都合はどうか?」と言うものだった。この間何度もシンガポールで、東京で会っているが最後に会ったのが2000年だから、既に13年を経ている。昨年彼も引退し、もう会う機会も無いと思っていたので、驚くと伴に嬉しさ一入。早速「大歓迎!」の返信をした。
198410月末から11月初旬にかけて1週間、シンガポールのマンダリンホテルに在ったエッソ・イースターン(EEI)のトレーニングセンターで第一回Refinery Computing Activity MeetingRCAミーティング)が開催された。やっとEEI傘下の製油所でもコンピュータが使われ出し、一堂に会して情報交換が出来るようになったからだ。参加したのは、東燃(本社、川崎)、ゼネラル石油(本社)、タイ(バンコク、スリラチャ製油所)、マレーシア(クアランプール、ポートディクソン製油所)、オーストラリア(シドニー)、ERE(エンジニアリングセンター;NJ)、ECCS(コンピュータ・通信本部;NJ)、EEI(本社;ヒューストン)それに幹事役を務めるシンガポール(本社、製油所)である。
東燃からは、第一回ということもあり、本社主管部門の課長を務めていた私と川崎工場のプロセス制御アプリケーションのグループヘッド、IJMさんが参加した。私にとってシンガポールは、1975年以来9年ぶり、その変容は著しいものがあり、空港・道路・ビルいずれをとっても昔の面影はなく、この地の発展が急速に進んでいることに驚かされた。前回訪問時はオーチャード通りの北の外れにあったシャングリラホテル内のトレーニングセンターも、通りの中央に在るマンダリンに移っていた。宿泊もここだから便利である。
翌朝会議室に出かけると既に何か参加者が集まっていた。その中で会議の準備をしていた、背の高い眼光鋭い、若い長髪の男が近づいて「今回の会議で事務局を務めるシンガポール製油所の者」と自己紹介をした。それが今回の主人公、Cheah It Chengである。聞けば、プロセスエンジニアでプラント運転部門の課長職とのこと。コンピュータは専門ではないし、製油所の利用もまだまだ発展途上、日本とは比べものにならない。今回開催場所の関係で、事務局・進行係を仰せつかったが、サポートをよろしく、と鋭い目つきから感じ取った印象とは違い、至って謙虚な人柄だった。
会議は大別すると、最近のプロセス制御やコンピュータ利用環境をEREECCSが啓蒙するセッション、EEIの統一的なコンピュータ利用施策推進の考え方を紹介しメンバー各社がこれにコメントする会議、それに参加各社の最新システムに関する報告、からなり成り、メインエヴェントとも言えるプラント運転制御への適用は、ゼネラルと東燃以外はほとんど行われておらず、ここでも“Japan as Number 1”が明らかだった。そしてそのNo.1を巡る戦いを東燃とゼネラルが演じることになる。
議長の裁きや如何?


写真;前列左端:私、左から4人目:It Cheng
(つづく)

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