2013年3月31日日曜日

今月の本棚ー55(2013年3月分)



<今月読んだ本>
1)ケンブリッジ・シックス(チャールズ・カミング);早川書房(文庫)
2)日本の宿命(佐伯啓思);新潮社(新書)
3)ドイツの町から町へ(池内紀);中央公論新社(新書)
4)Engines of WarChristian Wolmar);Atlantic Books
5)工学部ヒラノ教授と七人の天才(今野浩);青土社

<愚評昧説>
1)ケンブリッジ・シックス
ソ連崩壊後のどさくさの中で国営企業民営化に上手く立ち回り、巨万の富を手にした男たちがいる。オリガルヒと呼ばれる大富豪、英国のサッカーチーム、チェルシーのオーナーになったロマン・アブラモヴィッチなどがその代表例である。彼がそれを出来た切っ掛けは、いち早くあの混乱に乗じて自動車産業(フィアットとの合弁)やアエロフロートを手にし、さらに金融やメディア関連事業にも進出した、ボリス・ベレゾフスキーと組んだことによる。そのベレゾフスキーが先々週ロンドンで死んだ。関係者の説明は心臓発作と言うことだが、多額の負債が原因の自殺説他殺説もあり、英国当局が捜査にのりだす可能性が高いという。一貫して反プーチンであったことがその背景にあることは間違いない。
これに先立つこと7年、2006年にはチェチェン報道で反プーチンの論陣を張っていた女性ジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤが射殺、またこの事件を追っていた元KGB中佐で英国亡命後ライターとなっていた、アレクサンドル・リトヴィネンコが何者かに毒殺されている。
題名の“ケンブリッジ・シックス”を見て「ハハーン」と思った人もいるかも知れない。そう!本書はあの“ケンブリッジ・ファイブ”を題材としたスパイ小説である。ロシア革命が成功すると、多くの若い知識人がそれに同調する動きを活発化する。当時の資本主義の最先端国である英国では、マルクスがそこで資本論をもににしたこともあり、その影響は極めて大きかった。オックスフォード、ケンブリッジもその例外ではなく、1920年代半ばから1930年代にかけてそこで学んだもの中に、共産党の秘密党員となり、政府機関に就職した者も多く居た。キム・フィルビー(英国秘密情報部(SISMI-6;主に国外活動)、アンソニー・ブラント(同MI-5;主に国内活動)、ガイ・バージェス(BBC、外務省)、ドナルド・マクリーン(外務省;駐米一等書記官)、ジョン・ケアンクロス(暗号解読機関分析官)はいずれもケンブリッジ大学トリニティカレッジに所属しているときソ連NKDV(内務省人民委員会)にリクルートされたスパイであり、戦後摘発されたりソ連に亡命したりしている(キム・フィルビーはソ連で国葬)。これが“ケンブリッジ・ファイブ”である。
「この5人だけではない!まだまだ、ケンブリッジやオックスフォード出のスパイは居たはずだ!」 英国では今でもこの一連のスパイ事件が話題になる。以上はロシア人の事件を含め全て事実である。そして本書の影の主人公“シックス(6番目の男)”が登場する。もう一つの影はプーチンをモデルとした人物。
表の主人公はロシア・東欧現代史を専門にする40代前半の大学教授。最近妻と離婚し、幼い娘の養育費のための金策に苦労している。専門書の発刊記念講演会に現れた売れない女優が、母が残したソ連関係の資料を引き取ってほしいという。資料には魅力は無いが、女優には惹かれるものがある。時を同じくして、若いときのガールフレンドに自宅ディナーに招待される。夫と伴に豊かに暮らす彼女は現役のジャーナリスト、ロシア関係の面白いネタがあるので、共著で大衆向けの本を書こうと持ちかけられる。金を得るためには願ってもない提案。もしかすると女優の母の資料も使えるかもしれない。しかしジャーナリストの元彼女は、共著の核心材料を明らかにしないまま心臓発作で急逝する。夫は残された資料の整理を主人公に依頼する。何としても彼女の特種、取材源をつきとめるべく、受送信メールを探っていくと、高級介護施設に隠棲する老人に行き当たる。
病死者の偽装検死の後忽然と姿を消した検死医。見事に消された一人の外交官の経歴。そしてモニターされている主人公のメールと携帯電話。周辺で起こる殺人事件。身分を隠して彼に近づくSISの秘密女性捜査官。舞台はロンドンからベルリン、マドリッド、ウィーン、ブダペストへと移り、冷戦終了前後に発する驚天動地の謎に一歩一歩近づく主人公の周りに危機が迫る。殺しのシーンがいくつかあるものの、物理的なことは最小限に抑え心理的な読みを深めた知的ゲームの色彩が強い。当に伝統的な英国スパイ小説である。ワシントン・ポストの「二人の巨匠、ジョン・ル・カレとグレアム・グリーンに比肩する作家だ」は当を得た寸評である(女性に弱いところはジェームス・ボンドといい勝負)。次作が待ち遠しい。

2)日本の宿命
安倍総理がTV番組で「今のままでは北朝鮮は滅亡だ」と発言をしたら、翌日北朝鮮のメディアが「アメリカの言いなりになってきた日本こそ滅亡する」と反論したという主旨の報がインターネットニュースに数週間前載っていた。本書を読んだ直後だったので“滅亡”はともかく、この反論は妙に腑に落ちた。
だからと言って著者は決して左派ではない。むしろ新日本主義と取れる論調が考え方に貫かれている(やや悲観的ではあるが)。この本は、本欄-4420124月分)でも紹介した同じ著者の「反・幸福論」の続編であり、新潮45に連載されている社会時評の20119月号~20125月号に発表されたものを、それ以降出版までの期間に生じた変化(特に昨年末の総選挙)を勘案し、加筆・改編したものである。従って書き出しは“「橋下現象」のイヤな感じ(ここでの“橋下”は橋下徹大阪市長個人というよりは大衆人気の“改革者”であり、小泉純一郎なども同種と捉えている)“と言うテーマで、近年最も政治的な関心を惹きつける“改革”の浅薄さとそれを反映する現代政治における大衆主義の危うさ・胡散臭さを指摘するところから、わが国社会思想の特質を論じていく。
閉塞状態にある現状から脱却するためには第3の開国が必要だ!とはほとんどの改革論者が標榜することである。明治維新、大東亜戦争(著者は太平洋戦争と呼ぶことに“宿命”を感じている)敗戦とそれからの復興に次ぐ、現在叫ばれている社会変革と言う順番である。そしてこの改革ブームと定見の定まらぬ政治状況を、1910年代のスペイン社会を分析したオルテガ(同国の哲学者)が「無脊椎のスペイン」の中で明らかにした“分立主義(各集団が自己を部分として感じなくなり、その結果、他の者と感情を共有しなくなること)に擬え「無脊椎のニッポン」としてその社会構造・思想に切り込んでいく。
直近の話題、TPP・安全保障問題から戦後憲法の制定、講和条約と日米安保、そして明治維新後の国家諸施策でさえ、専ら欧米(戦後は圧倒的に米)を範としそれに追従してきただけではないのか?これは避けられないことだったのだろうか?日本の宿命なのだろうか?先人は国家作りをどのように考え、その理想と現実にどのような違いがあったのだろうか?これが本書で論じられる。
革新を唱えるものが、「欧米では・・・・」と基準をそこに求めることは、明治以来の定形パターンで、小泉内閣のブレーン・閣僚であった竹中平蔵がグローバル・スタンダードを旗印に構造改革を進める姿を“笑止”と切り捨て、「真の世界標準など存在しない(在るのはある種のパワーポリティックス)」と断ずる(その意味で著者はTPPに反対である)。
このように、自らの背骨を欠いた近代化・革新の風潮が今に続く遠因を、明治の思想家、福沢諭吉の考え方を分析することで明らかにしていくところが、本書の肝と言える部分である。福沢は“脱亜論”は著したものの、巷間言われているように“脱亜入欧”を自ら唱えたことは無く、彼の文明開花の前提には“攘夷(外なる敵に打ち勝つ)”が在ったと言うのである。具体的には「西洋流の国家になる」ことではなく「西洋並みの国家になる」ことを目指していたのだ。ただ、文明の進んだ夷狄(欧米)と対等な地位を獲得するには、順序として彼らの文明に学ぶ“文明開化(西欧化に依る富国・強兵)”を先行させざるを得ない、と説いていたとする。
福沢の国家観の目指すものは「一国独立」だがその根底には「一身独立」がある。“学問のすすめ”を「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と書き出しながら、「・・・人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なりとあり」と続けて、生まれではなく、能力による貴族主義(選民主義)を是認、さらに「学問をするには分限を知ること肝要なり」として、決して無限の自由や平等を肯定しないところに“一身独立”が存在することを主張をしている。
残念ながらこの考え方は薩長藩閥政府の容れる(理解する)ところではなく、専ら“文明開化”だけが一人歩きして、わが国の“近代化”は矛盾(攘夷;自立基盤を欠く)を孕んだまま、「利」や「便」を優先させ「義」を捨て去り、今日に至ったと著者は見ている。
それでは、あの時代の「西洋文明」の前で「一身独立、一国独立」を見失わずに近代化する「精神」とは何だったのか。福沢の「独立の気風」と「瘠我慢」に思いをはせながら「これは未だにわれわれに突き付けられている課題ではないか」と結ぶ。
著者は戦後社会を「アメリカによるマインドコントロールの自発的受容社会」や「アメリカへの“自発的従属”」と表現しているが(決して米国を覇者として位置付けるのではなく、日本(人)の思想形成上の特質と見做している)、当に至言である。これらは必ずしもオリジナルではないが、その起源が明治維新にあるという説は新鮮な見方である。特に日本近代史における福沢諭吉の存在意義について大いに学ぶところがあった。

蛇足;
19519月講和条約(19524月発効)が締結され、日本は独立主権国家として承認される。しかし、これに引き続き調印された日米安全保障条約は著しく“主権”を侵害するものだった(例えば、一旦占領軍の基地は日本に返還され、あらためて定めるのが筋だが、米国はこれを認めず、止むを得ず行政協定で継続使用を定型化した)。吉田茂はこれ(安保条約)が独立主権に関わることをよく理解しており、他の代表団メンバーには「政治家がこれに署名するのはためにならん、私一人が署名する」と言って、一人で署名したことが、本書第4章「日本は本当に独立国か」で紹介されている。

3)ドイツの町から町へ
いつ実現するかは定かではないが、ドイツ旅行に備えて情報収集している。本書を読むことになる動機もその一環で、先々月から3回連続でドイツ紀行に関する書物が続くことになった。
著者はドイツ文学者で随筆家、多くのドイツを中心とした紀行文をモノにしている。日曜日の1215分から2時まで放送されるNHK FMラジオトーク番組「日曜喫茶室」の常連で、独特の語り口に魅力を感じていたし、昔TVの海外旅行番組に出演し、案内役として得意のドイツ語を駆使して、深みのある歴史・文学紹介を行っていることも強く印象に残っていた。また歳も私の1年下、同世代と言うことにも惹かれた。
内容は、読売新聞の日曜版に19986月から20004月まで連載された「ドイツ 宝さがし」がベースで、そこから三分の一を捨て、新しく15都市を加えて、200210月この新書としてまとめられたものである。既に10年余を過ぎているので、物理的な景観では鮮度と言う点ではいささか落ちるかもしれないが、歴史・文化の視点ではほとんど問題にならぬ時間と見ていいだろう。
全体を北ドイツ・中部ドイツ・南ドイツの三部構成にし、全部で80弱の都市(一部地方)を取り上げているので、ベルリン・ブランクフルト・ミュンヒェン・ドレスデンなど有名大都市ばかりではなく、観光とはほとんど関係ないが、ドイツ史や文学に深く関わる小都市や町も多々取り上げられ、観光案内よりは人文地誌(あるいは地史)的な面で楽しむことが出来る。そして、それら個々の町をこれだけの数眺めると、今のドイツ全体が見えてくるところに本書の価値を見出した。
例えば、自治と言うことに関して、上から与えられるのではなく、自ら環境や景観を律していく背景に、統一国家成立前の小領邦国家や自由都市の長い歴史があることが分ってくる。また商工業者が領主や教会に対して対等の力(主に経済力で)を持っていたことが、町の発展や地方独特の文化を育んでいるさまが簡明に解説される。
一方で、観光名所やグルメやお土産、それに個人的な興味の対象である乗り物に関する事柄はほとんど取り上げられていない。その点では観光案内書としては物足りないものの、もともとそのような目的で書かれたものではなく、町とそれにまつわる歴史(人を含む)・文化を淡々と紹介するところに特色があるので、それらは他の観光案内書に求めるべきだろう。
日本同様激しい空爆に曝され完全に破壊された都市とその復元、東独支配下で経済発展に取り残された町、爆撃も占領も免れ昔の街並みを今に留める都市、宗教・文学・音楽に深く関わる町、どの都市も町も著者が自らの足で歩き廻り目撃し聞き集めた情報が手際よくまとめられ、ドイツとその町々の理解を助ける必携のガイドブックに仕上がっている。

4)Engines of War
題目にある“Engines”は狭義には“機関車”を意味するが、ここではそれが重要な一部を成す“鉄道”と訳すのが適当である。邦書を含め“戦争と鉄道”に関する書物は、汗牛充棟の観があるほど数多出版されているし、自身かなり持っている。
その中で“戦争と鉄道”に関して開眼させられたのが、渡部昇一の「ドイツ参謀本部」(中公新書;初版;197412月発行)である。この本の一章“モルトケの時代”にモルトケが参謀本部に転ずる前(40歳代後半)多くの鉄道に関する論文を書いていること、この経験を基に鉄道輸送重視の戦略を練り上げていったこと、鉄道部隊を編成し有事の際の時刻表の研究を進めたこと、これによって普墺戦争さらには普仏戦争に勝利したこと、などを知った。この他にも日露戦争におけるシベリア鉄道、第一次世界大戦時の各戦線における鉄道利用、あるいは大東亜戦争におけるタイ・ビルマを結ぶ泰緬鉄道(“戦場に架ける橋”の舞台)建設、あるいは補給戦を歴史的に取り上げたものなど、戦争と鉄道に関する書物が身近にある。それらに共通するのは、補給戦(Supplying WarMartin Van Creveld)を除き、特定の戦争と鉄道の関係を書いたものであることである。
では本書はいかなる意味を持つ本なのであろうか?それはクリミア戦争からヴェトナム戦争に至る、鉄道出現以降の戦争と鉄道の関係を通史として俯瞰し、鉄道の果たした役割を普遍化するところにある。内容は国家・軍における鉄道理解(人・組織を含む)、兵員輸送(作戦推進)、軍事物資輸送(兵站)、武装列車・列車砲、病院列車・傷病兵輸送、鉄道破壊、戦時鉄道運用管理、施設・車両の建設・製造・保守(改軌を含む)管理など広範にわたり、モルトケに代表される戦略上の目覚しい効果や兵站における重要性ばかりでなく、組織管理のような地味な話題も取り上げられ、戦争と鉄道の関係を広くかつ深く(特に歴史的に)理解できるものになっている。
例えば、鉄道敷設・経営が国家主導か民間主導かによって非常時の際の利用方法・利用効率が変わってくる。民中心で建設が進んだ米英、官の構想に従って整備された独仏露。同じ米国の鉄道でも南北戦争における南部と北部の違い(南部の鉄道会社は小規模多社)。あるいは欧州の拮抗勢力でありながら、ドイツは東西連絡重視(二面作戦を強いられる可能性が高いことから)で南北も縦断線を整備する碁盤の目のような路線整備に対して、フランスはパリ中心の放射線と環状線の組み合わせ。こんなことが戦争の展開に大きく影響してくる。
もっと大きいのは、非常時の鉄道運用管理体系である。軍と鉄道の協力関係が不可欠であるが、鉄道以上に命令で動く軍の性格をどこまで鉄道運用の実情に合わせることが出来るかによって、その効用に大きな違いが出てくる。本書に依れば、それが最も上手く機能したのは南北戦争における北軍で、鉄道監(大佐)に強大な権限を与え、それを徹底したことが北軍勝利に大きく貢献したと評価している。それに比べるとその後の普仏戦争は無論、第一次世界大戦すら、これに学ぶことが少なかったようである。高位の司令官が勝手な運行を命じ、輸送計画を著しく混乱させることがしばしば生じていたのである。
本書は、鉄道実用化以前(ナポレオン戦争など)の兵員・物資輸送概説の1章を含め10章の構成になっているが、その内の3章を第一次世界大戦に割いている。つまり三分の一をこれに充てているのだが、その理由は終章で「鉄道が最も戦争推進に貢献したのはこの戦争であった」ことによる。第二次世界大戦における兵站輸送は戦域の広域化と兵器のエネルギー消費量・破壊力増大もあり、第一次世界大戦に比べ鉄道輸送量は遥かに大きいものの、自動車や航空機の果たした役割もそれに劣らず顕著で、絶対数量ではともかく、柔軟性やスピードではこれらに一歩譲ることから、単独主役の座を降りることになるのだ。しかし、輸送量と空爆抗耐性の積は高い(つまり空からの鉄道車両・路線・橋梁破壊はかなり難しく、復旧時間は早い)ので、朝鮮戦争では北側(北朝鮮軍・中共軍)補給をよく支え、まだまだ兵站輸送現役として活躍したことを詳しく紹介して、戦時における鉄道利用の将来に可能性を残している。
日本が本書に登場するのは、先ず日露戦争。ここでは鉄道以前にこの戦争が有史以来最大の兵力で戦われたこと(最終;露軍1,300,000人、日本軍;900,000万人)、シベリア鉄道敷設が開戦の大きな理由だったこと、鉄道利用では日本軍が優れていたことが書かれている。次に紹介されるのは泰緬鉄道の建設で、英軍(豪州、ニュージランド軍を含む)の捕虜が大量に投入され、死亡率が極めて高かったことが紹介される程度で、著者が英国人の割にはあっさりと書かれている(英国の反日運動はいまだに、本件に関することが中心)。
独ソ間の戦いはゲージの違いが双方の戦い振りに大きく影響する。交戦域は何度も改軌が行われ、最終的にはソ連の広軌がポツダムまで通じ、ポツダム会談に臨んだスターリンははるばるモスクワからポツダムまで専用列車で旅をしている。
著者は本欄-4820128月分)でも紹介した「世界鉄道史(英文タイトルBlood, Iron & Gold)」を書いたChristian Wolmar、交通・運輸に精通した英国のジャーナリスト、本書はその最新作である。前作は多くの鉄道ファンに興味ある内容だけに邦訳されたが、本書は読者が限定されるので訳本は期待出来ぬと考え、原書で読むことにした。その予想通り、わが国の戦争と鉄道を記したものでは知ることの出来ない内容に溢れ、どの章も新しい発見の連続で、最後まで戦争の姿を変えていった鉄道の役割を追うことに飽きることは無かった。

蛇足;
クリミア戦争(1853年~1856年)は最初に鉄道が使われた戦争だが、日本人にはナイチンゲールの活躍した戦場として知られている。彼女を有名にしたのは敵味方に拘わらず傷病兵の治療・看護にあたったことだが、この時回送列車(藁を敷いた貨車)で傷病兵を運んだことが、それ以前(悪路を荷馬車に横たえて運ぶ)と比して生還率を著しく高めることになる。このことは一部の関係者の関心を惹いたものの、本格的な病院車の出現は第一次世界大戦時(1914年~1918年)まで待たれることになる。

5)工学部ヒラノ教授と七人の天才
本欄おなじみの“工学部ヒラノ教授”シリーズ第5弾である。東大工学部応用物理学科を卒業後さらに修士課程で応用数学を学び、就職先のシンクタンクからスタンフォード大学OROperation Research;応用数学の一分野)学科博士課程に派遣されたヒラノ青年は、博士号取得・帰国後、先ず筑波大学の計算機科学(ソフト)担当助教授になり、次いで東工大の一般教養(統計学)の教授に転ずるが、間もなく学部経営工学科との兼務となり、さらに新設大学院課程(社会理工学科)教授へと変身していく。ここで停年まで過ごした後、最後は中央大学経営工学科教授として70歳の定年まで勤め、昨年目出度く工学部人生を卒業された。この間海外のシンクタンクや大学で研究員や客員教授として過ごす機会もあり、内外の工学部事情に通じたベテラン中のベテラン教授である。熱心な研究教育活動(と雑務)を終え、引退後のあり余る時間を本シリーズの創作に当てている(第一巻は在職中)今日この頃である。
今までに取り上げられた材料は、文部行政、学内パワーストラクチャー、人事・利権抗争、学内・学会不祥事・不正行為、秘書・事務方との関係など多岐にわたるが、今回は特にヒラノ教授が奇人変人(題名は“天才”だが)として選び出した東工大7人衆である。一般の人にも知られているのは江藤淳くらいだが、夭折する金融工学の天才、日本国公務員として採用されながら全く日本語を学習しないヴェトナムからの研究者、ヒラノ筑波大助教授に東工大への道を開いてくれた哲学者、40過ぎても助手として過ごしながら三階級特進で私大学長になり積年の怨念を晴らす人など、教官・研究者個人に焦点を当てているところが、従来のシリーズと異なる点である。それだけに人物の特質が浮き彫りされて、同じような話題を別の角度から眺められるのが、本書の面白いところである。加えて軽妙な語り口ながら、アイロニーやブラックユーモアをも含む独特の言い回しに惹かれるのは私ばかりではない。
その証拠に、第一巻の「工学部ヒラノ教授」はいよいよ新潮文庫になるようだし、外国をテーマにした第6弾も具体化している。もの造りに国家の命運がかかることを考えると(不賛成の人も居ようが)、工学部の実情を真剣に、しかし肩に力を入れず理解できる本シリーズは貴重なジャンルを開拓していること必定、是非本ブログの読者(エンジニアが多い)に一読をお薦めする。

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