2013年11月14日木曜日

フランス紀行 南仏・プロヴァンス・パリを巡るー(12)


11.マルセイユ観光-2
マルセイユの人口は約80万人。パリ、リヨンに次いで3番目の大都会だ。しかし、前二者には歴史的なモニュメントも多々あるが、この町には何があるのだろう?4年前の渡仏計画でここを選ばなかったのはそれが見つけられなかったからだ。ツアーの説明資料にもブイヤベーズを食すること以外特別なことは記されていない。景観についても同じことで、絶景があるわけではない。どこへ連れて行ってくれるのだろう。
レストランから歩いて直ぐの観光バス溜まりで乗車すると。路面電車の通る道を抜けて、やがて港湾地帯に出る。マルセイユ港は地中海を代表する港町、最も賑やかで人々が集まる所がコの字型に開削された“旧港”と呼ばれる一帯だ(地図の中央。この地図は右が北)。市庁舎を含む大きな建物や商店・カフェ・レストランが埠頭を囲んでいる。名前から推察できるように、海外につながる新港はそこからかなり南西に離れた所にあり、ここからは窺がえない。嘗ては大型船が横付けになったと思われる旧港は今では小型船の係留施設や付近の島へのフェリー発着場になっている。バスはこの旧港に沿ってコの字の縦棒(南北に通る;上が北)から下の横棒(東西に通る;右が西)方向に走り、湾口部に至る。ここは繁華街より少し高くなっており、第一次世界大戦を記念するモニュメントのある小公園から旧港・新港全体が見渡せる。遥か先の新港には大型のクルーズ船が2隻入港しているのが遠望でき、海からの観光ではここが重要拠点であること分かる。振り返ると巨大な石灰岩の上に石積みの家が軒を連ねて海を見下ろしている。日本の家とは基礎の造りがまるで異なることがよく分かる(このような岩盤むき出し様式はコート・ダ・ジュール、内陸のプロヴァンスでもよく見かけた)。
バスはやがて港湾部を離れて南側の丘に上り、ノートルダム・ド・ラ・ガルド教会下の駐車場に停まる。尖塔の上にはキリストを抱いた金色のマリア像。ただこの教会の歴史的にそれほど古いものではなく(内部様式は19世紀のものとのこと)、船乗りの守り神としてマルセイユの人達に愛されてきた所ゆえ、景観と併せて名所になっているらしい。
聖堂を囲むテラスから四囲の展望が開け眺めは素晴らしい。ここから市街地を見ると高層建築がほとんど無く、町の広がりもそれほど広くないことが分かる。
実はこの建物を一巡している時、あちらこちらに銃弾の痕のようなものを見かけたので、件のガイドにそれを確かめてみた。何と第2次世界大戦末期(19448月)米軍機の機銃掃射で穿たれたものだと言う。ナチスに恭順していた仏ヴィシー政権も、連合軍のノルマンディ上陸以降瓦解し始め、ナチス・ドイツ軍が湾口を守るためここに立て篭もっていたことが米軍の攻撃を受けた理由である。
この教会からはもう一つ面白いものを見ることが出来た。アレクサンドル・デュマの小説「巌窟王」で主人公モンテクリスト伯が無実の罪(王政復古陰謀)で十数年閉じ込められることになったシャトー・デ・イフ(イフ島)である(写真中央の小島)。無論この話はフィクションであるが、政治犯やペスト患者がこの小さな岩島に閉じ込められたのは確かで。今は旧港から観光船が出ている。
バスで出かけた観光スポットはここだけ。旧港に戻ると自由行動になった。やはりたいした見所はないのだ。それでも町には面白いものが無いわけではなかった。

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(次回;マルセイユ観光;つづく)

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