2014年4月7日月曜日

ブログ雑談-5;昭和20年の入学式


今日は初孫の小学校入学式が行われた。まだ写真は送られてきていないが、幼稚園の卒園の後、祝いに訪れたとき、勉強机とランドセルを嬉しそうに見せてくれた。
私が小学校へ入学したのは昭和20年(1945年)もう本土では敗勢が見えていた時代である。しかし満州(現在の中国北東部)ではそんな気配は全く感じさせぬほど、変わりのない日常生活を送っていた。入学したのは新京特別市(現長春市)の桜木国民(小)学校である。学校生活のことは登校下校の出来事くらいしか覚えていない(登校は社宅の最上級生に引率されたが、下校は方向が同じ者が三々五々一緒になることが多かった。その中に満人(中国人)の子が一人おり、よく彼と同道した)。
父母が苦労(満州で撮られている写真は持ち出し厳禁)して持ち帰った子供(ほとんど私;他に妹が二人いた)の写真の中に私の入学写真があった!
入学式後の集合写真が一枚。はっきりと戦時であることがわかる。男は坊主頭で軍服のような服(協和服)を着ている。大人も子供も被っているのは戦闘帽。皆が乗っているのは校庭に置かれた日本軍の戦車。母親たちはもんぺ姿が多い。子供の数は凡その50人だからこれがクラスメイトだったことになる。先生は中央に立つ男性、関先生である。(部分拡大写真中央の首を傾けているのが私)
後ろの校舎を見てほしい。コンクリートと煉瓦で出来た立派な建物だ。帰国後通った日本の小学校は大方が木造。あの時代日本が満州にかけた意気込みと資本の大きさがうかがえる(我が家もコンクリート造りの集合住宅、スチーム暖房、水洗便所だった)。しかし、89日のソ連軍侵攻、つづく15日の終戦で、王道楽土は一瞬にして地獄に変じ、ここに写る同級生が再び一堂に会することはなかった。何人が無事日本に帰国できただろうか?残留孤児となった人がいないだろうか?
今日から始まる孫の長い学校生活が、楽しく平穏なものとなるよう切に願っている。
写真はクリックすると拡大します


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