2014年8月28日木曜日

決断科学ノート;情報サービス会社(SPIN)経営(第Ⅰ部)-16


1.新会社創設(16
新会社設立にはもろもろの検討・準備事項がある。既に長い時間をかけて、目的・役割、商品・サービス、経営計画、組織・人事、社名決定などを説明してきた。ここでは残る話題、資本金、オフィス、社章それに設立日について触れておこう。
情報システム室(部)は汎用機導入以来、計算機利用料金の付け替え制度をグループ全体に適用してきた。また東燃テクノロジー(TTEC)を通じたTCS外販ではシステム部門としての収支をはじいてきていた。従って大まかな収支見通しは掴んでいたが、実際に資金管理を独自に行ってきたわけではないので、独立会社として手元資金がどのくらいいるのか、Z計画メンバーにはとんと見当がつかない。TTECのビジネスは手形支払いも多く、月次収支はしばしば“勘定足ってゼニ足らず”の状態に陥ったりしていたが、全体としては財務状態にゆとりがあったので、お金のことを真剣に考えたこともなかった。エンジニア集団の悲しさ、資本金をいくらにしたらいいか分からない。経理部に相談したところ、税制上5千万円にひとつの区切りがあるとの助言を受け、それでスタートすることにした。
スタート人員数は現在の情報システム部配員+役員・事務部門である。既存の現業部門は現在の配置場所をそのまま利用することにし、役員・事務部門のスペースだけは何とか確保しなければならないが既存フロアーに余力はない。新規事業用に拡張された研究所(埼玉)への移動や製油所としての機能を閉鎖していた清水工場本事務所活用案など出たが、増員は10名足らずなのでパレスサイドビル内で空き室を探したところ、1階の商店街に一コマ確保できることが分かり、落ち着かない場所ではあったが、それを借り上げて使うことに決まる。
社章は外部の専門家に頼むことにした。80年代に入るとどこの会社も社名中心の硬い感じの社章を、モダンアートをベースにした軽い印象を与える形状と色を使うものに切り替えることが流行だしていた。三井・三菱・住友グループの中にもよく知られた伝統のマークを捨てて、敢えて斬新なもので企業イメージの刷新を図ろうとする時代がやってきた。提案を受けた案は三つ、従業員の意見を集約したところ、描くのが難しく「エッ」と思うようなものに人気が集まった。提案者にどういうところに会社との関わりがあるのか問うたところ、欧州の街の石畳の広場(プラザ)を模したものだとの返答。なるほどと納得し、採用した。このマークは今でも素晴らしいものだと思っている(添付図参照)。
最終的に会社設立が親会社取締役会の承認を受けたのは19856月、75日は東燃の創立記念日。同じ日は適当でないものの、この日の近くを設立日にしたい旨社長室に決定を委ねた。しばらくして役員が副社長に呼ばれ、710日にするよう指示され、併せて変な線や点が複雑に交差する小さな額を持って戻ってきた。曰く「著名な占星術師に検討を依頼したところ、この日が良いとご託宣が出た」とのこと。額に描かれている図?はその決定プロセスらしいがが、詳しい説明はその後も全くなかった。どうやら副社長は重要事項決定に際して“占星術”に頼っていたことがあったらしい。学生時代宇宙物理を目指したこともある人がこういうことに傾倒しているとはにわかに信じ難かった。ただその後の会社経営が総じて順調だったことを考えれば、あながち非科学的とさげすむことではないのかもしれない。これで思い出すはかのヒトラーが占星術に凝っていたことである。



(次回;“新会社創設パーティ”)

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