2015年5月29日金曜日

決断科学ノート;情報サービス会社(SPIN)経営(第Ⅱ部)-27


51990年経営トピックスー2;変化への対応-2
研究会・勉強会や文献調査を通じた変化対応のための情報収集から分かってきたことは、経営レベルから製造現場まで小型機対応システムが鋭意進められている姿である。既存の専用プロコンや汎用機で動いていたシステムの全面更改や最新の研究成果を反映した新システム開発である。それと並行して、機能別に開発されてきた個別のシステムを、ネットワークを介して統合する動きである。
例えば、経営情報の世界では、のちにERPEnterprise Resource Planning)の本命となってくるSAPがある。この会社は1970年に汎用機向けに提供してきた会計パッケージ(R/1R/2)を、経営機能全般に広げ、小型機とネットワークで構成する新しい統合パッケージ(R/3)に発展させるプロジェクトに取り組み始めており、断片的な情報が日本IBMにももたらされていた。この時期まだERPなる略語は使われていなかったが、プロセス工業の工場管理全体にわたるシステム開発・運用サービス提供者を目指すSPINにとって気がかりな動向だった。製造業ではCIMComputer Integrated Manufacturing)なる概念が一部で実現され華々しく喧伝されていたが、ほとんどの工場・現場ではまだまだ機能別群島が細い連絡路でつながれた状態(Connection)であり、“統合(Integration)”には達していなかったからである。
この分散・統合以上に焦眉の急は「ポストACSAdvanced Control System;利益の源泉)をどうするのか?」である。IBMの社内にもACSを新しいIT環境に合わせて更新すべきとの考え方が無かったわけではないが、グローバルな市場の中でプラント運転・制御は極めて特殊で小さな分野、加えて売れているのは日本ばかりという状態だったから、更新計画が具体化することはなかった。と言うよりも、他分野も含めて自社でアプリケーションパッケージを開発する動きは止まっており、他社製品を買い取ったり、M&Aで会社丸ごと抱え込む方向に転じていた。振り返ればIBMの大転換期であったのだ。
ポストACSを考えるに当たって最もクリティカルな課題は、「プロセス制御をどうするか?」であった。ACSIBMと協力して販売を始めたとき(1983年)から顧客もIBMもユーザーノウハウの塊とも言えるプロセス制御技術提供を切望していたが、Exxonとの技術提携契約の下でそれは叶わなかった。それでも日本最初のACSユーザーとしての知見はそれなりに価値もあり、日本IBMは販売協力報酬を弾んでくれたし、導入に関わる技術提供もほとんど競争者の無い状態だったから高い利益を得ることが出来た。しかし、それらが無くなった時、この分野で高いリターンが期待できるのは顧客個々のプラントに適した制御アプリケーションの提供しかない。と言うのも市販の制御用パッケージ(入れ物)の代理店をやっても、とてもACSと同じ条件で販売マージンはとれないし、使ったこともないパッケージでは導入に際しての差別因子もない。
ここで社内関係者と徹底的に議論したのが、「プロセス制御アプリケーション・ビジネスは本当に儲かるのか?」と言う点である。当時この分野で実績があったのは、AspenSetpointなど主として米国の会社、制御による効率改善実現も合せて提供するビジネスモデルであった。つまり成功報酬型のモデルである。リターンも大きいがリスクも大きい。特に終身雇用が一般的な日本では最もプラントを熟知しているのはユーザーの担当者である。それもあってかこれらの会社の製品適用も、国内ユーザーには思いのほか実績が少なかった。一方、一見ローリスク・ローリターンだが、大量のプラント運転データを収集・蓄積・分析するシステムは、工場・本社各方面でさらなる利用の広がりが期待されている割には、使いやすいシステムが無かった。経営情報への展開力まで考えれば、むしろ制御よりもこちらの方に価値があるのではないか、こんな考えが芽生えてきた。調査活動を制御からデータ収集・分析に向けたことが次の鉱脈発見につながってくる。


(次回;1990年総括)

0 件のコメント: