2016年1月16日土曜日

四国山越え海越えドライブ-13


12.オーベルジュ・ドゥ・オオイシ
主要官庁の四国地方統括機関は概ね高松市に在る。行政上はここが四国の元締めと言っていいだろう。また嘗ては本四の鉄道連絡船もここを拠点にしていた。つまり高松は四国を代表する大都会である。初めて高松を訪れたのは1965年、丁度半世紀前である。この時はその前年入手した中古のコンテッサSを駆って寮の仲間2人と5月の連休を利用して山陰を廻った後、岡山県の鷲羽山付近の民宿に泊まり、宇野からフェリーで高松に上陸した。観光した所で記憶に残るのは栗林公園と屋島である。この2ヵ所を昼過ぎまで費やして、徳島から和歌山に向かうフェリーで帰和した。
2度目のドライブ訪問も19695月連休、これは本連載でも“この前の四国ドライブでは”と何度も登場している。この時は松山で一旦四国を離れ、山口県・島根県・広島県・岡山県と廻り下津井から丸亀に渡って、高松で一泊する予定だった。しかし、駅前の観光案内所では「どこも満室、唯一あるのはダブルベッドの部屋ひとつ」とのこと、男二人で一つのベッドはとても耐えられぬと、徳島港で車中泊した。
以上の様な経緯もあり、今回は高松泊を四国ドライブの仕上げにしようと計画した(11泊)。ただ街中のホテルでは、他の大都市と変わらぬと思い、周辺を含め特色のありそうな所をネットで探していたところ見つけたのが、屋島の“オーベルジュ・ドゥ・オオイシ”である。室数は僅か5、ツインの洋室。一方オーベルジュ(フランス語で旅籠の意だが食事処から宿泊も兼ねるようになった歴史を持つ)を名乗るように、フランス料理を供するレストランとしての評価が高かった。部屋の前には専用ビーチもあるようでのんびりできそうなのも良い。
金比羅さん観光の後高松道の善通寺ICに戻って東へ進む。四国の他の自動車道と違い片道2車線で走り易い。道が空いていたこともあり、高松中央ICまで1時間足らずで駆け抜ける。そこから高松駅・高松港へ向かう市内中心部を南北に貫く県道43号線を北上、国道11号線との交差点を右折して東にしばらく進んで屋島方面へ左折する。「もうゴールは近い」と思ったところで、急に道は狭まり両側はチマチマした民家が不揃いに並び、路面は荒れて、生活臭ふんぷん、行き交うクルマは少ないがすれ違いにはハラハラする。民家を抜けるとやっと左にちらっと海が見え、地中海地方で見られるような白壁の建物が緩い上り傾斜の道路の左右に現れる。丁度右側(山側)の建物から白い前掛けをした男が出てきたので「オオイシはここですか?」と問うと「そうです」と答えて、海側の駐車スペースへの入口を指示してくれる。目の前に高松港方面から瀬戸内海へ続く海と島々が一望できる。
料理人が声をかけたようで、黒いスーツとズボンで正装した女性が駐車場に現れ、玄関からフロントに案内してくれる。とは言っても玄関もフロント前のスペースも、大きな個人住宅ほどだ。しかしチェックイン手続きを終えて部屋へ案内されて驚いた。何と言う広さだ!リビングの天井の高さが凄い!海に向かってその前に広がる芝庭を隔てる一枚ガラスも見事だ!ここへ運び込むだけでも大変なほどの大きさ、特注品に違いない。部屋はツインのベッドルームとこの天井の高いリビングの二部屋だが、これだけの広々した空間は海外ホテルのスウィートルームでも、先ず経験ないほどだ(唯一ウクライナ・オデッサで泊まった、ホテル・モーツァルトの特別室を除いて)。バスルームも広く、浴槽とシャワーは無論別々、両者の間にビーチや中2階形式の専用テラスにつながる出入り口が別置されている。砂まみれの身体を洗うためだろう。
部屋の家具・備品・インテリアも、シンプルで上品な建物によく調和している。TVや電話は無く、フロントとの連絡は持参の携帯で行う。何気なく置かれた書物も風景写真集や旅、あるいは建築に関するもので、完全に日常から切り離される。
夕食は7時から。先ほどの女性が、道を隔てたレストラン棟へ案内してくれる。宿泊室5室とはアンバランスなほど広い。聞けば当初からオーベルジュを計画していたものの、レストランの方が早く開業(1997年;宿泊は2005年)、それだけでしばらくやってきた(専業の)歴史がこの広さに表れているらしい。この夜のディナーは我々も含め3組だったが、シーズンや時間帯によっては満席もあるようで、家内がレストランフロントの電話のやり取りを耳にして、そんな話をしてくれた。つまりここは高松の奥座敷なのだ。その隠れ家での料理として鹿肉のステーキを選び、赤ワインで堪能した。

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(次回;オーベルジュの朝と屋島)

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