2016年1月20日水曜日

四国山越え海越えドライブ-14


13.オーベルジュの朝と屋島
1119日(木)6時半頃起床、寝室から浜に面するリビングへ出て、広大なガラス窓を覆うカーテンを引くと、海も島々もキラキラと輝いている。二日目の鳴門以来の晴天の朝だ。備え付けのサンダルで芝庭に出て、そこから駐車場と砂浜へつながる低い小門を通って水際まで行ってみる。さざ波が漂う穏やかな水面、夏ならば朝食前にひと泳ぎしたくなるような場所だが、晩秋の朝は気候温暖な四国と言えどもひんやりする。部屋へ戻って浴槽とは独立したシャワールームで熱い湯を浴びて身体を温め、リビングのソファーに身を委ねてぼんやり海を見ていると、犬を散歩させる人が微かに寄せては返す波打ち際を歩いていく。まるで絵のようだ。
朝の食事は、このリビングで供される。温かく焼き上げられた幾種類かの自家製のパンとジャム、サラダ、ジュース、卵料理それに魔法瓶に詰められたコーヒー。それほど豪華ではないが、前の3泊の朝食がすべて和食であったから、広く天井の高い部屋の作りや前に広がる風景ともよくマッチするヨーロッパスタイルの食事が異国に居るような気分を醸し出す。
何日かこんな所で過ごせば、命の洗濯に効果絶大だろう。
9時にチェエクアウト、玄関前の衝立に何やら張り出してあり、手前の籠にパンがならべてある。よく見るとここで作っているパンの販売広告であった。なかなかの味であったから、それをお土産にすることを考えフロントに頼むと「ここにあるのは見本、出来上がりは10時からです」との答え。残念ながら願いはかなわなかった。
例の狭い道路を抜けて瀬戸内沿いの主要道国道11号線に出て、それを東に向かい5分も走ると屋島ドライブウェイへつながる交差点に達し、緩やかな上りをしばらく行くと料金所が現れる。ここから勾配がやや急になり、途中何カ所か海を見下ろす駐車展望スペースを経て4km先の大駐車場(海抜300m弱)まで一気に上る。大駐車場の西に四国遍路88ヵ所84番札所の屋島寺があるので、この駐車場は観光用ばかりでなく巡礼の人たちを運ぶバスの利用もあってとにかく広々している。ここから遊歩道の西端にある“獅子の霊厳”展望台までは屋島寺の境内を抜ける道を採って15分位。境内には本堂の他、宝物館があり、それを抜けると源平合戦供養碑や土産物屋、休憩・食事処などが並ぶ道に出るが、比較的早朝とあって、やっと店を開けたばかり、人通りも少なく静かなのが良い。“獅子の霊厳”で12世紀末源平の海戦が行われた瀬戸内海を見下ろし、往時を偲ぶ。
約半世紀前来たときにも感じたことなのだが、“島”と言いながら、実際は四国本土と陸続き、むしろ半島と言った方が適当と思える地形である。今回もその時の思いが甦った。「優れた水軍を持たなかった源氏が、何も半島の先から攻めなくても、本土に上陸すれば南側から屋島に篭る平家軍を征伐出来たのではないか?」そんな疑念があったので、出かける前にその点を調べてみた。分かったことは、やはり当時は島であったが、比較的遠浅で江戸時代には本土と島の間を塩田として開拓、それがさらに埋め立てられて本土と一体化されたと言うことだった。確かに国道11号線からのアプローチに橋が架かっていたことがその名残なのだ。
四国最後の観光はここで終わり。盲腸線のドライブウェイを戻り、11号線を東に志度へ向かい、10時半エッソ屋島SSで給油(28.92ℓ)して高松道志度ICから自動車道に入って、あとは鳴門・明石橋を渡り自宅近くの堀口能見台ICまでひたすら自動車専用道路を東進した。途中休憩・昼食・給油・夕食さらには東名で集中工事が行われていたため、21時を少し過ぎていたが、無事自宅に帰着した。最終日の走行距離685.2km1日としては自己最長であった。

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(次回;四国ドライブ総括;最終回)

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